勝負開始
「千種様、お互いの命を賭けませんか」
玉の言葉に、その場にいる者は皆、目を丸くした。庭で見守る警固衆、家臣団はざわつく。忠顕は、口をぱくぱくさせていたが、気を取り直すと、口を開いた。
「ぶ、無礼者! わ、わしの命を賭けさせようとは……」
「おやっ、負けるのが怖いんですかい」吉永は言う。
「誰が怖いと言った! 玉とわしの命では、全く釣り合わんわ!」忠顕は顔を真っ赤にして怒鳴る。
警固衆は、
「何が釣り合わんのか!」
「お前の命こそ、玉様の毛の先ほどの価値もないわ!」
と怒りの声を上げた。忠顕の若侍たちは「何を!」と警固衆に飛び掛からんばかりになった。「待て、落ち着け」と吉永や、忠守がそれを抑える。
「まあまあ……、その前に、仕合の取り決めをせねばなるまい」と忠守は言った。
「先ほど、中原殿と話し合った。試合は十服茶、十番勝負とする。途中で辞める事は認めない。茶の種類は無制限、審判役のわし等が持ち寄った茶を出題する。一番毎に交互に順序を替え、茶の産地を短冊に記す。懸け物は一番毎に決め、引き分けの場合は、次の勝負に持ち越す。勝負前にその証文を審判に渡し、勝者がそれを受け取る。それから、勝負は、誰もが観覧できる……、これで双方異存はないか?」
「もう一つ忘れているだろう。審判は、丹波忠守殿か中原章有殿の二人、それ以外は認めない」と忠顕。
「なるほど、ではそれも入れるとして、良いか」
玉は「はい」と答える。忠顕も了承し、その取り決めを書き記すと、二人は署名をした。
忠守と章有は屏風の裏へ移動し、茶の支度を始めた。互いに不正がないか見張っている。初めは忠守が茶をたてた。
この当時、茶と言えば、挽茶であった。碾茶と呼ばれる茶葉を蒸して乾燥させたものを、石臼で挽いたものであり、抹茶とも呼んだ。これを湯に溶き、泡立てて飲むのである。煎茶はまだ一般的ではなく、それが普及するのは、江戸時代の永谷宗円の登場を待たねばならない。
忠守は、茶を茶碗に注ぎ、盆にのせた。別の盆に茶壷を、その横に、銘柄を書いた短冊を置いた。屏風の後ろから出ると、茶を玉と忠顕の前の机に置く。
「では、先ずは銭一千貫、賭けよう」
忠顕は玉に言った。一千貫では米千石ほど買える金額である。現在の価値に直すと、六千万円ほどだろうか。忠顕は玉の顔色をうかがった。すると、玉は、顔色を変えずに、「分かりました」と言い、サラサラと証文を書いた。
―― ふっ、涼しい顔をしていられるのも今のうちだ……
「玉、お前から飲んでいいぞ。わしは優しいのだ。くっくっくっ……」
玉は、「分かりました。それでは、私から……」と言って、茶碗を手に取った。




