32.桜塚猛、モンスター軍の陣地に潜入する(2)
「ナザレ・トロンゾ!」
「おや、よく覚えていましたね。私は人に名前を忘れられるのが特技なのですが」
くっくっく、とつまらない冗談に自分で笑う。
「ロイド・クレメンス……でしたか。私の罠をかいくぐって生き残ったばかりか、私が留守の間にダンジョンコアに奇襲までかけるとは。たしかに、Dランクに留め置かれていたのが不思議なほど優秀ですね」
「あんたの方は、ギルドマスターなんて嘘っぱちの悪魔召喚師だったけどな」
ロイドの口調で軽口を返す。
「ふむ。ここであなたを殺すのは簡単ですが……惜しいですね。――ロイド君」
「なんだ?」
「よければ、私の仲間になりませんか?」
「おまえの仲間? ここいらのモンスターと一緒にサヴォンを襲えと言うのか?」
わしは周囲を見回して言う。
足を止めたせいで、周囲をモンスターに囲まれている。
ゴブリン、コボルト、ギガアント、ギガントセンチピード、グール、ゾンビ、スケルトン。遠くからはジャイアントやキュクロプスがやってくる。
ナザレが表情を変えずに言う。
「そんな小さなことではありません。私の手足として役に立ってほしいということです」
「曖昧だな。成功の定義がはっきりしない依頼は受けるな。冒険者の常識だ」
「ふふっ……そうでしたね。では、すこし語って聞かせましょう」
ナザレが両手を広げる。
「私は神です」
「……は?」
「驚くのも無理はありませんが、事実ですよ。オストー、という神を知っていますか?」
「知ってるも何も……あの聖櫃に封じられてた神の片割れだろう」
「ほう、そこまで調べていたのですか。やはりあなたは優秀だ」
ナザレがわざとらしく眉を上げる。
「聖櫃の封印は万全でした。なぜそんなことがわかるかというと、私は密かにオストーからの命令を受け、聖櫃の捜索、見つかってからはその解析に当たっていたからです」
「オストーの手下だったわけか。冒険者ギルドのマスターでありながら」
「私を、ギルドのマスターなどという矮小なくくりで語ってほしくはないものですね。私は魔導師ですよ。禁断の魔法を極め、神となることを望む者です。いえ、そうだったというべきでしょう」
「……神になったからもう違うって?」
「その通り。私は神です」
おどけた様子で、ナザレが言う。
その間にミランダとアイコンタクトをかわす。
「さて、どこまで話しましたか……そう、聖櫃の封印は万全だった。しかし、ここでとんでもない偶然が起こりました。さすがにここまではご存じないでしょう。コンジャンクション、という現象です」
思わず、びくりと震えそうになった。
が、かろうじて抑える。
わしが本物のロイド・クレメンスと入れ替わった異世界の人間だということは、こいつには伏せておくべきだ。
「詳しい説明は省きますが、オストーは聖櫃から逃げ出すことに成功しました。ただし、逃げ出した先は、ここではない異世界です。しかも、彼にとっては天敵である妹神オスティルも同じ世界に放り出されています。そのままではいずれ妹に捕まって元鞘です。オスティルという女神は、オストーに対する切り札のような存在なのですから」
それは、わしの身体に入ったロイドが追っていたはずの話だ。
ロイドとオスティルはオストーを捕捉できなかったのか?
「そこで、私はオストーに献策しました。聖櫃を書き換え、オスティルのみを封じてしまえばよいではないかと。魔導師たる私だからこそできる提案です。オストーは一も二もなく乗ってきました。……それが罠だとも知らずに……くくく……」
ナザレの顔が歪んだ。
口が三日月のように横に裂け、片目だけが大きく開く。
こんな邪悪な笑いを、わしは七十年の人生で初めて見た。
「オストーは聖櫃の力でこの世界に戻ってきました。私の施した細工によって、オスティルは聖櫃の中に封印され、オストーは自由の身となりました」
(何だと!)
オスティルが封印された?
しかも、オストーの方は野放しになっている?
およそ、最悪の結果だ。
ロイド・クレメンス――あの若造は一体何をしていたのか。
わしは、こちらの関心を悟られぬよう、用心しながら聞き返す。
「じゃあ、何か? 悪しき神だっていうオストーが野放しになっちまったっていうのか?」
ナザレが首を振る。
そして醜悪に笑う。
「くくく……」
「何がおかしい!」
「いえ、失礼。あなたを笑ったのではありません。あの神があまりにも愚かしかったものでね」
「おまえ……オストーをどうしたんだ?」
神になった、と先ほどこの男は言っていた。
とすれば、神であるはずのオストーはどうなったのか?
悪人同士が仲良く手を取り合い、揃って神様になったはずもない。
「きひひ……察しがいいですね。そう、オストーの自由はほんの束の間のものでした。いえ、最初から自由なんてなかったともいえます。なにせ、奴は徹頭徹尾私の――いや、俺の掌中にあったのだからな。ああ、何度思い返しても笑みが溢れる。神が這いつくばり、俺に怨嗟の声を浴びせながら、抵抗することもできずに力を奪われ、死んでいくさまはなぁ! ひゃーっはっはっはぁっ!」
ナザレが両手を大きく広げ、顔を仰けて哄笑する。
(な、なんということだ……)
この男の言ってることが事実なら、この男はオストーの神としての力を奪ったということになる。
わしは思わずつぶやいた。
「神殺し……」
「くくっ……なかなかいいことを言うじゃないか! そうだ! 俺は神を殺して、その力を奪ったんだよ! 神としての地位を簒奪したんだ!」
「ば、馬鹿を言うんじゃないよ! そんなことができてたまるかい!」
「できるのさぁ。もっとも、いかな天才魔導師、いかな数百年を不老のまま生き続ける俺といえど、この世界の理に従っている限りは、神を弑することなんざできなかっただろう!」
「じゃあ、一体どうやったというんだ?」
わしが聞く。
「その答えも、コンジャンクションさ。俺はコンジャンクションによって外なる宇宙の力に触れ、その一部を手にすることに成功した! さっそくその力を使ってオストーの阿呆を罠にかけたってわけだ!」
ナザレは饒舌に語り続ける。
鈎のように指を曲げた手で、自らの顔面をなぞっている。
指の隙間から覗く目は、既にわしらを見ていない。
その時だった。
「――ロイド! ミランダ!」
わしとミランダは弾かれたように飛び出す。
声の方向にだ。
そこにはジャイアントがいた。
その足元に現れたアーサーが斧を振るう。
脛を砕かれたジャイアントが絶叫しながらその場に転がる。
ミランダとわしは、その脇をスライディングで抜ける。
その先にはジュリアーノがいた。
「話は後だ! 逃げるぞ!」
ジュリアーノとアーサーが駆け出す――外へ向かってではなく、サヴォン側へ向かって。
「お、おい、そっちは……」
「外側には間もなくドロモット軍が現れる! 時間切れだ! サヴォンに逃げ込むぞ!」
逃げるわしらを、ナザレは追おうともしてこない。
散発的にモンスターが襲い掛かってくるが、アーサーの斧とミランダの大剣、わしの魔法でいなしていく。
サヴォンの城門前にはコボルトの群れがいた。
ジュリアーノが反射的に速度を落とす。
「待て、そのままだ! アレを使う!」
わしの言葉に、三人がうなずく。
わしは呪文を唱える。
ロイドでは使えなかったという魔法を、わしなりにアレンジして使えるようにしたものだ。
「空気中の水分よ、水素と酸素に分離せよ、爆炎よ、水素と酸素を取り込み爆燃せよ――エクスプロージョン!」
コボルトの群れを爆炎が襲う。
ちぎれた肉片、ちぎれた四肢が宙を舞う。
詠唱は若干据わりが悪いが、起こそうとする現象をなるべく緻密にイメージした方が魔法の威力は上がるという。
中学校で習ったような初歩的な化学の知識だが、これだけで魔法の威力も安定度もロイドの倍以上になっている。
城壁の上で、冒険者らしき男が驚いている。
「あたしだ! ミランダだ! 中に入れてくれ!」
冒険者はミランダの知り合いだったらしい。
少し待つと、城門がわずかに開いた。
わしらが身体を横にして城門をすり抜けると、城門はすぐに大きな音を立てて閉ざされた。
城門の外から、モンスターたちが扉を叩く音が聞こえてくる。
「……まったく、死ぬかと思ったわい」
アーサーがつぶやく。
わしに、同意するだけの体力は残ってはいなかった。
物語は佳境ですが、おそらくこれが今年最後の投稿になると思いますので、ご挨拶を。
今年は『NO FATIGUE ~24時間戦える男の転生譚~』の3巻もあり、『焰狼のエレオノラ』もありと、とても恵まれた年でした。
それもこれも皆様のおかげ。
改めてありがとうございます!
いよいよクライマックスを迎える『1770』も、最近更新空きがちで申し訳ない『NO FATIGUE』も、完走を目指してがんばっていきます。
来年もよろしくお願いいたします!
それでは皆様よいお年を。
2016年12月30日
天宮暁




