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17⇔70 七十歳定年退職者、十七歳冒険者と魂だけが入れ替わる  作者: 天宮暁


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27.ロイド・クレメンス、聖櫃に囚われる

 そこは、暗く狭い場所だった。


(う、ぐぁ……ここは……?)


 俺――ロイド・クレメンスは、闇の中で手足を動かす。

 手足は問題なく動いたが、しかしなぜか狭苦しいと感じている。

 手にも足にも何の手応えもない。

 じゃあ空中かというとそれも違う。

 高いところから落下する感覚は空母に乗り込む時に存分に味わったが、今そのような感じがないのはあきらかだ。


 短いような、長いような時間をもがきながらすごす。

 身体は動く。息もできる。なのに苦しい。

 説明しがたい感覚の中に閉じ込められて、俺は不安と焦燥で叫び出したい気持ちになる。


 が、どうやっても声は出せない。

 正確には、声に出そうとしても、自分の頭の中でしゃべるのと変わらない感覚にしかならないのだ。


(そうか……身体じゃない。心が苦しいんだ……!)


 どこかに、俺の心は閉じ込められてしまったらしい。


 そう自覚した途端に、俺は直前の出来事を思い出す。


(そうだ、あの空母の奥で俺はオストーを発見して――)


 ってことは、まさか……


(ま、まさか……ここは聖櫃の中なのか!?)


 双子神オストーとオスティルを封じると言われる聖櫃。

 その中に俺は囚われてしまったらしい。


(くそっ! なんてこった! ここから出るにはどうしたら……)


 ヤバい。

 ヤバいヤバい!

 神を封じるとかいうとんでもない代物だ。

 生身の人間がここにいていつまでも生きていられる保証なんてない。


 そう思うと、心の奥底からとてつもない恐怖がこみ上げてきた。

 心が、恐怖で塗りつぶされる。


(嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ! オスティル、オスティルぅっ!)


 なりふり構わず、俺は心の中で叫びを上げる。


「……呼んだかしら?」


 唐突に、俺の前にオスティルが現れた。

 いつもの妖艶なドレス姿じゃない。

 どころか、一糸まとわぬ姿だった。

 ぼんやりと白く光る女神の裸身。

 長い銀髪が覆う華奢な身体は、触れれば壊れてしまいそうだ。

 俺は呆けて見入ってしまう。


 オスティルが俺の視線を追って、自分の身体を見下ろした。

 オスティルの顔が赤くなる。


「きゃぁっ!」


 オスティルが両手で身体を隠す。


「ち、ちょっと、あっちを向いて、ロイド!」

(む、無茶言うな! 自分が今どっち向いてるかすらわかんねぇのに!)

「わたしから目をそらすよう念じなさい!」


 念じる、と言われてもな。


(えーっと、オスティルから目をそらす、オスティルから目をそらしたくない、綺麗な身体をもっとよく眺めたい、あわよくば触れたい、自分のものにしたい)

「な、何を言ってるのよ!」

(い、いや、知らねぇよ! 頭が勝手に……!)

「ここは聖櫃の中よ! 欲望をちゃんとコントロールしなさい!」

(いきなり難しいこと言うなよ! 見たいのに!)


 ああ、くそ。どうも思考がおかしな方に進んでしまう。内心の欲望が、制御されないままに垂れ流される感じだ。


(こ、これは制御しないとヤバいことになるな。えーっと、煩悩退散煩悩退散……)


 いろいろ試行錯誤するうちに、なんとか思考を制御できるようになってきた。

 その間にかなりの時間が経っているようでもあり、そうでないようでもある。


「それで、これはどういう状況なんだ、オスティル」


 思考が制御できるようになると、言葉を口に出すことができるようになった。

 正確には、思考と発言を区別できるようになった、という感じだが。


「さっきも言った通り、ここは聖櫃の中よ。空母でのことは覚えている?」


 オスティルが、俺の背後から言ってくる。

 俺は振り向かずに答える。


「ああ。オスティルがオストーを封印しようとしたら、それはオストーの罠だったんだな」

「ええ……まんまとはめられたわ」


 オスティルがため息をつく。


「オストーはグレートワーデンにいる手下に、聖櫃を確保させ、その機能の一部を書き換えさせた。本来ならわたしとオストーを抱き合わせにして封印するはずの聖櫃を、わたしだけを封印するように改造させたのよ」

「で、オスティルは聖櫃の中、俺もそれに巻き込まれたってわけだな」

「……ごめんなさい」

「おまえが悪いわけじゃない」


 とはいえ、この状況は困ったものだ。


「俺が聖櫃から出ることはできるのか?」

「無理よ。わたしだって出られないのに」


 そりゃそうだ。


「……もう、わたしにできることは何もないわ。オストーの言ってた通り、わたしはすべてを悔いながら破局を見ていることしかできないわ」


 オスティルの言葉は、いつになく弱々しい。


「くそっ……桜塚のじいさん、聖櫃の確保に失敗したのか? あいつらがついてながらなんてざまだ」


 俺は思わず毒づく。


「オストーが上手(うわて)だったのでしょう。わたしが桜塚猛に聖櫃の保全を依頼するずっと前から――それこそ、コンジャンクションの起こる前から、手下に聖櫃を書き換える準備をさせていたのでしょう」

「オストーにはコンジャンクションが起こることがわかってたっていうのか?」


 俺の質問に、オスティルが首を振る。


「世界内存在である神に、世界を超えた現象であるコンジャンクションのことが理解できるはずはないわ」

「じゃあ、どうして?」

「オストーはおそらく、悪あがきをしていたのでしょうね」

「どういうことだ?」

「これが初めてではないってことよ。オストーは、聖櫃の封印の間隙をついて、外に手下を作っていた。そして彼らに自分の封印を解く方法を模索させていた。そのすべては失敗に終わっていたけれど、そこでコンジャンクションというイレギュラーが発生した」

「なるほどな」


 脱獄を狙う囚人が、ありとあらゆる手を考え、準備していたところに、ある日地震が起きて監獄の壁が崩れてしまった。準備万端だった囚人は、そのチャンスを逃さず脱獄に成功した……こういうことだろう。


「しかし、それが今更わかったところでどうしようもねぇな」

「そうなのよ……」


 俺とオスティルは揃ってため息をつく。


「ロイド。わたしは失敗したわ。この先には絶望しかない」

「そんなことは……」

「わたしがないというのだから、ないのよ。わたしは世界の終わるその日まで、聖櫃の中でむなしく絶望するしかできることがない」

「外の様子はわかるのか? 俺には何も見えないが」

「見るだけならできるわ。でも、わたしの存在はグレートワーデンから隔離されてしまった。外に干渉することはまったくできない。今のわたしは、生まれたばかりの嬰児(えいじ)よりも無力だわ」


 返す言葉を失った。


「ロイド。あなたもわたしと立場は同じ。ここから出られず、いずれ魂の期限を迎えて消滅するわ」

「……そうか」


 この息苦しい空間に死ぬまで閉じ込められる。

 絶望。

 その言葉の意味を、俺は生まれて初めて思い知る。


「でも、ロイド。わたしにはあなたにしてあげられることがあるわ」

「してくれること? 何だ、一体」

「あなたがこうなってしまったのはわたしの責任よ。それに、抱き合わせになるべきオストーは、ごくわずかな抜け殻のみを残して聖櫃から逃れてしまっている。つまり、わたしには神としての力が余っているの。その力で、あなたの魂を消滅から救うことができる」

「……よくわからん。どういうことだ?」


 俺が聞くと、オスティルはなぜか言いよどむ。


「……つまり、魂の期限によって自然消滅するのを待つか、消滅を逃れて世界の終焉の時まで、わたしとともにいてくれるか。そのどちらかを、あなたは選ぶことができる」

「それは……」


 途方もない話だ。


「あとは……もしあなたが望むなら、あなたの魂を今すぐ消してあげることもできるわ。もちろん、苦痛は一切なしで」

「せめてもの慈悲ってことか」


 冒険者として、死ぬ時は苦しまずにすっぱり死にたいとは思っていた。

 俺だけじゃない。桜塚のじいさんも、寝たきりになって人の手を借りて生きるくらいなら、いっそぽっくり逝きたいと思っていたようだ。その点だけは、桜塚の矜持(きょうじ)に共感する。


「魂の期限ってのはどのくらいだ?」

「普通なら百五十年くらいはあるのだけれど、この聖櫃の中では十日ももてばいい方でしょうね」

「と、十日」

「ただ、消滅から救うには早い方がいいわ。ギリギリになってからやっぱり生きていたいと言われても間に合わないの」


 つまり、今すぐにでも、永遠に生きるかさっくり死ぬかを選べってことか。


 酷い選択肢だが……オスティルの気持ちに気づかないほど鈍くはない。

 オスティルは、俺に一緒にいてほしいのだ。

 ともに絶望の味を噛み締めながら最後の時まで生き続けてほしいのだ。

 そうでなければ苦しいと。そうでなければ寂しいと。そうでなければ耐えきれないと言っている。


 黙り込む俺に、オスティルが言う。


「こ、こんなことを言うのはどうかと思うのだけれど……神であるわたしと魂でつながることは、人の身では味わえない、途方もない法悦をもたらすわ」

「法悦?」

「そ、その……すごいエクスタシーが間断なく襲ってくるということ。といっても、苦しいわけじゃないのよ? 気持ちよくて蕩けそうな至福の時間を、半永久的に味わえるということ」


 想像しにくいが、オスティルが言うからにはそうなのだろう。


「そ、それが気に入らないなら、わたしのそばにいてくれるだけでいいの……その、こういう誘いをするからには、わたしは……あの……」


 オスティルの言葉が尻すぼみになる。


「……いや、わかった。それ以上は言わなくていい」

「そ、そう」


 沈黙が流れる。

 その沈黙が数秒だったのか数日だったのかも、今の俺にはわからない。


 俺は瞑目して考える。

 オスティルの気持ち。提案。そして絶望的なこの状況。


「……なぁ、ひとつ聞いていいか?」

「何?」

「俺が、その法悦とやらにふけってる間、おまえはどうなるんだ?」

「…………」


 オスティルが黙り込む。


「やっぱり、おまえは辛いままなんだな。俺が法悦に浸っている間、おまえはひとりで世界の終末を見続ける。果てしない自責の念に苛まれながら」

「…………」


 オスティルはやはり返事をしない。


 俺は大きく息をついた。


「……わかった」


 俺は、オスティルに俺の出した答えを告げる。

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