26.ロイド・クレメンス、空母の中で――
艦橋から降り、今度は甲板の下、船体の方へと下っていく。
艦載機の整備を行うハンガーベイの下の階層には、乗組員の食堂があった。
その広い食堂で、襲ってきた兵士をまとめてのす。
再び狭い通路に入ったところで、奥から兵士たちが走ってきた。
が、
「チォゥミン! チォゥミン!」
兵士たちは、武器も持たずにこちらに向かって逃げてくるところだった。
彼らの中には血まみれの者もいる。
彼らの後ろからは、大きく開いた「口」が迫ってくる。
「口」は通路の高さ・幅とほとんど同じぐらいの大きさだ。その奥には、何列も並ぶ巨大な臼歯と、毒腺のついた分厚い舌。奥歯には、腹から下のない人間の身体と、はみでた腸が引っかかっている。
「メタルクロウラーか!」
鉱山などに棲む、鉱石を食って成長する大型のモンスターだ。
見た目に反して普段は大人しく、鉱石しか食わないらしいが、危険が迫ると人でも他のモンスターでも丸呑みにしてしまう。
表皮が金属のように硬いため、いったん暴れだすと手のつけようがない。
サヴォンの冒険者ギルドではAランクとされるモンスターだ。
「ファイアアロー、クアドラプル!」
四条の火の矢を生み出し、メタルクロウラーの鼻先に撃ち込んでやる。
メタルクロウラーがうとましげにみじろぎした。
その間に兵士たちが俺の方に駆けてくる。
この世界に存在しない魔法を見せられたわけだが、それに反応する余裕すらないらしい。
「ドゥオビィ!(逃げろ!)」
俺の言葉に兵士たちがぎょっとする。
いや、正確には俺の容姿にだ。
おそらくは、アニメの仮面をつけた白髪のジジイを始末しろ、と命令されているのだろう。
「んなこと気にしてる場合か! おまえらじゃどうにもならんから――タオビィ!(逃げろ!)」
兵士たちが逡巡する。
メタルクロウラーが動き出す。
背後から迫る気配に兵士たちが悲鳴を上げ、俺の後ろに向かって逃げ出した。
「後ろから狙われないようにしてよ、ロイド・クレメンス」
オスティルの言葉にうなずきつつ、俺はワンドと刀を構える。
メタルクロウラーを倒すのは難しい。
そもそもが挑発しなければ襲ってこないはずのモンスターだ。ギルドの推奨する対処法は、「触らぬ神に祟りなし」。
しかし、目の前のメタルクロウラーは既に逆上してしまっている。
「兵士たちがパニックになって攻撃したのか?」
この世界では、こんな生き物はパニック映画の中にしか出てこない。
驚いて銃を向けるのはむしろ当然の反応だろう。
「いえ、この個体はダンジョン用に改造された亜種のようね。攻撃性が強くなってるわ」
「ダンジョン用だって?」
メタルクロウラーが迫る。
俺の位置からは、その口内しか見られない。
その凶悪な口腔が視界いっぱいに広がるのを待って、俺は唱える。
「貫け、疾風迅雷――チャージングスプライト!」
ドンッッ!
衝撃とともに、視界が開ける。
さっきまで見えなかった通路の奥が目の前に広がっている。
振り返る。
そこには、胴の真ん中に風穴を開けられたメタルクロウラーの姿があった。
雷と風の複合魔法。
疾風迅雷と化して短距離を突き抜ける荒業だ。
さしものメタルクロウラーも、腹の中から食い破られてはどうしようもなかったらしい。
ずしゃり、と湿った音を立ててメタルクロウラーが通路に崩れる。
俺は、隣についてきているオスティルに言った。
「ちょっと待て! ここにモンスターがいるのだっておかしいのに、ダンジョン用だと?」
そこまで言って、俺は気づく。
「まさか……」
「そのまさかよ。この空母、この階層から下がダンジョン化しているわ」
「お、おい……たしか空母ってのは、数千人の乗組員のいる海上都市って……」
乗組員たちは、いきなりダンジョンの中に放り出されてしまったことになる。
俺は、米軍から提供された見取り図を取り出す。
「ってことは、この見取り図も役に立たなくなっちまったわけか?」
「そうとは限らないわ。この空母はついさっきまではダンジョン化していなかったはずよ。そうでなければ航行できないし、さっきの副艦長が気づかないはずがないでしょう」
「そりゃそうか」
要するに、ダンジョンではあってもまだ若いということだ。
若いダンジョンなら、内部構造の変化はまださほど大きくはないだろう。
「でも、相当に見境なくやってるみたいね。気配からすると、ダンジョンコアが複数ありそうだわ」
「ダンジョンコアが複数だって? そんなことがありうるのか?」
「ダンジョン同士が干渉しあって不安定になるのだけれど、短期間ならばむしろダンジョンの成長速度を速めることになるわね」
「面倒な……」
俺は見取り図を片手に通路を進んでいく。
時折、乗組員と遭遇する。
英語と身振り手振りで今来たルートを説明し、避難させる。
ついでに、どこから逃げてきたのかを聞かせてもらう。
危険な方に進んでいけば、自ずとオストーへ近づくことになるはずだ。
途中、ダンジョン化で通路がねじれていて迷ったが、小一時間ほどで俺は司令官公室の前にやってきた。
オスティルとうなずきあい、武器を構えて油断なく扉へと近づいた。
「――開いてるよ。さっさと入ってきたらどうだい?」
扉の奥から声が聞こえた。
十代半ばくらいの少年の声だろう。
「……オストー」
オスティルがつぶやく。
俺は、数歩下がり、扉をエクスプロージョンで吹き飛ばす。
粉塵が消えないうちに室内に飛び込む。
地面を転がり、刀を奥に突きつける。
刀の先にいたのは、金髪のあどけない少年だった。
しかし――なぜだろう。笑みを浮かべたこの少年の顔を見ていると、どうしようもなく胸がざわつく。息がつまり、腹の奥に鉛を流し込まれたような気分になる。
「ふふふっ……君が、妹のお気に入りってわけか」
少年が口を開く。
「オストー。ついに追いついたわ。あなたにもう逃げ場はない。観念なさい」
オスティルが少年――オストーに冷たく言う。
オストーは、上等そうな白いシャツとジーンズというカジュアルな服装だ。襟元のアスコットタイをいじりながら、オスティルに向かって微笑んだ。
「ひさしぶりだっていうのに、ずいぶん冷たいね、オスティル。ふたりきりの家族じゃないか」
「ええ、そうよ。わたしとあなたはふたりきり。あなたの悪を、わたしの善で相殺する。そうして差し引き零になるのがわたしの役目」
「虚しくならないかい? オスティルだって、あの薄暗い箱の中に閉じ込められるのは嫌だろう?」
「わたしは構わないわ」
「本当に?」
「わたしの本質は、愛よ。わたしの犠牲で人々が平穏に暮らせるなら、それがわたしの歓びなの。それに……オストー。お兄様」
「なに?」
「ただひとりのきょうだいを抱いて眠るのは、わたしにとってはとても快いことなのよ」
オスティルの言葉に、オストーの笑顔が凍りつく。
「っふざけるな! 僕はもうごめんなんだよ、クソ妹! おまえの独善的な愛とやらに縛られて、息ひとつできないような状況で永劫の刻を過ごすのはね!!」
オストーの身体から、黒いオーラのようなものが噴き出した。
オーラは公室の床を、壁を黒く染めていく。
机の傍らに置かれた地球儀が、七星紅旗が、闇色の何かに呑まれていく。
「……馬鹿ね」
オスティルは冷静につぶやいた。
「わたしたちは双つでひとつの存在。わたしがあなたに会えば、あなたは双つになることから逃れられない」
オスティルがオストーに近づいていく。
オスティルは黒いオーラを放ちながら後じさる。
その顔には焦りの色が浮かんでいる。
「さあ……眠りましょう、お兄様。甘い眠りの中で、外のことは忘れてしまいましょう?」
オストーが、壁に背を預けたままへたりこむ。
オスティルが、俺を振り返って言った。
「ロイド・クレメンス。これが最後になるかもしれないから言っておくわ。これまで、ありがとう」
「なっ……ちょっと待てよ! これが最後ってどういうことだ!?」
「言ったでしょう。わたしはオストーを封じるために造られた存在なの。そして、わたしとオストーが抱き合わせになったら、わたしたちは聖櫃の中に封印される。グレートワーデンに渡った桜塚猛が今頃確保しているはずの聖櫃に、ね」
「ま、待て! 俺は言ったよな!? おまえは仲間だって……おまえを犠牲にするのは嫌だって!」
「その気持ち、とっても嬉しかったわ。オストーを封じるためだけに造られた、神とは名ばかりの人形でしかないわたしを、あなたは人のように愛してくれた」
「あ、愛って!」
言っとくが、俺はオスティルとそういう関係は持っていない。
「だって、愛でしょう? 誰かを愛おしい、失いたくない、そう思うというのは。でもね、ロイド。愛するのは、わたしの仕事なの。人々を愛し、オストーを愛し、永遠の甘やかな眠りを愛する。それが、わたし」
「……本気で言ってるのか?」
「さて、ね。どちらにせよそうするしかないのだから、わたしはそうすることを愛したい」
オスティルがへたりこんだままのオストーの頬に指を伸ばす。
「ロイド。わたしとオストーが聖櫃に封印される際に生じる余波で、あなたもグレートワーデンに戻れるわ。桜塚猛との入れ替わりも、その時に元に戻せるはず」
「そ、そりゃあ、そいつは重要なことだが……」
くそっ。そうするしかないのか。
神であるオスティルの感覚は俺とは違う。だから俺は何も間違ったことはしてないはずだ。
それでも、ともに戦い、ともに暮らした相手が永遠に目覚めることのない眠りにつくというのは……。
「ロイド。あなたは優しい人ね。その優しさを、わたし以外の誰かに向けなさい。それから、自分を責めないで。わたしは、こうなるように運命づけられているのだから」
オスティルの指がオストーの頭にずぶりと入る。
「あ゛、あ゛、あ゛……」
オストーが顎を開き、目を見開いて呻き声を上げる。
「僕、は……こんなところで……」
オストーが白目を剥き――
「――なぁんてね」
オストーがいきなり、オスティルの指を両手で掴んだ。
「なっ……!」
「ざぁんねん。君は罠にハマったんだよ、オスティル」
「わ……な?」
「そう。グレートワーデンでは、既に僕の手下が聖櫃を確保している。優秀な男だよ、ナザレは」
オストーが唇を吊り上げる。
「僕たち兄妹が出会うと抱き合わせになって聖櫃に封印される。その通り。でもね、僕はナザレに言って、聖櫃に細工を施させた」
「なんですって!」
「もう君にはどうしようもないから種明かしをしてあげよう。僕たちは抱き合わせになって聖櫃の磁力に引かれ、グレートワーデンに引き戻される。ここまでは同じだ」
オストーが、オスティルの指を掴んだまま立ち上がる。
刀を構える俺を、オストーがちらりと見て鼻で笑う。
「だけど、聖櫃に封印されるのは、オスティル、君だけだ。僕は封印されない。正確には、ちょっとは封印されるんだけどね。僕の一部だけをオスティルと抱き合わせにすることで、聖櫃を騙すんだ。本来ならそんなことはできないのだけれど、ナザレの細工で聖櫃は少し馬鹿になっている。そう長くもつような細工じゃないんだけどね」
「まさか……それじゃあ、お兄様が人民解放軍を動かしたのは……」
「そうさ。オスティル、君をおびき出すためなんだよ。ナザレの細工が効果を失わないうちに、君に見つかって、僕と抱き合わせになってもらう必要があったんだ」
「そんな……!」
「くくく……そうさ、オスティル。そのためだけに、人民解放軍だけで八万人以上、日米を合わせれば八万三千人を超える人間が犠牲になったのさ。どうだい、愛の神サマ? 自分をおびき寄せるためだけに、そんなにもたくさんの人間が犠牲になった気分は!」
「あ、ああ……」
オストーがオスティルの指をぎりぎりと握りしめる。
オスティルが顔を歪めているのは、その痛みのせいかどうか。
俺は叫ぶ。
「オスティル! 撤退だ! ここから逃げるんだ! 甲板上でも海の上でもどこでもいい! 今すぐテレポートを使え!」
オスティルが首を振る。
「む、無理よ……! もう抱き合わせは始まっているの。聖櫃の引力が……ああ……」
「くくくくくっ! どうだい、妹よ! 君は、今の今まで、僕のことをずっと下に見ていただろう! 妹の胸先三寸で封印される無能な兄だと! でもねぇ、違うんだよ! 本当に馬鹿なのは誰かということさ! 君だよぉっ、オスティル! 君が馬鹿で無能なせいで、この世界でもグレートワーデンでも数えきれないほどの人が死ぬんだァっ! そして君は、その光景を薄暗い聖櫃の中で後悔しながら見ていることしかできないんだよォっ! ひゃぁっはっはっはぁっ!」
オストーの口は大きく裂け、目は限界まで見開かれている。
「ちくしょう! どうにかできねぇのか!」
俺は手にした刀とワンドを意味もなくぶらつかせる。
何もできない!
神と神の戦いに、俺ができることなんて何もねぇ!
「ひゃっはっはぁっ! 来たよ来たよ来たよオスティル! 聖櫃様のお出迎えだァっ!」
ずん、と、急激に重力が増えたような気がした。
見た目には何も変化がないが、身体の――いや、魂のどこかが何かに強く引っ張られている。
それはまるで落ちているような感覚だった。
視界が徐々に暗くなり、耳に入る音が徐々に歪んでいき、鼻は嗅いだことのない匂いにかきまわされ、舌には強い酸味が襲いかかる。
「う、あ、あ、あ……!」
俺は、暗く、ぬめぬめした闇に呑み込まれ――




