19.桜塚猛、ギルドの不正を暴く(2)
払暁。
サヴォンの街のあちこちに、人だかりができていた。
人だかりの中心になっているのは、目立つ場所にある壁や塀や柱に貼り付けられた魔獣紙だ。
魔獣紙に書かれていることはどれも皆同じだ。
いや、正確には、どの魔獣紙も、判で押したように同じ書体、同じ大きさの文字が書きつけられている。
見る者によってはそこに存在する「技術」に驚いたかもしれないが、大半の者にとっては、魔獣紙に書かれている内容こそが問題だった。
魔獣紙の最上部には、大きな文字でこう書かれていた。
『冒険者ギルド・サヴォン支部の不明朗な会計処理についての公開質問状』
その次の行には、『ギルドの腐敗を憂う冒険者有志一同』と署名されている。
『我々は、サヴォンギルドにはびこる腐敗に警鐘をならすべく、この質問状を公開する。』
シンプルなその文言の下には、依頼書と受注書の報酬金額が異なっているという指摘と、その詳細な記録が一覧にまとめられている。さらに、どの冒険者がいくら損をしているかを集計した表まで用意されていた。
『以上、この数ヶ月に限っても、金貨233枚銀貨7枚に及ぶクエスト報酬の中抜きが行われている。そのすべては、受付嬢キャリィ・ポメロットとその共犯者である副ギルドマスター、ザハルド・ゴージーの懐へと入っている。』
感情のまじらない、淡々とした文章だけに、一読しただけでは意味が汲めない者もいるだろう。が、読み返し、事態を把握するにつれ、それがどれだけとんでもないことか、自ずと想像できるようになっている。
『この金は本来、危険と隣り合わせの現場で命を張ってクエストの解決に尽力した冒険者へと支払われるべきものである。では、この金はどのように使われたのだろうか? 我々は当該受付嬢と副ギルドマスターを極秘裏に調査した。』
告発文は、それとなく読者の怒りを煽りつつ、積み重ねた事実にものを語らせる。
『二名は、横領した金銭を、隣町であるフルメンの街に蓄えていることが、我々の調査によって判明した。フルメン郊外には、もともとは領主の別邸であった屋敷が存在する。副ギルドマスターは偽名を用いてこの屋敷を購入、屋敷の中に財貨を蓄えている。我々冒険者が命がけで稼いだ金は、絵画、彫刻、衣装、家具、什器、陶磁器などに姿を変え、この郊外の屋敷を、領主の館だった往時を偲ばせるほどに華麗なものへと変身させている。』
張り紙を見る何人かの者は、告発文の婉曲な言い回しがすぐにはわからず、周囲の者に確かめている。
『この館は、フルメンではキャリィズハウスと呼ばれている。もちろん、この屋敷の女主人の名前から取ったものだ。この女主人は留守がちで、月に二度、二~三日滞在するだけだという。女主人の現れた日を、サヴォンギルドの出退勤記録と照合すると、キャリィ嬢が街の外に出張した日、及びキャリィ嬢の休日とぴたりと符合している。我々の同志がフルメンで行った聞き取り調査でも、この『キャリィ』を名乗る女主人の人相は、サヴォンギルドの受付嬢キャリィ・ポメロットのそれと酷似している。』
回りくどい、という意見もあったが、告発文を作る以上は、検証可能な事実を可能な限り盛り込むべきだと、わしは皆を説得した。
『我らのクエスト報酬で維持されているこのキャリィズハウスでは、月に一度、地元有力者を招いての大掛かりなパーティが開催されている。このパーティの主催者こそ、サヴォンギルドの副ギルドマスター、ザハルド・ゴージーに他ならない。彼は、蓄えた金品を、時にそのまま、時に美酒や贅を尽くした料理へと変換して、土地の有力者たちに提供している。我々の調査の及んだ範囲では、この『有力者』にはフルメンの領主やその親族の他、フルメン一帯を知行するブーネン公爵の側近までもが含まれる。他にも、中央に近い貴族が出入りしているとされるが、我々の限られた調査能力では、残念ながらそこまでは解明できていない。』
すべてを知っている、とはあえて書かなかった。
わからなかった部分もある。
そう書くことで、わかった部分についての信憑度が上がるはずだ。
『事件の全容を、最後にもう一度整理させていただこう。副ギルドマスター、ザハルド・ゴージー及び受付嬢キャリィ・ポメロットは、結託してクエスト報酬の中抜きを行っていた。が、悪賢い彼らは、蓄えた金銭をサヴォンで使っては足がつくと考えた。そこで彼らは、冒険者ギルド同士で相互連絡を行っている隣町フルメンに目をつけた。彼らはギルドの公用馬車の積み荷に不正に蓄えた金銀を積み込み、フルメンへと運びだした。フルメンの冒険者ギルド職員の証言によれば、サヴォンからフルメンの冒険者ギルドへ送られる公用荷物の一部が、未開封のまま別所へ持ちだされることがあるという。未開封の積み荷は、ザハルド子飼いの人夫が、フルメン郊外にある館へと運び込む。かくして、冒険者が危険と引き換えに稼いだ金は、キャリィズハウスに秘匿されることになるのだ。』
最後の一文を繰り返し朗じて、怒りに顔を染めている者がそこここにいた。
『この金は、所有者の必要に応じて、実にさまざまな使途に用いられる。この場合の『必要』とは、むろん、キャリィ嬢の、言いなりになる男をはべらせて派手な遊びがしたいという『必要』だとか、ザハルドの、有力者に賄賂を送って自身の栄達を買いたいといったような『必要』のことをさしている。我らが血を流し、友を失ってまで稼いだ金は、キャリィ嬢の遊興費とザハルド氏が有力者に送る賄賂へと姿を変え、サヴォンになんらの利益をもたらすこともなく、むなしく浪費されてしまったのである。』
ここまで読むと、怒りのあまりに、道を駆け出していく冒険者もいる。
冒険者は他の冒険者を見つけると、張り紙へと連れてくる。
中には、武器を取って、ギルドに怒鳴り込んでいく者もいた。
が、ギルドの方でも、とんでもない混乱が起きている。
そもそも、張り紙の存在にいち早く気づいたのはギルドの職員だったはずだ。
ギルドの壁といい扉といい、およそ目につくところ一面に、この張り紙が貼られていたからだ。
朝一番でギルドにやってきた職員は泡を吹き、他の職員がやってくるのを待って、対処を協議しはじめた。
幸いにしてか、不幸にしてか、渦中の二人はちょうど出張に出てサヴォンを留守にしている。
もちろん、わしらはそのタイミングを見計らってこの挙を起こしたのだが。
最初にやってきた課長級の指示で、ギルドの建物に貼られた張り紙は、職員の手によってすべて撤去された。
さいわい朝の早い時間で、冒険者の目にはつかなかった……と、本人たちは思ったに違いない。
が、張り紙は、ギルド以外の場所にも用意されていた。
わしらが木版を利用して刷った質問状は全部で300枚。ロイドのパーティメンバーの他に、内々に協力を取り付けた他の冒険者たち(キャリィズハウスの件について調査してくれたのも彼らだ)の協力も得て、夜明け前に街中に貼りまくった。
ギルド職員が、張り紙について議論しながら、互いに疑心暗鬼になっていたところに、次々と冒険者が押しかけてきた。
何人かは質問状を手に握り締め、これは本当かと問い詰めてくる。
中には、中抜きの被害に遭っていた冒険者もいる。彼らは質問状のリストを示して、不払い分の報酬を払えとギルド職員に詰めかかる。
ギルドとしては、当然真偽の不確かな質問状だけで金を払えるわけもない。
本当かと聞かれても、主犯として告発されている副ギルドマスターとキャリィ嬢はちょうど街を出てしまっている。
結果、答えに窮する職員たちと、詰めかける冒険者たちの間で、埒のあかない押し問答が繰り広げられることになった。
押しかけているのが武装した冒険者だけに、へたな対応をすれば事態は暴動へと発展しかねない。
昼近くになり、人でいっぱいのギルド受付には、異様な熱気と緊張感が立ち込めていた。
「……さて、そろそろ出番かねぇ?」
わしの隣で、ミランダが意地悪く言った。
わしらは、ギルドが見える路地裏に陣取って、混乱するギルドの様子を見守っていた。
ジュリアーノが言う。
「しかし、ここまでうまくいくとはな。文章に工夫は凝らしたが、我々は証拠なんてひとつも示してない。あれだけの冒険者が、あやふやな告発文に煽られてギルドに押しかけていくとは思わなかった」
「まったくじゃわい。情報の真偽も確かめずに行動するなど、冒険者として最も避けるべきことじゃろうに」
アーサーが呆れ声で言う。
「そうでもなかろう。人間は感情の動物だ。とくに、それが集団になればなるほど安易な方向に流れやすくなる。誰々は言っていた、誰々も言っていた、他の人もこうしているのだから本当なのだろう……人間とはそのように周囲を見て自分の信じたいことを信じようとするものなのだ」
わしには戦争の経験はない。
わしが生まれたのはあの戦争が終わってからだ。
だが、自分の父親や祖父は戦争を知っている。
政府の発表を疑いもせず、戦争へと突っ走っていったあの時代のことを。
わしが中高生だった頃には、安保闘争も活発で、学生が東大の安田講堂に立てこもったりしていた。
石油危機の時には、どういうわけかトイレットペーパーの買い占めに走る者が急増した。
バブルの時には、絶対儲かるから、他人も儲けているからと、株やら絵画やらゴルフの会員権やらを高値で売買する輩もいた。
歴史が趣味のわしは、古今東西の名演説を調べてみたことがある。気に入ったものは暗誦すらしている。
素朴で粗野な辺境の冒険者たちを煽るのは、役員をおだてて認可を得るよりずっと簡単なことだった。
「ギルドが本当に冒険者から信頼されていたら、ビラの方の信憑性が疑われただろう。そうでなかったということは、みな薄々何かに気づいていたのかもしれん。少なくとも、報酬が少ないことに不満を持っている者が多かったのではないかな」
「かもしれんのぅ……」
わしの言葉にアーサーが顎鬚を撫でる。
ミランダが、やや焦った様子で言う。
「ちょっと、さすがにそろそろ介入しないと、刃傷沙汰になるよ!」
わしはギルドに視線を戻す。
ギルドの受付では、荒っぽそうな冒険者が、顔を赤くしてギルド職員につかみかかるところだった。周囲の他の冒険者もそれを止めない。どころか、囃し立てている始末だ。
「予定通りだな。では、行くか」
わしの言葉に一同がうなずく。
が、わしが隠れていた路地を出かかったところで、ギルドに動きがあった。
「――静まりなさい」
その声は、さして大きくなかった。
が、不思議なほど通る声だった。
興奮していた冒険者や職員が、冷水を浴びせられたような顔で、声の方を向く。
そこにいたのは、
「……ギルドマスターじゃないかい」
ミランダがつぶやく。
ギルドの喧騒を収め、衆目の真ん中に堂々と立っているのは、30ほどの中肉中背の男だった。取り立てて目立ったところのない、平凡な顔立ちだが、今あの場に立っている当人からは、妙な貫禄を感じてしまう。
わしは首を傾げてミランダに聞く。
「ギルドマスター? たしか、事なかれ主義で、ギルドの実権をザハルド――副ギルドマスターに握られてるという話ではなかったのか?」
「その通りのはずなんだけどね……?」
ミランダが眉をひそめる。
その間に、ギルドマスターが前に出た。
口を開くか――そう思ったが、ギルドマスターはなかなか口を開こうとしない。
わしは、アメリカの大統領が大事な演説の前にこうしてタメを作っていたのを思い出した。
優に十数秒は待たされた。
その間に、観衆の注目はギルドマスターに完全に集まっている。
「聞け、冒険者たちよ。早朝に貼りだされた告発文のことは、既に私は把握している。重大な告発だと、私も思う。が、何分急なことだ。ここに書かれていることが事実かどうかは、ひとつひとつつぶさに調査しなければわからない。日頃、複雑なクエストに対処している冒険者諸君には、ご理解いただけるのではなかろうか」
ギルドマスターの落ち着いた語りに、冒険者たちが互いの顔を見合わせる。
中にはきまり悪そうにしている者もいる。踊らされてしまったと気づいたのかもしれない。
「告発文は、真実であれば、勇気ある者の義挙であろう。が、もし偽りであれば、ギルドと冒険者の信頼関係にヒビを入れることを狙った姑息な卑怯者のしわざだということになる」
卑怯者……と、冒険者がざわめく。
「……まずいな」
わしはうめく。
あのギルドマスター、間違いなく「うまい」。
告発文を真っ向から否定せず、受け止めた上で、やんわりと、卑怯な手段だと示唆している。
ギルド内の風向きが、あきらかに変わり始めていた。
「だが、私はあえて告発者を非難することはすまい。もしこれが事実ならば、告発者がこの問題の解決をギルドに持ちかけなかった心情は察するに余りある。要するに、私たちギルドが至らないばかりに、告発者は我々を信じることができなかったのだ」
悲しげに、ギルドマスターが首を振る。
冒険者たちが、居心地悪そうに互いの様子をうかがっている。
「私はここに誓おう。この問題を、決してなおざりには扱わないと。告発文にある二名については、戻り次第事情を聞き出し、証拠を突き合わせ、もし事実ならば厳正に処罰することを約束する」
おおお、と冒険者たちがざわめく。
「が、告発者たちよ。もし、この声が届いているなら、考えてほしい。君たちは、本件について重大な証拠や証言を抱えているはずだ。私もむろん、綿密な調査を行うが、調査に粗漏があっては困る。何も、ここで名乗り出てほしいとは言わない。ただ、君たちにしかわからないこともある以上、ギルドの捜査に協力してほしいのだ」
そりゃそうだ、と冒険者の誰かが言う。
「……暗に、証拠もなしに言ってるだけだったら出てこれないだろう、と言っているようだね」
と、ジュリアーノ。
「名乗り出なかったら、告発は事実無根だった……で決着させる可能性も否定はできんぞ」
アーサーが言う。
「……それにしても、ずいぶん噂と違うじゃないか。あれがザハルドの傀儡になるようなタマかい?」
ミランダが首を傾げている。
「この場を収めた胆力は、実際大したものだ」
わしはつぶやく。
計画では、ギルドに冒険者が詰めかけて、どうしようもなくなったところで割って入り、決定的な証拠をつきつけるはずだった。
が、あのギルドマスターが場をうまく収めてしまったことで当てが外れた。
あげく、嘘でないなら出頭せよと、遠回しに要求されてしまっている。
こっちにとっては嬉しくないサプライズだ。
しかし、
「やり手ではあるな」
「おや、サクラヅカ翁の、彼への評価は高いんだね?」
「評価せざるをえんだろう。調べた限りでも、ザハルドとキャリィの横領に、ギルドマスターが関わっていた形跡はなかった。しまらん結末ではあるが、ギルドマスターに後事を委ねるのがよかろう」
わしは肩をすくめる。
「わしらの目的は、不正を暴いて正義のヒーローになることではないのだ。エルヴァからの要請文も、あの男ならば無視はすまい」
ジュリアーノとアーサーが、わしの言葉にうなずく。
が、ミランダだけはためらっている。
「うーん……やり手なのはたしかだけど、ちと計算高すぎやしないかい? ずっと爪を隠してたってことだろう? でもまぁ……悪いことにはならない、かねぇ?」
迷いながらではあったが、ミランダも最後にはうなずいた。




