プロローグ:招かれた狂犬とメガネ
光が奔る。不規則な動きで進む光の軌跡は宙へと消えず、全てが絡み合って複雑な模様を描いた。
「よし」
「まずは成功か」
誰かと誰かの小さな声が響いて、ほんの少しだけ室内の空気が緩む。当然だ。ここまで来るために、彼らは大変な労力と時間をつぎ込んだのだから。
だがここからが本番だ。何しろ他の理で存在して生きるモノを無理に引き寄せるのだから。もちろん相手にもだが、こちらにも、ただの一つですら問題が起きてはならない。引き寄せたモノを保護するためには完璧な仕事が必要だ。保護した存在を何の問題も無く送り返すためにも完璧な仕事が必要だ。いかなる工程においても失敗は許されない。もう一度、室内が緊張で張り詰めた。
「さて、どう出るか……」
さらりとしなやかな蜜色の髪を腰まで流し、女性にも見える中性的な細面を緊張から無表情で固めた長身の男性が、隅に用意された椅子でじっと座ったまま榛の目を部屋の中心に据えている。歳は三十、王としては若い彼が各国から重要な儀式を任されているのは、ひとえに彼の系譜とこの国の歴史によるものだ。
「何かおっしゃいましたか?」
「いや、つまらぬ独り言よ。気にするな」
「かしこまりました」
零した声を拾った部下の気遣いに笑い、手を払って作業へ戻るよう命じる。ただでさえ精密な作業なのだから、自分にかまけている余裕など無いと理解していた。何しろ部屋には人数にして四十、それが忙しなく動き回っているため、謁見の間ほどではないとはいえ小規模な舞踏会を開けそうな部屋が手狭に感じるほどだ。それでも万全を期すには少ないのだから、一人一人の作業量は少ないはずがない。
魔王と呼ばれる存在がある。暫定で名を与えられたそれは生命体ではなく世界に澱む、魔力を含めたあらゆるチカラが固まったものだ。負が凝り固まったそれは世界を狂わせる。存在するだけで周囲の空気を穢し、動物たちを凶暴化させ、ソレと同じように澱みから魔物を生み出してしまう。放置すれば汚染は広がり、人や通常の動物たちの生きる場所を侵していくのだ。
それを対処できるのは『この世界』に根を下ろしてはいない存在のみ。そう心得ている王は、その後は決して口を挟まずひたすら場が整うその時を待ち続けた。
「門が開くぞ!」
未だ柔らかな光が描く模様の上、まるで本物に見間違えそうな『門』が地面と水平に現れた。大柄な男性よりもさらに頭三つは高い位置だろう。やはり光を放つそれがゆっくりと高度を下げ、応じて床の光と門の光が強くなる。眩しさに眩む視界のむこう、待ち望んだ『客人』が段々と姿を現した。
――嘘だろう……。
頭に浮かんだ気持ちを誓って口には出さなかったが、しかし室内の全員とも、仲間が自分と同じ気持ちだということを疑いもしなかった。常温であったはずの室内が凍りついたように静かだ。
僅かな光を放ったままの陣に出現したのは少年と少女が一人ずつ。年の頃は十六、七。白いシャツ、紺のジャケット、臙脂のタイと、少年は紺のズボン。少女の方は膝が見えるほど短い紺のスカートだが、性的なものを感じさせないのは、細い足が黒く薄い布のようなものに包まれているからだろう。揃いの服は奇抜ではあるが上等な作りだ。少年が手にしている半開きの鞄からは何冊もの本が確認できた。
また、二人ともに茶色がかった黒の瞳は、機工術の栄えた国では眼鏡と呼ばれていた二枚の硝子で覆われている。どちらも細い楕円形だが少年は黒縁の太枠、少女は細い銀の枠とそれぞれに違うことから、自分の好きなものを作らせることが出来る財力も窺える。
諸々の様子から、王は彼らを使用人ではなく学者の卵だと見当をつけた。
――ビシリ
床は石造りのはずだが、少年たちが強く踏み出しただけでヒビが走る。それに驚いたのだろう。踏み出した右足をそろりと上げて、少年はまじまじと床を観察している。その様子を見た少女はしゃがみ込み、コンコンと床石を叩いていた。力加減はしているのだろうが、それでも時折破砕音が小さく聞こえる。
見た目は何の変哲もない少年少女なのだ。にもかかわらず、一片とは言え超人的な力を見せている。もともと力のある人材という召喚条件や、その客人に女神が与えるさらなる加護のことは周知の情報ではあるが、例えば彼らがむさ苦しい大男だったとしたら然程驚かなかったかもしれない。成長途中の華奢な体から繰り出すそれらの様子は、視覚的な暴力として王たちに襲いかかった。
「っ、待て!! 陣の線を越えるな!!」
だが、驚いてばかりはいられない。今まさに二人が召喚陣を踏み越えようとしたところでハッと気づき、王は慌てて静止の声を上げた。その線を踏み越えれば事態は望まなくとも転がるしかない。そのような一方的な契約は望むところではないのだ。
「えっ!?」
「っ、う、っく!」
突然の制止に驚いた少年がよろめき、体の支えを探すため踏み下ろそうとした足。それでもなお間に合わないと判断したのか、彼の足を連れの少女が後ろから力任せに引き寄せることでどうにか円の内側に留める。体勢を崩して本格的に倒れこんだものの、間一髪。奇跡的に線は踏み越えられていない。
目を見開けば存外幼い表情の少年は浅く呼吸を繰り返したかと思うと飛び起き、大きく身を引いた。同時に少女の腕をつかんで立ち上がらせると勢いよく引き寄せ、よろけた華奢な体を軽く支えただけで背後に押し込む。
いつでも逃げられるようにか、少年の右手は少女の左腕を後手に掴んだままである。かなり乱暴な動きに少女が文句を言う様子はなかった。
「何だよ、お前ら」
気が付けば見知らぬ場所にいて、歩み寄ろうと思えば怒鳴られた。二人にとってはそれが事実だ。彼らの感情が悪方向に傾くのも無理はない。刺々しい声と空気を発して、少年は眼鏡に阻まれてもなお鋭い視線を、大声を上げた王にひたりと合わせた。
この世界では解決できない物事を解決できる人材。この召喚陣から現れたということは部屋にいる大人たちが敵わないほどの強大な力を持つ存在ということだが、これほどまでに年若いことが密かに恐ろしい。
それでも王は王だ。心に湧いた恐怖をどうにか誤魔化して、召喚陣のふちからさらに大人三人分程度の距離まで歩み寄り、足を止めた。
「落ち着いて、話を聞いてほしい。……その陣はこちらの世界とそちらの世界の中間点なのだ。そこから出ずにいればすぐに返すことができる。だが、できるなら、我々の話を少しばかり聞いてほしい」
何も言わず、ぐっと眉間にしわを寄せている。こちらの兵のうち誰かが身じろぎをすればビクリと少女が反応し、それを庇うように少年が少女と兵の間に体を移動させる。しばらくの後、ようやく少年は頷いた。
「話を」
「あぁ。……まずは、突然呼び立てて済まない」
これから言うことは誤解を生むだろう。そこからこの世界の人ならざる力を持った少年たちがどのように動くのか予想することはできるが確実とは言えない。過去の文献が示した近い未来を思いながら、それでも王の口は澱みなく動いた。
「私のことは王と。本来の名を名乗ることはできぬが、王と呼んでほしい」
「はぁ?」
ガツンと音がして少年の足元の石が割れた。苛立ちまぎれに踏み割ったようだ。少女はと言えば何を思っているのか、不思議そうな顔から正しく内面を読み取ることはできない。
下手につつけば何をするかわからない若者特有の空気を感じるものの、召喚陣に決定的な損害を与えていないあたりに冷静さも見える。それは王たちの制止を聞いたからというよりも、彼らを信用していないからこそ決定的な行動を起こしていないだけの話だ。
(良くも悪くも若い、ということか)
彼らの気持ちを大人たちは全員が理解していた。それはそうだろう。無理やり連れてきておいて、わざわざ偽名だと宣言してから名を名乗ったのだから。本名を名乗る誘拐犯など存在しないだろうが、被害者からすればそのような『常識』など関係の無いことだ。大人であれば本音と建前を分けた対応をするだろうが、彼らはまだ『まっすぐであること』が武器となる年齢なのだから。
できるだけ誠意を尽くすように。王はもう一度、今度はより丁寧に言葉を重ねた。
「薄々は気づいていると思うが、ここはそなたたちの世界とは違う。ここでは――この世界では、名はその存在の本質を表し強い力を持つ。ここで生きる我々は言うに及ばぬが、他所の世界、違う理で生きるそなたたちにとっても、名前を握られてしまえばこの世界の理に縛り付けられることに繋がるだろう」
ふん、と息を吐いて、少年はひとつ頷く。
「私は若輩ではあるが王冠を戴いているゆえ、この身の災禍は民にも不要な苦労として及ぶだろう。それだけは防がねばならぬゆえ、名を明かせぬ非礼を許してほしい。……さて、そなたたちの便宜上の名を聞いても良いだろうか」
少年は自分の情報を開示することに気が進まない様子である。未だ少女の左腕を掴んだままでいることが警戒の顕れだろう。それでも少女が右手で彼の服をそっと引くと、渋々ながらリクと名乗った。少女の方はハチというらしい。
「重ねて確認するが、本名そのものではないな?」
「あぁ」
「リクとハチ、か」
ブスッとした少年の頷きを見て、王は覚悟を持って名を繰り返す。ひと呼吸、ふた呼吸。わずかな時間しか経過はしていないものの、特に何かが起こった様子はない。背後の術者たちも頷いていることから、彼はホッと安堵の息を吐いて、改めて口を開いた。
「うむ、本名ではないようだな。一安心だ。あぁ、そう睨むな。我々とは別の理だからこそ我々と同じ対処が有効とは限らぬ。大事があってからでは遅いのだ。念のために確認したまでだ」
「ふん」
とうとう、そっぽを向いてしまう。呼び出した者が言うことではないが、頼れる者が一人もいない世界で彼のような態度は大変な危険を引き寄せるだろう。頭の回転が早そうな二人がそれに気づかないはずもない。しかし引き寄せる危険とこちらの思惑に乗る危険、警戒心。天秤にかけてみれば、それでも二人でどうにか生きていけると確信できるらしい。誰の目にも確信が事実であることを王は願った。
(話を了承してもらうにしろ決裂してしまうにしろ、喚び出したから命を落としたなどということになっては目も当てられぬからな)
少年――リクは、ヘソを曲げたままで今はまだ会話ができない。ハチの方は未だこちらへの興味を失っていないようで、それを縁に話をすることに決めた。
「まず足元の陣だが、それは『そなたたちの世界』との中間地点のようなものだ。一歩も出なければ返すことも容易かろう。陣が力を失うその時に帰還を本当に望むことでも、そなたたちに宿る女神の力が元の場所に戻すはずだ。そちらは時期の確約をできぬがな。……ここは、アシュケプト。今まさに魔王と呼ばれる存在に脅かされている世界だ」
文献によれば、彼らの世界にもまた世界を脅かす存在がいるらしい。特段疑問も浮かべず、二人の態度は髪の一本ほども変わらなかった。記録は正しかった様だ。
らしい、ようだ、そう思える。不確かな言葉や状況ばかりが積み重なる足元に疲労を自覚しつつ、王はぐっとこらえた。
「先ほども言ったが、ここでは本質が力を持つ。強い力を持つものが弱いものの名を握れば、行動を縛ることもできるだろう。そのような世界に流れる色々なチカラが何らかの原因で澱み、固まってできたのが魔王だ。この世界、そして世界の力そのものと言えるだろう」
「それで、その魔王を倒してくるのが私たちの使命ですか?」
軽く首を傾げてハチが言う。頬にかかった柔らかそうな髪と細い首、手足。気が弱いのか、周りを常に気にしている雰囲気。どう見ても彼女は、やはり華奢で少年らしい体格のリク以上に、戦う術を持っているようには見えなかった。信頼も、不信も、執着も、不安も、憐憫も、戦に駆り出されるかもしれない彼女に対する何かを一つすら顔に出さないようにして王は頷く。
「我々はそなたたちを頼るしかないのだ。既に我々は名を、体を縛られているに等しい。この世界の人間では決定的に魔王を破壊することはできず、緩やかに死を待つのみだ」
女神の与えた力は、自覚できるだろうか。そう問えば、ハチは軽く目を伏せてから頷き、そっぽを向いていたリクは不思議そうにしている。王や共にいた術者が助言を与えようとする前に、ハチがリクの目を手のひらで覆った。
「……うん、そう。それ」
「うわ……自分の中に知らないモノがあるって気持ち悪ぃな」
「仕方ないよぉ」
思ったよりも彼らは魔力や術というものと親しんでいたようだ。何ということもなく解決した二人を見る大人たちの目が明らかに変わったことを、王は肌で感じた。
「あぁ、さっきから力が上手くセーブできないのはコレのせいか」
「そうみたい。……あの、王様」
「何だ」
「呼び出す予定は、何人だったんでしょうか」
おどおどと気の弱そうなハチだが、やはり意見が無いわけでは無さそうだ。落ち着かない彼女へ努めて穏やかに王は頷いた。
「うむ。本当ならば一人の予定だったが……そなたたちは魂や在り方が似ているうえ、近い場所にもいたのだろう」
「そう、ですか……」
ふむ、と頷くと、ハチはリクの服の裾をそっと引いた。それだけで話が通じたのだろう。リクが酷く嫌そうな表情を浮かべた。そのまま何も言わずに渋っていると、ハチが「リク」と呼ぶ。それでもやはり首を振る。何をどう話し合っているのか。無言のそれを見守るだけでも良かった。だが王は、それを良しとは思えない。そんなものは、突然呼びつけた者が押し付ける『お願い』ではない。
さらりと蜜色の髪が流れ、その部屋に居合わせた兵士や技術者たちが言葉をなくす。王は片方の膝と片方の拳を床に着き深く頭を下げていた。
「重ねて願う。どうか、この世界を救ってはくれまいか。異界からの客人たちに、異界の民の末裔として、この世界の王として、この世界を頼みたい」
王は他国の王たちに比べて未だ若い。国の歴史はあるものの一番とは言えないほどだ。客人を一度招くと、その客人がこの世界に存在しているうちは召喚術のただでさえ低い確率がゼロになることが分かっている。それは世界にただ一人の勇者が民の期待と希望を背負って魔王を討伐すると言うことだ。勇者を召喚した国にとっても大変な栄誉となる。
栄誉は権力を生む。権力は強い国をより強大にする。異世界の民を召喚するためにはこの国でなくとも良い理由が山ほどある。実際に手を出したがる国も山ほどあるが、それでも各国からこの召喚の儀式を表立って託されたのはこの国だけだ。王のその系譜に、リクやハチと同じ異界の民の血が混じっているからである。
リクの「マジかよ」という小さな声の後は誰の声も聞こえず、息をする音だけが聞こえる。卑怯であることは承知だった。『彼ら』が頭を下げられて頼られて、無下にできる民族でないことを知りながらの行動なのだから。それでもなお王は頭を下げて、自己満足だと自覚しながらも、自分の誇りごと差し出して願うよりほかには考えられなかった。ただひたすら頭を下げ続けているうちに次々と金属音や衣擦れの音が続く。
「……ずりぃよなぁ大人って」
誰に言うでもない呟きが耳に届く。そして、諦めたような少年の声が頭上から降ってきた。
「たくさんの大人に頭を下げられて、それでも断れる子供なんて。相当空気読めないかバカじゃない限りいねぇって」
ぶつぶつと呟きは続く。
「なんか誘拐まがいなのは気に入らないけど、ハチも手を出したいって言うし。意見曲げたところなんて見たことねぇし。かと言って一人だけ置いていくのも無いし、やっぱ心配だし」
「大丈夫なのに」
「お前が言うダイジョウブは大丈夫じゃないの!」
はぁ、と、とても嫌そうな重いため息が聞こえた。
「……このままにしてたら、返してくれるはずだったのに」
「あの、ごめんね。でも」
「お前ってやつはホントに……あぁもう! メガネだけは外すなよ!」
「ダメ?」
「ダメ!」
ガシガシと頭を掻き毟ると、リクはハチの手を取り、召喚陣から外へと踏み出した。二人が陣の外側を踏みしめると同時に陣の光が弱まり、薄まっていく。誰も、何も言わない。
光が完全に消えたところで何を感じたのか、リクはその時になってようやく、頭を上げたものの未だ膝を着いたままの王へと不機嫌そうな声を投げつけた。
「ハチがどうしてもって言うんで。この世界のためとか、そんなんじゃないんで。そこらへん、ちゃんと覚えておいてください」
「あぁ。それでも、心から礼を言う」
「代わりに良い武器ください。ヒノキの棒なんて渡されたら暴れますんで」
「ヒノキ……? あ、あぁ、用意できる範囲にはなるが、もちろんそなたたちに合った一番良いものを渡そう」
不機嫌そうにそっぽを向きながら、苛立たしそうに足元の石床を割るリク。
「あの、リクが機嫌悪くてすみません。あのあの、少しでもお役に立てれば嬉しいんですけれど」
「いや。我々こそ、無理を言って済まない。……ここから外に出てしまえば簡単には謝ることが出来ないのだ。せめて、ここでは謝らせてほしい」
「えぇ……はい。大丈夫です。これでも私たち、けっこうやるんです。王様の心配事なんて、大丈夫ですから」
ニコリと柔らかく笑って、リクと繋いでいない方の細い腕を曲げてみせるハチ。
見上げた彼らは間違っても屈強には見えなかったが、それでも王は、彼らにもう一度深々と頭を下げた。
召喚された勇者ハチと医療神官リク。彼ら――とくにリクは周囲ともめるたびに様々な物を破壊しつつ世界に慣れていく。
そうして一月の後、魔王討伐のため仲間たちと共に城を出発することとなった。