八,境界線
「小百合、良い名ね。姓まで問い詰めはしないわ。」
当然知るはずもないが、女将はまるで察したかのようにそう言った。
「それでここは……」
少し遠慮がちに女将に尋ねる。
「どこから話そうかしら。そうね、昨晩貴女がすぐ近くの道端でうつ伏せで倒れているのを見かけたのよ。」
コスプレ少女は話が始まっても見向きもせず、懸命にシチューを頬張っている。
口の端にシチューがついているところを見て、毒舌とはいってもやっぱりまだ幼い子供だなぁと小百合は微笑む。
「どうしようか迷ったのだけど、見捨てていくのもなんだし、ベッドも余計にあるしと思って、私たちで家まで運んだってわけ。」
「コルタちゃんも一緒に運んでくれてんですね。ありがとう、コルタちゃん。」
ふふっとコルタに微笑みかけるが、コルタはわざとかしらないが、小百合を一瞥すらせずにひたすらシチューを口に入れ続けた。
これだからガキは嫌いだ。こっちが気遣ってやってもこれっぽっちも気に留めない。
こいつとは一生仲良くなれそうにない。なりたくもない。
怒り心頭に笑顔を歪ませる小百合を見て、女将は声をあげて笑いだした。
「ふふっ、あははっ。ごめんなさい、馬鹿にするつもりじゃないのだけれど 、あんまり面白いものだから!」
気に食わないのか、小百合は口をタコのように尖らせる。
「まあまあ、許してやってくれないかしら。照れてるという風に考えてはくれない?それに、あたしからしてみれば二人とも子供みたいなものよ?」
納得できないものの、これ以上の言い合いは無駄だと思い唇を引っ込めた。
「別に構いませんけど。ていうか、結局ここがどこなのかの答えになってないんじゃないですか!あと私他にもいっぱい聞きたいことあって……」
直後、突然注がれた凍てつく視線に言葉を飲み込んだ。
「ん?その前にあたしに対する感謝は示してくれないのね。」
その言葉に言葉が詰まった小百合は目を伏せて息を吐いた。
少し冷静になったらしく先程と比べ落ち着いた面持ちで女将と向かい合う。
「すみませんでした。それから助けてくれてありがとうございました。」
女将の鋭い眼光は瞬きの合間に消え去り、おっとりした優しい女性の笑顔がそこにはあった。
「良い子ね。素直な子好きよ。それで聞きたいことって何かしら。」
小百合はチラチラと女将の方に目をやりながら言葉を並べた。
「まず、ここは何て言う町なんですか?それからこの服の事も。あなたが着せてくれたんですか?」
女将が話を聞きながら時計を気にし始める。
その様子をうかがいつつも、小百合は矢継ぎ早に続ける。
「他にも、隣のコスプレ少女が言ってた、『鱗まみれ』とか『魚風情』とかってどういうこと?それに昨日まで初夏だったのに、内装を見る限りここは冬ですよね?どうなってるんですか!空中にはどこもかしこもシャボン玉みたいの浮いてるし、今も浮かんでるけど、ぶつかっても割れないし、一体何なんですか?」
小さく息を荒げながら、疑問のすべてを吐き出した。
向かいに座る女将は目を細めながら険しい表情を見せる。
すると、今度はなんだと身構える小百合に、ごめんなさいと謝罪した。
「もう時間だわ。今、あなたが尋ねたことも実際に目で見た方が早いと思うわ。」
そう言って女将は壁にかかった首飾りから一番地味で古ぼけたものを手に取り、小百合に後ろを向くよう促す。
「これは……?」
状況をのみ込めないでいる小百合を余所に無言で女将は首飾りを小百合の首につけた。
つけ終わると、「きっと、貴女の旅を助けてくれるわ。」とだけ言い、そのまま玄関へ小百合を誘導し、ヒールに足を通させる。
そして振り替える小百合に
「私たちはここまでだから。」
と声をかけた。
背中をグイッと押された小百合は金属製のドアノブをてにかけ、思いきってドアを開いた。