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四,三宮小百合

自分とはかけ離れたなんとも見目麗しい少女。

どこか見覚えのある少女。誰なのか見当はつかないが、きっと自分はこの少女にあったことがあるのだろう。


名前も知らない少女。彼女の周りで彼女の世界、大切な者、大切な物が崩れ去っていく。


息をつく間もなく視界には何もない真っ暗闇とその少女だけが映る。

ああ、これは夢なのだな。

現実味のない場面変換に納得のいく解釈を自分に与えた。

よく夢である突然場面が変わるあれだと。

そんな場面に似つかわしくないことを考えている自分の目の前にあるのは少女の泣き崩れる姿。


暫く泣きじゃくっていた彼女はすすり声とともにこちらに振り向くと、血と涙に染まった顔で何か言っている。


聞いてあげるべきか・・・?


いや、そもそも夢なら彼女も夢の中の存在で、実際には存在しないものでしょ?

それに、声をかける相手を間違えたわね。

自分は慈愛に満ちた心優しい人間ではない。

まあ、悪者にもなりはしないけれど、面倒ごとは勘弁して欲しい。

小説にでも私を登場させれば、そもそも起承転結の起に当たる出来事も発生しなくなる。

フラグも立てない。そしてそのうち脇役どころか存在すら読者に忘れられるような、そんなつまらない人間だ。


私が守りたいのは自分の世界だけ。他人のことなんて知ったこっちゃないわ。


残念だったわね、麗しいお嬢さん。

その美貌で誘惑すれば、殿方の一人や二人助けてくださるでしょうよ。





何事もなかったかのような涼しい表情で三宮小百合は眼を覚ました。

寝起きの悪い彼女に朝っぱら涼しい表情などできるはずもないのだが、彼女からすれば今日はいつもよりよい目覚めだった。


寝ぼけまなこをうつらうつらと擦りながらうすら目を細める。

昨日が金曜日だったことを薄い意識の中確かめ、やたら重たい瞼を摩る。


9時からバイトだ。

今は一体何時だろうか。


普段朝の6時に設定している目覚ましが喚いていないと言うことは、6時前であるはずだ。

小百合のノスタルジックな目覚まし時計の五月蝿さったらなく、その金属音は家中に響き渡るため、小百合が起きずとも、その音で目を覚ました兄がお越しに来てくれるからだ。


と、そこまで考えて、兄が起こしに来てくれるはずがないと

気付き、顔をしかめる。


重苦しい気分を振り切るように頬を叩く。

そして、布団に埋もれているはずの携帯をてまさぐり、ふとあることに気づく。


彼女が座っていたのはいつもの草っぽい臭いのする畳の上ではなく、ふかふかの北欧風の木製ベッドの上だったのだ。


怪訝な目を空間一体に向けると小百合は目を大きく見開いた。


眉間に皺を寄せた彼女のその瞳に映ったのは整頓のされていない物々しい四畳一間でも、まして絶妙なバランスで積み上げられた教科書やノートの山でもなかった。


「ここ…何処……」


そして妙に落ち着いた感情と混乱する気持ちが渦を巻く中、小百合は必死に昨日の出来事に思考を廻らすのだった。




そうだ。あの日は朝食のときに何気なく見ていたニュースで言っていたとおり、五月が終わり六月の初めで梅雨はまだだというのに、やたら雨風の強い日だった。

夏本番に向けて着実に上昇している気温と雨によるあの湿気の高さは確かに小百合の惰性を好む心を掻き立てていた。

そんな彼女が学校なんていう面倒な教育機関に通うのは、将来のためというのもあるが、毎日あの人に会えるという随分ロマンチックな理由からくるものだった。

といっても、彼女は傍観者から当事者になるすべを知らなかった。

いや、もし分かっていてもきっと結果は同じ。

彼女には自分とあの人が仲良くデートしたり、恋愛に没頭している姿が想像できなかったのだ。


進学校である、彼女の高校の教師がよく言うのだ。

『試験を受け、合格発表の掲示板の前で喜ぶ自分の姿が描けないものに合格なんぞできない。』

納得のいく話だ。想像すらできないのに、それを自らの意思で叶えるなんて不可能に近いだろう。


そして、彼女はそのことは勉学にとどまらないとも思っていた。

そう、恋愛ごとにおいても。

きっと自分には彼は不釣合いで、叶いはしない恋なのだと割り切ることで彼女はただ「見るだけの恋」

に満足していた。


今日も会える。その思いと昨晩の騒動で整理の付いていない感情を胸に秘め、義母と言葉を交わす。

一階のまだ開いていない店で朝食を済ませ、「ごちそうさま」とだけ残し家を後にする。


小百合の家は喫茶「39」を営んでいる。

小百合の義理の父母にあたる三宮夫妻が切り盛りしている小さいながら温かみのあるお店だ。


小百合には二つ年上の兄がいた。二人がこの家に養子として引き取られたのはもう何年も前の話だ。

まだ小百合もその兄も小学生だった頃である。

二人は本当の親の顔を知らない。物心ついた頃には児童養護施設に預けられていた。

そんな彼らが心から信頼できたのは、兄妹と母親代わりの琴吹先生。それだけだった。

今の小百合にとっても、ほとんどそのことに変わりはなかった。唯一彼の登場を除いては。


しかし、全てが全て好調という訳にいかないのは世の道理というものなのか。

昨晩の出来事に思いを廻らせる。

散々だった。

小百合が今日学校に余計に行きたいと感じていたのは、学校が恋しいからというよりも、昨日の騒動で家に居るのがなんとも居心地の悪いものであったからであった。

曇っていく顔を左右に軽く引っ張る。

こう考えが一度負の方向に転がり始めると止まらないのが小百合の欠点の一つであった。


楽しいことを考えよう。

そう思って小百合の頭に浮かび上がるのはやはり彼のことだけだった。

小百合は頭の中に余計な雑念が入り込む隙を作らないよう彼のことで考えをいっぱいにした。


「えらく気味の悪い笑顔してるけど?」

呆けた、いや惚けた顔で歩いていた彼女の横から、ひょっこりと春に咲く新芽のようになんとも可愛らしい顔を見せるのは、佐野 芽衣。名前に負けるどころかその愛らしい仕草に表情は隣に並ぶには少々眩しすぎるほどのものである。おまけに秀才ときた。非の打ち所のないというのは正に彼女である。

容姿端麗、才色兼備。

努力家か?と問われれば首は横に振らねばならないのが、惜しいところではある。

人から言わせて見ればそれも彼女の魅力の一つと言えなくもない。

だが、本来ならば今彼女が入学式で授かった「主席」という立場は芽衣のものであったと思えてならない彼女は、時折頂けないといった顔を浮かべるのだった。


また、楽しくないからというわけで部活動には所属していないらしいが、その運動神経には皆が一目置いている。

その割には体育の授業ではたいそう幸福感に満ちた表情を浮かべているのだから、皆彼女の真意を汲めないでいるのが現状であった。

「大したことじゃない」と小百合は何かを勘繰るような彼女の笑みから顔をそらし、通学路の途中植えられ、雨が降るのを心待ちにしている淡い藍の紫陽花の蕾に目をやりながら淡々と歩みを進める。


「つれないなぁ」

頬を膨らませ様子を伺う彼女をちらりと横目で見て、また元に戻す。

なるほど、これは男であればハートを射貫かるのも無理はないと冷やかに思う反面、純粋にその膨れた頬を両手で思い切り叩き潰してあげたいと思ってしまうあたり、なんと男らしくも乙女らしくもない自分に飽きれかえる小百合であった。

隣ですらっと背筋を伸ばした少女がそんな考えを廻らせているとはつゆ知らぬ芽衣は自分のほうに振り返った小百合にぱあっ顔を明るくさせる。


「何もなくてそんな顔してるのは、頭の螺子が外れてると思っていいよね!」


「大した事はないとはいったけど、何もないとは言ってないが!?沈黙どころか黙秘も君にとってはゼロになるの!?」

「まあまあ、そうカッカなさるなぁ。あたしらの仲じゃないのぉ。」

ハートが飛びそうな笑顔を炸裂された。まして無意識での行動なのだからなお性質たちが悪い。

女子の自分としても小百合は悪い気はしないのであったが。


「で、何かあったんでしょ。すっちーと!」

すっちーというのは同じ理系の進学クラスに在籍している鈴原の愛称である。

中学からのあだ名だと同じ中学出身の彼の友人は言ってたが、その命名の理由が入学当初一番気になった物の一つかもしれない。鈴原のすから「す」がくるとして、あとの「っちー」はいったいどこから来たのか。

未知の来訪者と言わんばかりに首をかしげていた小百合も今では結論こそ出ないもののその愛称で呼んでいる。

「ん・・。いや・・・まあ。」

「まあ?」

小柄な背丈故に小百合を上目遣いで見上げる。

「うん。えと、ね?こないだの席替えで席前後になったのは知ってるね?」


「おぉぉ・・。」

うずうずと芽衣は小百合の次の発言に期待の眼差しを向けている。

「それでね?休み時間に話しかけられたの・・・。」


「ほほぅ。それで?」

「?それでって?終わりだけど。」

きらきらと輝いていた芽衣の表情はその言葉を聞いて一気に呆れたと言わんばかりに暗くなっていった。

芽衣は知っていた。たった二・三ヶ月、されど二・三ヶ月である。

芽衣は自分の友人である小百合と言う少女が度が過ぎた奥手であることを確かに知っていた。

しかし、彼女ももう高校生である。呆れるのもいた仕方あるまい。

「べっ、別にいいじゃないの!逃げちゃったけどっ。」


「その上逃げたんだね!」

呆れてものも言えないと自分のことでもないのに肩を落とす芽衣を余所に不満げに通学路沿いに生えた紫陽花の葉についた朝露にそっと触れる。学校に近づくにしたがって同じ校章が縫い付けられた制服を身に着けた生徒が増えている。季節柄のせいか、褐色のブレザーだけでなくところどころ白色のシャツを着た生徒が目に付く。

諸所に錆のついた校門を目前に擦り削れ始めのローファーに目を落とす。

この子に言うんじゃなかった。

彼のこと。

後悔先に立たず。古人の言うことはまったくその通りだとしみじみと感じる。庶民は大抵その言葉を経験の後に理解するのだが。

「そんなにのらりくらりして誰かに取られたってしらないからねぇ?」

眉をハの字に傾けそう言う芽衣の言葉にそうだね、と弱弱しい返事を返す小百合。

そしてそういえばさ、と芽衣の方へ振り返る。

「髪、また切ったんだね。」

指でハサミの形を作りながらそういうと、芽衣は少し困ったような気まずいような、そんな笑みを浮かべた。

この時、小百合は何をそんな気恥ずかしく思うことがあるのか、としか考えていなかったが、よくよく考えれば、あれはそういうことだったのかもしれない。


「そうなの、軽くていいよ、この髪型。」

そういってベリーショートの髪を無造作にさわる


空には着々と薄暗い雲が雨を降らさんと広がり始めていた。

この調子だとあと数分もせず、太陽も隠れる。


「君みたいにかわいい子なら似合うからいいけど、私は無理だなぁ。」

自虐的に笑う小百合は続けて

「ていうかさ、高校にはいってその髪型ばっかりだけど、髪、伸ばさないの?」


「うん、まあちょっと無理だからさ。」

そのかわいい顔ならどんな髪型も似合うはずだと思っていた小百合はなぜ彼女がそんなことを言うのか分からず、返事を曖昧にした。

「へー。まあ、色々あるもんね。」

そして不意にあることに気づく。

隣に並んで歩いていたときには気づけなかったほほの赤い切り傷。


色から察するに、昨日ぐらいについたものだろう。

「ほっぺた、もしかして髪切ったときに?」

そう問われた芽衣が少しおののいているように小百合は感じ益々疑問を募らせる。

「そうなの、結構難しいんだからね。」

しかし、得意気に笑う彼女を見て小百合のその疑問は即座に掻き消された。

「さゆも一回自分で切ってみるといいよ。」

へへ、と自慢げに笑う芽衣は小百合を一歩追い抜いて、足早に校舎内へ入っていった。



二人は生徒玄関で靴を履き替え、最上階に位置する教室へと向かっていった。



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