三,ロゼの結晶
―PM 1:20 地下二階 守人の間
ラミルダはロゼの結晶を安置する守人の間にいた。ロゼは魔法の根源であり、その結晶は世界の根幹をも左右する強力な魔の原石。そのため魔法をもってしてもロゼの結晶を破壊することはかなわない。物理的な破壊は言わずもがなである。
太古の昔、我々人類が存在する以前から変わらぬ輝きを放つその結晶には人々を惹きつける神秘性がある。
されど、その性質や王家の血筋でなければ触れることもできないその特異性から、必要がないため、守人の間の警備は普段は無に等しい。しかし、幾ら必要がないとはいえども、今日は特別である。
それでも二つの手で数えられるほどしかいないが、数名の魔導師や剣士の兵が部屋の内部や石扉の外に配備されている。彼女の仕事は儀式を無事終えて帰ってくるロゼの結晶と姫様のために扉開けること。1階ではそろそろ儀式が始まっている頃だろうか。
(ああ、私も姫様に同行させて頂きたかったのに。)
小さく項垂れて、今朝の失態を頭に浮かべながら、疲弊した顔を伸び始めたつめで軽く抓る。
(頑張りなさい!ラミルダ。大事なのはこれからよ!メイド長が怖いのも私がドジを踏むのも日常茶飯事じゃない!精進して、いずれはメイド長のように姫様を御傍で支えられるメイドになるのよっ!)
そう。メイド長が厳しいことで有名なのである。他人に。そして何より自分に。だからこそ畏怖の対象でありながら、尊敬の対象でもありうるのだ。
それでも彼女が慈愛の心を持ちあせていることをラミルダは嫌と言うほど知っていた。
親を幼くして亡くし、路頭に迷っていた彼女を拾ったのは紛れもないあの方である。彼女を振り回してばかりの姫様にもあの時、ラミルダがここで働くことを承諾していただいた。
あの方々のお心遣いなくして今の自分は存在しないことはラミルダが考える自身の存在意義に深く根付いていた。
兎にも角にもこの命、彼女たちに、この国にどのような形であれど捧げよう。ラミルダはあの日からそう心に誓っていた。メイド、執事の養成所で教育過程を終え、ようやくここまできたのだ。通常の業務では役に立てないことも多いが、今日こそは何か成果を挙げたいと考えていたのだが…。
(それなのに・・・。)
「どうして私だけ儀式の間ではなく、守人の間なのですかーっ!!」
(他の御付のメイドは皆儀式の間に連れて行かれたのに。新人だからってあんまりですぅ・・・。)
頬っぺたをまあるく膨らませていると隣で堪えた様な笑い声が聞こえてきた。
「笑いたければ、どうぞご自由に無様な私を笑ってくださればいいじゃありませんかっ。」
隣に立つ武具使いの兵士の笑い声だった。口を手で押さえている所が余計に厭味に感じる。
「ふふっ、ははっ・・。違くてさっ、そうじゃなくて、その膨れっ面がかわいくってさ。」
そういわれると嫌な気がしないでもない。一度はそう思ったものの、子どもをなだめる様なその素振りに屈辱感はぬぐいきれいなかった。
自分が童顔だからか。向こうも見たところせいぜい2、3歳程度しか違わないように思われるのだが。
相手の顔をまじまじと眺め懸命にラミルダは思考を巡らせていた。
「まあまあ、あの御方の事だから、何か考えがあってのことだろうさ。」
穏やかな表情で少女をなだめる青年。
「それって、厄介払いだって言いたいのですか?」
その優しい笑顔に意地っ張りな気を持つラミルダも根負けしてしまう。
「そう卑屈にならないでってば。」
兄弟がいたらこんな感じだろうか。などと考えては見るものの、まず一つ重要なことが頭で引っかかる。
「ところで貴方どなたでしょうか?私入ったばかりであまり面識はないと思うのですが。」
もしかすると、どこかで会ったことがあるのかもしれない。そういう思いから本心では言うのは躊躇われたが、分からないまま会話を続けられるほど自分が器用ではないことはラミルダ自身がよく知っていた。
すると、彼は恥ずかしげに小回りの利く短めの剣を片手に頭を掻く。
「あはは、そうだね。普通ならお互い知らないだろうけど、君は有名人だから。」
「??」
新人の彼女が有名となりえるには何らかの理由があるはずである。
大した特技もない。殿方から注目を浴びるほど可憐な乙女というわけでもない。
「あれ」の事を知りえるはずがない。
(いや、まさかそんな・・・。)
「ほら、どじっこメイドが新しく入ったっていうことで。」
「ああ、そうですか。」
安心するも、その理由が決して栄誉なモノでないことに肩を落とす。
その様子を見た彼は慌てた様に手を左右に振った。
「ああでも、かわいいと思いますよ!噂じゃ、国家直属の魔導師たちの間ではすごい人気らしいですし!」
国家直属の魔導師連中。彼らは生活に魔法の普及した世界において国に認定され、保護を受ける真の強者の集団。彼らの強みは天性のロゼとのリンクの強さや術式の構成の速度や美しさだけではない。むしろ本当に強いのは「知識」の面である。世界中を旅して得たその豊富な知識や経験は誰にも盗むことはできない。
それ故彼らはほとんど国に定住することはないのだ。それにもかかわらず、一体どこから情報が伝わったのかは正に神のみぞ、いや、やつらのみぞ知るといえる。
同時に「どじっこメイド」というラミルダの客観的印象から考えれば、彼らをそこまで魔法や技術に没頭させるのはその螺子の外れた思考が一因であると言う噂は粗方間違ってはいないようだった。
「あの方々に人気があったって素直に喜べませんよぅ・・。」
「あはは」
ふくれっつらの少女、無邪気に笑う彼。初対面だけれど、なんだか暖かい気持ちにラミルダは頬を緩ませる。今では日常になったこんな平和な日々が昔の自分を思い出すと時折彼女はたまらなく愛おしく感じるのだった。
こんな生活も刹那に壊れてしまうのではないか・・・。そんな考えが彼女の頭を離れない。
過去を振り返ると、彼女の幸福な時間の後ろには必ず災禍が付き纏って来た。
あの時も・・・。
(こんな風に考えるのは悪い癖、ですね・・・。)
人間は二種類に分類できる。幸福に対する気の持ち方。次には不幸が訪れると考えるものと、幸せがずっと続くと考える者。ラミルダは自分が前者であり、また後者が多く存在することも知っていた。
自分の悪い癖だと自覚しつつも、彼女はその癖をそれほど不快には思っていなかった。
悪いほうに考えていた方が、悲しみは少なくて済むのだからと。そして、もし本当に一生のうちで幸せ半分、不幸半分であるならば、自分がどう考えようとそれは不幸が増えたりはしないという期待を抱いていたからである。
「どうかなさいました?」
「いえ、なんでもありません。」
そう言って彼女はにぃっと笑ってみせた。
「そろそろですかね。」
上階から響く群衆のどよめきが静まるとともに、あたりが張り詰めた空気で満ちる。
兵士は甲冑に巻きついた国家を象徴する赤布を国家直属の武具魔法士を表す獅子の紋章がよく見えるように整える。
「気に入ってらっしゃるのですね。その紋章。」
「ええ。まあ。実のところを言うとこの紋章を身に纏いたいというのも国家の武具魔法士を志願した理由でもありまして。」
「そうでしたか。」
「あ、今子供っぽいとか思いませんでした?」
口元にそっと手を当て微笑む少女を見て彼は照れながらぼやいた。
「とんでも御座いません。私もその紋章には憧れております。異界に生息するといわれる獅子。ここでは強者を示すものとして描かれているのでしたよね。」
この世界には獅子以外にも様々な生物が伝承として残されている。どれもここではない別の世界という言葉ではぐらかされた物ばかりで、信じるに足る証拠は何処にもない。
「よくご存知で。」
「私の知識など御伽噺程度のものですよ。以前母が・・・。」
途端に話すのを止めた少女を訝しげに見つめる。
考えないよう思い出さないようにしていた記憶が濁流のように私の心を飲み込もうとする。
「何か気に障りましたか?」
「いえ。ご心配なく。」
確かに母様を思い出すには暗い記憶がついて回るけれど、
その中にも確かに暖かい記憶はあったのだ。
服のポケットに手を伸ばす。
彼女が母に頂いた櫛。ラミルダはそれをずっとお守りのように日ごろから持ち歩いていた。
ところが、次の瞬間少女の顔は一変した。
(嘘!!・・・確かにここに入れたのに・・・。)
在る筈の櫛が見当たらない。髪を結った際においてきた?
焦りが彼女の思考を加速させる。
彼女にとっては産みの母親との唯一のつながりであり、自身の存在の証明であった。
母との思い出。
―ラミルダの髪は柔らかくて宝石みたいにきれいね―
自身が唯一覚えている母の言葉。今となっては全てが異世界の出来事のような絵空事に思えてならないが。
(どうしよう。取りに行きたいけれど、今は仕事中だし・・。)
すっかりラミルダの眼中から外れていた兵士は青ざめた顔で思いつめる少女を心配げに見つめる。
「何かなくした?」
「櫛を・・・。」
「儀式が終わるまで結構時間掛かるから探しておいでよ。場所に見当はついてる?」
朗らかな笑顔を浮かべる彼を見ると不思議と彼女の心は落ち着いていった。
これこそ天性の才というものだろうと僅かばかり感心していた。
「はい、一応。ですが、よろしいのでしょうか、私・・・。」
「いいよ。大事なもの、なんでしょ?行っておいで。僕らがいれば警備は万全だからさっ。」
彼は自信に満ちた様子で仁王立ちしてみせた。
「ふふっ・・・・。分かりました。5分以内に戻るつもりでおりますから、それまでお任せします。」
「はいよ。任されました。」
「あった!」
足早に心当たりのある化粧室に向かうと、洗面台の脇にたたずむその櫛はすぐに見つかった。
櫛を両手で握り締め、胸をなでおろした。
気づくと、下から麗しい歌声がいつの間にやら響いていた。
清らかで穢れのない美しい音色。
(これは姫様の・・・。いつの間に儀式が始まったのでしょう・・。)
空気までもがその響きに浄化され、澄み渡っていくように感じられた。
ラミルダ自身その音色に心を奪われ、耳を傾けていたが、自らが課した制限時間を思い出し焦りだした。
今から戻るなら走ってぎりぎりといったところである。
扉を開いて顔を半分程度覗かせる。まさか、メイド長らは姫君の付き添いをしているはずであるから、誰もいないとは思うのだけれど、万一見つかれば持ち場を離れた無責任な行為を言及されるに違いない。
不安を胸に様子を伺っていると、視界の隅に真っ白な電気の明りがぼんやりと映った。
それは普通ならば誰が通ってもその明かりに気づいてもおかしくない程の明るさである。
ラミルダは先程までの焦りで自分の視界を狭まっていたことを反省するとともに、そこであることに気づく。
今光が漏れている、重厚感漂うその扉はまさしく今朝彼女自身が姫君を起こす為に開いたあの扉だったのだ。
(あの御部屋は・・・姫様が普段書物をご覧になっている書庫・・・。)
「本が光で傷むから、いつもはあの部屋の電気は控えめに灯さなくてはいけないと姫様がおっしゃっていたのに・・・。」
(まして今は儀式の最中・・・・。書庫に兵が就くとは考えにくい上に、この城に勤めるものが姫様の書物に対する気遣いを知らないわけがない。)
少女はその幼い顔で眉間にしわを寄せた。明らかに怪しい。
そう思うものの、彼女は自分も客観的に見れば怪しいのは同じであるため、決定打を打ちにくい。
ひょっとすると相手も自分と同じような境遇なのかもしれない。
そもそも誰か人間があの部屋にいるという確証すら得られていない。
様々な要因が彼女の行動を渋らせる。
しかしいずれにせよ、今の彼女にできるのは一刻も早くこのことを兵士に報告することだけだった。
一介のメイドという立場で彼女が城内を自由に動くにはその選択が最良に思われたのだ。
音を立てぬようドアノブをひねりながら扉を閉める。しかし少女の鼓動はそれと相反するように加速していく。
頭に響くのはあの歌声と鼓動の音。
(お願い、静まって!!)
荒くなる呼吸を必死に抑え、足音を忍ばせながら下に向かう階段へと距離を縮める。
しかし順調に思われたその足運びは、次の瞬間ぴたりと止まってしまった。
(姫様の歌声が・・・止んだ?)
自分の鼓動しか聞こえない。予定の時刻よりもかなり早い。
まして姫様の練習に付き添っていたラミルダには止まる直前のメロディーが曲の中盤であることが分からないはずもなかった。
異常事態の連続によりラミルダの感覚は通常のものとはまったく異をなしていた。
しかし僅かに聞こえる観衆の声色の変化から姫君の元で何か良からぬ事態が発生したことは思考が鈍っていた彼女にも理解できた。
(姫様の身に何か・・・・。行かなきゃ。)
拳をぎゅっと握りしめ、下唇を軽くかむ。
(急がないと・・・。)
―ドスッ
「え・・・?」
鈍い音に目を見開く。瞬間、ラミルダには何が起きたのかさっぱり分からなかった。
少しして気がついたのは脇腹に突き刺さった短剣の剣先とそこから滴る熱い真っ赤な液体。
そしてそれに伴う激しい痛みだった。
(これ・・・私の・・・血?)
傷口から溢れるそれに触れると独特の温かさと滑り《ぬめり》がラミルダの手に伝わる。
鮮やかな赤色が服の純白を染めていく。
赤色の面積が広がるにつれ、ラミルダの視界は歪んでいった。
次第に、二本足で立つことすら困難となり少女はその場に崩れ落ちた。
自分の無力さに嫌気がさす。
自分は所詮この程度なのか。薄れていく意識の中悔しさで涙が零れた。
(何も・・・。何もできなかった。大切な人を守りたかっただけなのに。
どうしていつもこうなる。
私が何をしたって言うの?私には平凡な幸せすら許されないというの・・・?)
先刻兵士との会話の間に考えていたことを思い出す。
人生、幸せ半分、不幸半分。
これまで不幸続きの人生だったけれど、生きていればきっと幸せは手に入ると思っていた。
けれど、その長寿を全うできなかった人間はどうなるのか。
それは言うまでもないことで、ラミルダは自分が抱いていた淡い期待が自分で勝手に作り上げた虚空のものであったことに今更ながら気づいてしまった。
自分の縋っていた物が幻想に過ぎなかった。ラミルダの瞳から徐々に希望が消えていく。
意識朦朧とした少女の背後から少女に近寄る一つの影。
少女の後ろに座り込むと、短剣を何の躊躇いもなく引き抜いた。
「くっ・・うがぁっ・・・」
首を引きずらせ、無理やり顔を上に向けると、少女のぼんやりとした視界にそこから立ち上がる高身長の見慣れぬ服を着た男が映りこんだ。
「あ、あなた・・・」
絶望に満ちた眼で睨み付ける。絶望だらけの人生だった。
ここで死ぬかもしれない。幸せな未来なんてもう手に入らないかもしれない。
それでも姫君やメイド長がいる限りラミルダの存在意義は変わらなかった。
自分に幸せを与えてくれた彼女らを・・・、決して傷つけさせやしない。
少女は背を向け立ち去ろうとする男の足を無我夢中で掴んだ。
こいつを姫様のもとへ行かせてはならない。
言わずもがなではあるが、少女の、そして死にぞこないの弱弱しい手は簡単に跳ね除けられてしまう。
「LADYに手を上げるのは不本意ではありますが、こまるんですよねぇ・・。見られた以上。」
言葉とは裏腹に少女を見下ろす男の表情は実ににこやかであった。
「まあ、おたくらの言う魔法とか使えば、命ぐらいは助かるでしょうよ。」
そう言って、男は軽やかな足取りで階段を下っていった。
― 守人の間
「準備は整った。後は実行に移るだけ・・・。」
女は足元に広がる真っ赤な液体を悪戯にヒールでかき混ぜながら、何らかの連絡機器と思われるものに向かって話しかける。
「ぐっ・・・貴様っ!」
冷えた床に伏せた兵の一人が短刀を女に向かって投げつける。
女は片手に機械を持ったまま視線だけそちらに移すと、もう一方の手にもつ黒光りした片手銃で剣を弾き返した。短剣は放物線を描いて、高い金属音とともに地面に落ちる。
しかし、直後目映い光が銃を覆った。
女は途端に銃を包んだ閃光に危険を察知し、空へ銃を投げ数歩後ずさった。
放り出された銃は空中で一度爆発すると、弾丸が誘爆し、幾度かの爆発の末に粉々に砕け散った。
「ちっ。剣に術式が組み込まれていたのかしら。」
女はその長い黒髪を揺らし舌打ちすると懐から同一の形状の銃を一丁取り出す。
「ったく、幾ら予備があるからって無駄遣いさせないでほしいわ。」
女は少し悲しげな表情で深いため息を漏らす。
銃を突き出し生き残りの兵の頭に狙いを定めた。
「すぐ楽になるから。」
そう呟いて女は引き金を引いた。