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二,姫君の悩み事

―AM 7:27  書物庫



「姫様!!」

遠くのほうから扉を大きく開け放つ音が聞こえる。


「姫様!!」


この甲高い声は先日赴任したばかりの新米メイド、ラミルダのものだろうか。そんな事を浅い意識の中考えながら少女は眠りから目を覚ました。身長の2倍はあるかと思われる天井から煌々と輝く床まで真っ直ぐ伸びたカーテン。その隙間からか細く零れる光が本の埃を幻想的に照らし出している。

少女が重たい瞼を開くと僅かな光を反射して耀くシャンデリアが目に映った。

「いけない…、書物が…日焼けしてしまう…。」

上品な花の模様をあつらえたソファから体を起こす。勉学の最中に寝落ちしていしまったらしい。軽く寝違えた首をほぐすように回していると近づいていた足音の主が書斎の扉から息を切らして飛び出してきた。


―キィイ、バタン


「はあー・・・・。ふぅー・・・。」


ひどく狼狽した表情のラミルダは眉をハの字に寄せ、深呼吸を数度繰り返している。黒と白のコントラストが映えるふんわりとしたデザインのメイド服のスカートには先程まで持ち上げるために掴んでいたのだろうか、左右対称に皺が二つ寄っていた。

姫と呼ばれるその少女は下品に開いた口を肌理きめの細やかな白い手で覆いながら、うっすらと目を開く。


「明朝からそのような喧騒、城に仕えるメイドとしての自覚をですね……ふわぁ。」


再度欠伸が少女の眠気を煽る。目尻に涙を浮かべながら首を手で擦る。

呼吸が安定した様子のラミルダは漸く一つ大きく息を吸って口を開いた。


「もう!姫様!困りますぅ。このような場でお眠りになられては!それにもう明朝と言えるような時刻ではありません。ふぁ……。お叱りを受けるのはわたくしなのですよぉ…?」


困り顔のラミルダは少女の履き物を用意しながら、小さく不満をこぼす。相当宮中を探し回ったという事は彼女の現在の風貌から安易に想像がつく。頭の上に結い上げ布をかぶせたお団子の髪が乱れ、幾つか束となってはみ出していて、彼女の童顔に似合う眉上の前髪も二つに分かれてしまっている。


「本日は年に一度市民に城内を一般公開する日ですので、姫様も式典に御出席頂きますとあれ程申し上げましたのにぃ。如何してご自身に対してそう無頓着であられるのですか。」


ラミルダは口先を尖らせ、次第に涙目になっていった。その口調からも心中を察するのは容易く、少女は僅かに反省の意を示し、謝罪の言葉を口にしようとした、その時だった。


「ラミルダの申す通りです。」


ラミルダのメイド服より幾らかシンプルでありながら、且つ上品さの漂う召し物を身に纏う狐目の女性はどこからともなく現れるとこうべを垂れるラミルダを一歩後ろに下げ、対照に自分はその一歩前へと踏み出した。

「う……メイド長。」


間もなく還暦を迎えるかとも思われるその細身長身の女性こそ、この城内のあらゆるメイドの頂点に立つ、メイド長である。


「一国の姫たる御方が一体何をお考えなのです!?先程のラミルダへのお言葉、そっくりそのままあなた様にお返しいたします。姫というのは王妃様に次ぐ国中の女性の『鏡』であらねばなりません。熱心に勉学なさるのは構いませんが、御自身の行動にもう少し節度と言うものをお持ちになっていただかないと。」


「あーあーあー!!」


メイド長の会話の長さにうんざりした様子で少女は両手を耳でふさいだ。


「ええ。わかった。わーかーりーましたわ!以後気をつけますわ。

それよりも自室に戻って少々身だしなみを整えてまいります。」


少女は腰まで伸びた銀の髪を左肩に乗せると、傍に添えられた履物に小さく冷え切った足を入れ、立ち上がった。


御髪おぐしもきちんとお整えください。」


「もちろんよ」


間髪いれず少女は言葉を吐く。ソファに手をかけて立ち上がる。軋んだ音が静かな書斎に響く。少女は裾の長い寝間着の上に絹の羽織をかぶり、数名のメイドを背後に引き連れると、メイド長によって開かれた扉の先へ歩みだした。


「んっ・・・。」

少女は扉の隙間からあふれる光に目を細めた。裏庭側のガラス張りの窓から注ぐまばゆい朝の光が廊下全体を煌々と照らしている。

聞こえてくるのは、鳥の囀り《さえずり》のみ、・・・・というわけでもなく、本日の謁見と儀式などの祭事にむけて使用人たちがせわしなく城内を駆け回る音や、食器の奏でるあの特有の音色などが響いていた。少女は眠気をこらえ、すまし顔で廊下を進んでいたが、ふと思って後ろを振り返るとラミルダの姿だけが見えない。


「彼女は。」


すぐ後ろに控えていたメイド長に尋ねると、彼女は腰を低くしたまま一本道の廊下の少し遠くを見て鼻で息をした。


「『あれ』、ではありませんか。」


彼女の視線の先に目をやると、真っ白の布に覆われた手で危うげに純白の服のようなものを抱えながら駆けてくるラミルダの姿が見えた。御付の数名のメイドたちはラミルダの様子に苦笑いを浮かべる。

メイド長も心なしか呆れた様に大きく息を吐いた。


「全く、城内で走るなと言うに。もう一度養成所から出直した方がよいかもしれませんね。」


しばらくの後に、足音が次第に大きく聞こえ、それ連れて、彼女が何か声に出しているのも耳に入ってきた。


「あ、あのっ!!姫様!こちら、本日のお召し物になりまっ、ふのわっ!!」


瞬間メイドたちの顔もさすがに驚きを隠せなかった。廊下の中心に敷かれたベージュの絨毯にラミルダ自身の足によって大きく皺がより、それが彼女の足を絡めとる。結果、手に服を持っていたがために手をつくこともかなわず、傍から見れば大げさだと笑われる程の転び方を彼女は自然にやってのけることになった。

そうはいっても、腕を高く上げているあたり、少女の服を汚すまいとした努力があったのだろう。

暫くしてもなかなか動かない彼女に少女は眉をひそめる。


(顔から転びましたものね、さすがに痛いでしょう。)


絨毯の上とはいえど下は固い石の床。心配を胸に様子をうかがう。

小さな沈黙を挟んだ後、伏せていた顔が静かに上がった。


「うう。痛っぁー。はっ!申し訳ございませんーっっ!御召し物が!」


今にも泣き出しそうな顔の少女を見下ろすメイド長は深いため息をついた。


「構いません。お召し物はこちらにありますから。

 といいますか、この服の準備は姫様の朝食が終わった後で問題ないのですが、まあいいでしょう。」


見ると先程までラミルダがつけていたはずの手袋も持っていたはずの服も瞬きの間にメイド長の手に渡っていた。

「ご覧になってお分かりかと思いますが、本日は姫巫女の儀を執り行う日ですのでそのことを考慮に入れて行動なさってください。それから・・・」


一行いっこうの最後尾に着くラミルダのほうに振り返る。


「貴方は、その乱れた髪を結い直しましたら、儀式の間の準備の手伝いに行きなさい。

 積もる話はありますが、今日ばかりは人手も足りませんので。日程は頭に入っていますね?」


「はい・・・。」


ラミルダは申し訳なさそうに深々と頭を下げ、少女らの背を見送った。





「どうかなさいましたか?」


「!!」

廊下の角を二つ曲がったところで突然足を止めた姫君に、メイド長は訝しげに声をかける。


「いいえ。何も。」


彼女の声で我に返る。彼女たちからは自分の顔は見えていないかしら。

そんな不安を抱えたまま兵士たちの訓練所の見える窓を背にして少女は足早に自室へと向かった。




―AM 8:51  姫巫女の間


(んーっ!全く、わたくしとしたことが・・・。姫たるには、左様な感情捨て置かねばならないというに・・。)


自室で巫女装束に腕を通す少女は、一人、認めたくない感情に困惑していた。

近頃、少女は心此処に非ずといった状態にしばしば陥るのである。


(全て・・・全てあの御方のせいですわ!・・・あのようなことをおっしゃられては、考えずにいられるはずないじゃありませんの。)


彼に触れられた髪の感触、あの心を包むような低い声が頭を離れない。

そっとその銀の髪に指を通す。


(本当にわたくしなぞで良いのでしょうか・・・。)


彼の言葉が頭の中で反芻される。恥らった様子もなくよくもあのようなことを口にできると感心しながらも、少女の脳内は彼のことで満たされ、頬は熟した果実のように真っ赤に染まっていく。

色彩豊かな香水の小瓶や目映いばかりの輝きを放つ首飾り。それらの並べられた鏡台に映る少女の表情が自分のものであると気づくまで、幾ばくの時間が流れただろうか。


(こんなこと考えていてはいけませんわ。今日は本番なのだからあの御方の事は一日一切忘れてしまいませんと。)


首を左右に小さく振って、鍵の掛かった引き出しから二つの筒状の髪飾りを取り出す。細かな装飾や宝石の埋め込まれたそれを二つに分けた髪の束に一つずつ通していく。

そして頬を軽く引っ張って少女は扉の向こうに控えるメイドの元へ歩みだした。




―PM 1:21  儀式の間 裏


儀式の時刻まで残り十分をきった。多様な刺繍で飾られた光沢のある椅子に深く腰掛け、群衆の声にさすがの彼女も緊張を隠せずにいた。しかし、その事よりも、あの御方の事よりも、此の頃少女の頭を占めているものがあった。

この儀式にまつわる全ての始まり。もう一つの世界。

斜め後ろで目を軽く伏せているメイド長。少女は卓上を見つめたまま彼女に声をかける。

「ねえ。少しいいかしら。」


「何んなりとおっしゃってください。」

彼女は微動だにせず答える。

どうしても博識高いと評される彼女の意見は参考にしたい。

その思いから彼女の言葉を其の儘受け取ることにして、少女は躊躇いを振り払いすぐさま本題に入った。


「286年毎に開くといわれているあの扉の話、あなたは今どこまで知っているの。」


やはりメイド長は顔色一つ変えることなくゆっくりと口を開く。

「『どこまで』とおっしゃられましても。姫様を目をお通しになられましたでしょう、城内の図書を。それ以上の情報は持ち合わせておりませんが。」


「いいから。」

沈黙が冷たい部屋を包む。

私は手を膝の上で交差させたまま目の合わない彼女の目をじっと見つめる。

暫らく口をつぐんでいたメイド長は鼻で息をして再び言葉を紡ぎだした。


「286年に一度だけ開く異界への扉。こことは違う理の支配する世界。扉の起源は様々で、曖昧にぼかされたものばかりです。


我々の祖先は幾らかの戦乱の果てに、この世界にそれぞれ4つの王国を築きあげたそうです。彼らは世界の要たる四つのロゼの結晶をおのが国でそれぞれ祀り、結果互いに干渉を避け、平和を保つことに成功しました。


そして太平の時代が訪れた後に、その扉に関する情報はいつからか人々の間で広まるようになってまいりました。286年に一度扉から現れし者は時として異色な文化を、時として我々の理解を超えた技術等をもたらし、この世界の発展に貢献してきたと言います。我々が光魔法や炎を使い続けることなく温かな光を手にできるようになったのも、この技術の導入と応用からくるもので御座いますね。」


「そうね。」


「ただ、どちらの世界の技術、知識をもってしても扉の出現条件やその構造を明らかにすることはできていないそうです。我々の国の技術推進科の者も大変頭を悩ませているのはご承知のとおりです。

扉の在り処は毎度異なるのだとか。」


「確か今から286年前はあの丘向こうの聖域に存在するあるやしろの裏。その前は街路樹の陰に突然現れたのよね。」


「仰せのとおりです。何しろその姿は選ばれたものにしか見えないということだそうで。」


「ええ。」


「その扉の創造の原則にも諸説ありまして、神々の遺物だとか、魔法の力が作用して開いているのだとか、まあ、そのほとんどが知識の持たぬものの立証できない妄想に過ぎぬものばかりではありましょうが。扉の向こうには神々の領域につながっているなどと申すものも多く存在するようで、古くから信仰の対象にもなっておりますね。

その影響もあり、286年に一度その扉が開くことを祝してこの世界を司る四つのロゼの結晶を祭る儀式や祭りが行われてまいりました。この世界に君臨する四国が一度に同一の物事を進行する一つの機会でございますね。」


少女はガラス細工でできた美しい台に置かれたそのロゼの結晶に目を落とす。

それから紅を引いた唇を僅かに開く。


「そして今日は前回の来訪からちょうど286年目。その儀式の日。」

そう。この儀式の目的は『それ』であり、少女の巫女としての成長を披露することはただの付属品に過ぎないのだ。物申したげな少女の視線をたどり、小皺を目尻に浮かべているメイド長は流動体のように結晶内部で渦を巻く影のような物を目で追っている。


「貴方はどう思っているのかしら。」

結晶の表面に映った彼女の顔を見て呟いた。


「何を仰せなのでしょうか。」


人々の歓声が静まり、扉が小さく軋む。どうやら時がやってきたらしい。


「これまで扉は我々に恩恵をもたらすものとして考えられてきたようだけれど、一概にそうは言えないのではないか・・・・そう私は思っておりますの。」


腰を上げ、巫女の正装を華奢な指で整える。そしてロゼの結晶に手を触れる。

王家の血を継ぐ者のみが手にできる結晶。

柔らかな温もりを持つそれを両手の掌に乗せ、顔を布で隠した二人の巫女を背後に連れて儀式の間へと足を踏み入れた。

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