初めてのおでかけ 前編
「うーん、朝か」
千夏はベットからもそもと起き上がる。昨日は朝までダンジョンだったが、そのあとは十分睡眠をとりまったりと過ごしたので疲れはない。
「ちーちゃん、おなかがすいたでしゅ」
千夏が起きたことに気が付いたタマがおなかを抑える。竜は人間のご飯だけだと、とても足りない。普段は朝狩りにいって自分でおなかを満たせるのだが、ラヘルでは狩りが禁止となっていた。
コムギとタマを連れ、同じくおなかをすかしているだろうレオンを誘いにいく。男部屋をノックするとすぐにエドが出てくる。
「おはよう」
「おはようございます。タマ達の朝食ですか?私がやりましょう。こちらのアイテムボックスにも魔物がたまってるので少し整理したいのです」
エドが千夏を部屋に招きいれながらそう答える。
朝から魔物の死骸にかぶりつく竜の姿を見ないでいいのであれば、お願いしたいところだ。千夏はエドにお願いすると部屋の中央にあるドラゴンオーブをアイテムボックスへ収納する。
エドは少し眠そうなレオンとタマ、コムギを連れ外に出ていく。
リルはすでに起きていたらしく、身支度を済ませている。少し寝ぐせがついた髪にふわふわの大きな耳。千夏はそれに触りたくなり手がうずうずする。
「おはよう、チナツ。まだアルフォンスが起きないんだ。起きるまでどのくらいかかるのかな?」
リルは寝ぐせを恥ずかしそうに直しながら千夏へ質問する。
「半日くらい気絶するらしいよ。セレナとシルフィンに伝えておくよ。朝の鍛錬はできそうにないね。ところで・・・ちょっと耳触ってもいい?」
触りたい衝動が止められなかった千夏はちょっと興奮しながらリルに尋ねる。セレナは相変わらず嫌がるので、触る隙がまったくないのだ。
「えっ?耳?……強くつかまないならいいよ」
過去何十人の男たちに言われたが決して耳を触らせなかったリルが、少し恥ずかしそうに承諾する。その姿は可憐な少女にしか見えない。
「ありがとう」
千夏はお礼を言うとベットに腰かけたリルの正面に立つ。ぴんと立ったリルのふわふわの耳をゆっくりと撫でる。
「うわぁ、ふわふわ。肌触りが気持ちいい。リルの耳は最高だよ!」
少しくすぐったいが、コムギやタマを撫でるような千夏の手つきにリルは心地いいと感じた。千夏なら尻尾も触っても不快には感じないだろう。
満足した千夏が手を離すと、リルは思い切って千夏に「俺もチナツの頭撫でていい?」と尋ねる。
「別にいいけど、おもしろくもなんともないよ」
千夏はリルの隣に腰かけて、頭を差し出す。リルはドキドキしながら、千夏の頭に手をおきゆっくりと撫で上げる。
千夏の髪からはリルと同じ石鹸の匂いがする。自分と同じ匂いにさらにドキドキする。
「き……昨日、ヒュドラに攻撃されたところ痛くない?」
リルは千夏の頭をなでながら問いかける。あの時は寿命が縮むかと思った。千夏が強いことは十分承知していたが、万が一ということがある。
「ああ、心配してくれたのね。ありがとう。大丈夫だよ」
千夏はリルを見上げて笑う。
手当。痛いところに手を当てることで痛みを和らげるという言葉からきている。リルは治療師だ。傷を心配して頭を撫でているのだろうと千夏はリルの好意をありがたいと思った。
至近距離で千夏の笑顔を見たリルは、激しくなる動悸に胸を抑える。
千夏は強くて美しい。(リルの欲目では)リルは慌てて千夏から手を離し、視線をそらす。この行動を不審に思われたくなく、リルは言葉を探す。
「えっと……レオン楽しそうでよかったよね」
「うん。よかった。あんな何もない薄暗い洞窟で一人ぼっちなんて、よくないからね」
千夏はリルの行動に不審に思わなかったようで、会話を続ける。
「チナツは優しいね」
リルは千夏をまぶしそうに見つめる。
「私じゃないよ。あそこからレオンを連れだしたのはレオンのお母さんの気持ちだもの。私は代弁しただけ。あまりにもせつなくて、感染したんだと思う」
千夏はドラゴンオーブから読み取った母親の記憶をぽつりぽつりとリルに話す。
「竜も人も変わらないんだね」
せつない物語を聞いて、リルはそう答える。
「そうだね。タマはタマだし、レオンはレオンなんだよ。ちょっとせつない気持ちだったから、リルの耳触って癒されたいと思ったのかもね。黄金色でふわふわしてて気持ちよさそうだったの」
「俺の耳で癒されるならいくらでも触っていいんだよ」
リルは千夏の言葉にじーんと胸が熱くなる。
「ありがとう。少し話して気が楽になったよ」
千夏の言葉にリルは破顔一笑する。
リルもずっと長い間、人とのかかわりを避けていた。任務以外で人の役に立つことができたのが嬉しくてしょうがない。
リルの飾ったところがない素直な笑みに千夏も嬉しくなる。
「アルフォンス起きてるの?」
ドアがノックされ、セレナが中に入ってくる。どうやら朝の鍛錬の時間のようだ。
「気絶して寝てる。昨日ドラゴンオーブに触ったみたいよ」
千夏がベットの上で伸びているアルフォンスを指さして答える。
「まったく、駄目なの。竜がからむとアルフォンスダメダメなの」
セレナから厳しい駄目出しが出される。まぁ事実だからしょうがないかと千夏は苦笑する。
(しゃあないな。とりあえず走り込みして、組手はエドに頼むか。ほな、いくで)
シルフィンにせかされ、セレナは手を振って部屋を出ていく。
昨日初めてAランクの魔物と戦った。まったく歯がたたなかったことが悔しかった。もっともっと強くなりたい。
セレナはがむしゃらに走り出した。
しばらくして、朝食を食べに出ていたレオン、タマ、コムギとエドが戻ってくる。
「今日は夕方の船に乗るまで自由時間ですね」
エドがお茶をいれながら今日の予定を聞いてくる。
「私は部屋でのんびり本でも読んでアイスキャンディーでも作ろうかな」
千夏がそう答えるとレオンが「アイスキャンディーとは何だ?」と尋ねてくる。アイテムボックスから3本アイスキャンディーを取り出すと、魔物3兄弟に手渡す。コムギは手に持てないので器にいれて床に置いてあげる。
「氷菓子か。よく思いつくな」
ガリガリとアイスキャンディーを齧りながらレオンは感心する。
「俺は魔法回復薬の調合をするよ。薬自体は手にはいらなかったけど、原料は手に入ったし」
リルがそう答えると千夏が自分の部屋で調合したら?と提案する。冷房をきかせた部屋のほうが作業がはかどりそうだからだ。
「クゥー」
コムギが鳴くとタマが「コムギはセレナと鍛錬するそうでしゅ」と通訳する。
コムギも魔物だ、強くなりたいのだ。
「じゃあ、タマとレオンは港町でもまわってきたら?お小遣い渡すから」
千夏はアイテムボックスから銀貨を5枚ずつタマとレオンに渡す。小さな港町なのでそれほど見るものはないだろうが、レオンとタマの初めてのお出かけくらいにはちょうどいい。
「タマは手紙用の紙がほしいでしゅ。これで買えるでしゅか?」
タマは初めてのお小遣いをもらって嬉しそうだ。
「いっぱい買えるよ。他にも欲しいものがあるかもしれないから紙は適量だけ買った方がいいかもね」
「はいでしゅ」
タマはこくんとうなづくと前に千夏から買ってもらった小さなカバンにお金を詰める。
レオンは何が欲しいのよくわからない。黙ってもらったお金を上着のポケットに入れる。買い物にお金が必要であること、お金の価値については昨日エドから教わっている。
千夏はタマに麦わら帽子をかぶせ、顎の下で紐を結んでやる。レオンにも麦わら帽子をかぶせようかと思ったが、フロックコートに麦わら帽子は似合わない。レオンの美的感覚にもそぐわないので却下される。
そもそも水を操ることができるレオンには自分の周りの気温を自在に操れるのだ。帽子などいらない。
「たまにスリなどがいますから、お金を盗られないようにしてください。スリとは人の懐からお金を盗む人のことをいいます」
エドはタマとレオンにそう告げる。
「わかった、気を付ける」
「それと、なにか面倒事に巻き込まれたら相手を殺してはいけません。すぐに遠話で相談してください。遠話はタマが付けている腕輪から行えます」
「はいでしゅ」
タマとレオンが頷くのを確認したあと、二人を宿の外まで見送る。タマがいれば迷子になることはないはずだ。
「レオン兄、手をつなぐでしゅ」
タマがレオンに向かって手を伸ばしてくる。
「ん」
少し照れながらレオンはタマの小さな手を掴む。
「それじゃあ行ってくるでしゅ」
空いている手で千夏達にタマは手を振る。レオンもタマをまねて小さく手を振る。
レオンのぎこちないしぐさが微笑ましい。千夏は笑いながら手を振り返す。
「何かおいしいそうなものがあったらお土産お願いね」
「はいでしゅ」
タマは踵をかえすと港町の中心に向かって歩き始めた。レオンもタマに手を引かれ歩いていく。
「さて、私たちも朝ごはん食べに行こうか」
千夏は二匹を見送ったあと、振り返ってエドとリルを連れて食堂へと向かった。




