妖精の谷へ
風の妖精の谷。
そこには3つの山脈に囲まれた深い渓谷で、青々とした緑の森と渓谷を噴き上げる強い風に守られた大地だ。
魔物は濃い魔力から生まれるが、妖精はこの世界を巡る魔力と気力から生み出される。その姿は30センチほどの小さな人型で、背中には大きな2対の透明な羽が生えている。
シルフィンは生まれてから92年の月日をこの妖精の谷で過ごしていた。
渓谷を噴き上げる風に乗り大空を自由に飛び回ったり、森で熟した果実を頬張ったり千夏が喜びそうなまったりとした生活を送っていた。
シルフィンは人にも興味があり、たまに風にのって妖精の谷から一番近い人里に遊びにもいったりする。風を使って集めていた藁を吹き飛ばしたり、こっそり夕飯のおかずをつまみ食いしたりとささいないたずらをして遊んでいた。
「また、妖精がいたずらしにきたか」
集めていた藁が辺り一面に吹き飛ばされているのみて、村の農夫はしょうがねぇなと溜息をつく。
この村には昔から妖精の言い伝えが多く、実際に妖精を見たものが何人かいる。
妖精をはっきりとみることができるのは膨大な魔力と気力を持った人間であるが、まれに太陽と月が入れ替わる時間にぼんやりと妖精の姿が普通の人に見えるときがあるのだ。
自由気ままな妖精だが一つだけ使命がある。各妖精の里にひとつある世界樹を見守ることだ。
世界樹はこの世界の大地に深く根を張り、この星の中核から魔力や気を吸い上げ、その気や魔力を浄化させた後に、世界各地へと澱みなく巡らせる役目を持っている。世界を巡った魔力や気力は大地へと戻り、再び世界樹を通して巡っていく。
あらゆる生物や植物などは気力か魔力を糧にしてそこから生み出される。
世界樹が枯れたり、倒れたりしたらこの星はなにも生み出すことができなくなるのだ。
気ままな妖精たちもそれぞれ決められた時間にはきちんと世界樹の守り番をこなす。
その日はシルフィンが朝番となっており、朝から世界樹の周りを飛び回っていた。
「なんやこれ」
青々とした世界樹の葉の中の一枚が黄色くなっていることにシルフィンは気が付く。生まれてから一度も世界樹の葉がみずみずしい緑色以外の色に染まっているのをシルフィンは見たことがなかった。
「シルフィン、こっち来て」
同じ当番であるフィーに呼ばれ、シルフィンは仲間が数人固まっているところに向かって飛んでいく。
「なぁ、これ見てや」
フィーが代表して、仲間が注目している枝をシルフィンに指し示す。
フィーに言われるまでもなく、シルフィンは一目でその異変に気が付く。一つの枝に生えている葉全てが先ほどシルフィンが見つけたと同じ黄色に変わっていたのだ。
「フィー、妖精王を呼んでこいや」
シルフィンがそう言いつけると、フィーは急いで妖精王がいる森の泉に向かって飛び去っていく。
「世界樹の葉がこないになったの見たことあるんか?」
一番年若いノールがシルフィンに尋ねる。
「いや、見たことあらへん」
シルフィンは首を振ってこたえる。
「なぁ、これやばいんとちゃうか?この色は普通の葉が枯れるときの色とおんなし色や」
不安そうにタムが黄色くなった葉を触って裏をみたりする。
この日を境に世界樹の葉が少しずつ枯れ始めた。
大地から吸い上げた気に大量の負の気が混ざり、浄化しきれずに世界樹の葉が枯れていっていったのだ。
ちょうどそのころ、魔王が人族の地へと侵略戦争を始めた頃だった。戦争で命を失った者たちの気が負の気となって大地にしみこんでいった。
このままでは世界樹が枯れてしまう。
妖精たちは話し合い、魔族と人族の戦いに介入することに決めた。
それは今から300年ほど前の出来事であった。
旅立ちの日はかんかん照りで雨の心配はまったくなかった。
しばらくの間お世話になったタッカーを始め、メイドたちに別れの挨拶をすると千夏達は馬車に乗り込む。
いつものように御者台にはエドとセレナだ。セレナは千夏からもらった麦わら帽子をかぶり、エドは元から持っていたのか、長めのシルクハットをかぶっている。
馬車の中には氷を入れた小さなたらいがいくつも置かれ、微風を吹きだすマジックアイテムは起動済である。
『それでは、出発します』
エドが遠話のマジックアイテムに話しかけるとすぐにセラから返事が返ってくる。
『わかった、気を付けてね。いってらっしゃい』
千夏は走り出した馬車から王都の景色をゆっくりと眺める。
結局あれからランドルフとは一度もあっていない。
タマの鱗はエド経由で届けてもらっている。おかしな人だったが、あれっきりなのもなにか寂しかった。
タマはコムギを膝にのせ、猫じゃらしもどきで遊び始める。コムギは金色の瞳を見開き、タマが振る棒に向かって腕を振り回している。
コムギは生まれたときよりも大きくなっており、今は体長20センチほどだ。相変わらずよく食べる。気を取り込む量も少しずつ増えてきているようだ。といってもタマや千夏にとっては微々たるものだが。
千夏はアイテムボックスから借りてきた本を引っ張り出す。それはこれから向かう王都の南について簡単に説明された本だった。
南国諸島の入口となっている、港町までおよそ一週間ほどかかる。途中には前に潜ったフィタールのダンジョンがある。フィタールから飛んで馬車にのることも考えたが、「王都は堂々と出るべきである」というエドの忠告に従って馬車で出発した。
それにちょうど一週間後に港町で夏祭りが開催されるのだ。合わせるならそれに合わせて祭りを楽しもうという話になった。
港町を出ると南国諸島を巡る定期船にのり、目的地の島国まで二つほど島を巡る予定だ。その途中の島国で千夏の目当てである米が作られているらしい。
もうひとつの島国に寄るのは、そこに小さなダンジョンがあるからだ。その小さなダンジョン中に水竜のドラゴンオーブがあるという噂があるらしい。せっかくそこまで足を延ばすなら、そのドラゴンオーブで新しい魔法を覚えてくるようにとセラに指示されているのだ。
本当にドラゴンオーブがそのダンジョンに存在するのかどうか。かなり眉唾ものであるが。
寄り道をしたあとに目的地の島国へ到着するのは二週間後の予定で、そこからその島の入口周辺から妖精の谷を探すのだ。
シルフィンが場所を覚えていれば問題ないのだが、なにせ300年ほど前の記憶だ。ぼんやりと覚えている程度らしい。
本のページをめくる千夏をリルはうっとりと眺めている。いまだにリルの頑固な思い込みのフィルターは解除されていないようだ。
王都を少し離れた辺りで、アルフォンスとセレナが馬車から降りる。いつもの走り込みで馬車と並走して走るのだ。
アルフォンスはリルも走らないかと誘ったが、そんな酔狂なことに付き合う物好きな後衛はいない。
タマとコムギはアルフォンス達に続いて降りる。シルフィンに魔物も鍛えただけ強くなると聞いたせいだ。
アルフォンスとセレナの走る速度にあわせて馬車は再び走り出す。その二人の少し後をタマとコムギが走ってくる。
最悪追いつけなかった場合に、タマが竜に戻って馬車に追いつくという手筈になっていた。タマは竜だし、コムギはもともと俊敏な魔物の子供だ。それほど離されない距離で追いかけてくる。
「コムギ、疲れたらいうんでしゅよ。タマが連れていくでしゅよ」
小さな足を精一杯動かしながらタマは隣を走るコムギに話しかける。
「クゥー」
コムギは問題ないと答える。
小さいながらも確かな足取りでコムギはひたすら前を目指して走る。
「やっぱり、猫というよりもどちらかというと豹のほうが近いのね。猫だったら走りたがらないだろうし」
千夏は馬車の窓から少し後ろを走るタマとコムギを確認する。
「俺は竜が走るってほうが不思議な感じがするよ。鍛錬する竜。学校で習ったときのイメージがずたぼろだよ」
リルも逆側の窓から身を乗り出してタマ達を見ていた。
「そうね。タマは人に育てられている時点で、普通の竜とはちょっと毛色が違うのかもしれない。どの物語に出てくる竜も偉そうで、威圧的なのだもの」
「まぁ竜というと強者のイメージが強いからね。それに竜はあまり人と関わらないし、実体はよくわかってないのかもしれない。というか、アルフォンス達はどのくらい走るつもりなの?」
リルは千夏と二人っきりであることを意識しないように一生懸命話す。
こんなに早くに二人っきりになるとは想定外だった。早く誰か戻ってきてくれないかなとリルは馬車と並走する二人と2匹を眺める。
「たぶん、お昼まで走りっぱなしだと思うよ。タマ達はきっと途中で戻ってきそうだけど」
千夏はリルの心境なぞまったく気が付かずに、リルに返答する。
「お昼までって、まだ5時間くらいあるじゃないか。そんなに走るんだ」
(当たり前や、それでもまだ足りないくらいや。)
シルフィンがリルのつぶやきに答える。
「そういえば、シルフィンがいたのだっけ」とリルは二人きりじゃないことに気が付く。
本来シルフィンの本体である剣を腰にさしたままセレナが走るのだが、今日はシルフィンは新しく増えたメンバのリルと話すつもりで馬車の中に置かれている。
(ところで、リルは何の魔法を使えるんや?知っといた方が作戦が立てやすい)
「戦闘のときに、シルフィンが指揮を執ることが多いの」
千夏がシルフィンの言葉を補足する。
「えっと、まずは中級の治療魔法のキュアとハイヒールだね」
(石化や解毒解除のキュアと骨折くらいやったら一瞬で治るハイヒールか。支援系の魔法はどうや?)
「支援系は、速度上昇・回避上昇・魔法防御上昇かな。耐性効果上昇は毒・火・水が取れた。昨日魔法屋で覚えたばかりだけどね。あとは防御結界と魔法結界の中級を使えるよ。といっても一人で展開する結界だから、3メートル四方くらいしかカバーできないけど」
リルは自分の使える魔法を思い出しながらひとつひとつ答える。
(ハイヒールは魔力回復剤を飲まずに、どのくらいの回数を唱えられるんや?)
「3回だね。できるだけ魔法屋から魔力回復剤を買ってきたけど。あと今は覚えられないけど、もう少しレベルが上がれば、オートヒールを覚えられると思う」
(ちびっとずつ生命力がしばらくの間自動で回復する魔法か。ダンジョンに行く予定やから、そこでレベルを上げておいたほうがええな)
少し考えた後にシルフィンは答える。
ダンジョンでレベル上げ。
―――――面倒そうだ。ゲームですら途中で飽きてしまうのに、実際に戦うのは骨が折れそうだ。千夏は二人の会話を聞き、少しげんなりとする。
とりあえずダンジョンまでは祭りを楽しんだり、お米を探したりのんびりできるはずだ。
千夏は本をしまうとお昼まで寝ることにした。
脱字を直しました。
×島口
〇島の入口




