合唱魔法
アルフォンスの護衛の任を解かれたので、千夏はだらだらと三日ほど過ごす。
結局、パーティメンバーは一カ所に集まっていた方がいいだろうというアルフォンスの意見で、そのままバーナム辺境伯別邸にお世話になることになった。
久しぶりにだらだらと寝て過ごし、たまにタマとシャロンに付き合って泥んこ遊びなどしたりする。
一緒にお風呂に入って泥を流し合うのも結構楽しかった。
セレナとアルフォンスはこの暑い中鍛錬にいそしんでいる。
何が楽しくてそんなに頑張るのか、千夏には理解できない。
タマは元気に今日もシャロンと中庭で遊んでいる。
二人が遊ぶ姿を眺めながら、千夏はお茶をすする。
だいぶ日差しが強くなってきている。
そろそろ熱中症対策が必要なのかもしれない。
千夏は、タマとシャロンを呼び寄せるとお茶を勧める。
「暑いときは外では水分補給をこまめにとらないと倒れちゃうから、気を付けてね」
「「はい(でしゅ)」」
二人は元気に答える。
熱中症になった竜などいるのかわからないが、気をつけたほうがいい。
麦わら帽子でも買いにいこうかなと考えているところで、タッカーから千夏にお客が来たことを告げられる。
千夏が応接室に入ると、小柄な老婆がソファに座っていた。
老婆はおっとりとした優しそうな人で、若いころはさぞ綺麗だったのだろう。老いてもなお気品が溢れている。
千夏は軽く会釈をすると老婆の対面のソファに腰かける。
「初めまして。私は王宮主席魔術師を務めさせていただいているカトレアと申します」
「初めまして、千夏です」
千夏は挨拶しながら、彼女がセラが言っていた上級魔法を教えてくれる人だということに気が付く。
「セラ様からお話は通していただいているとお聞きしていますが、本日伺ったのはチナツさんのドラゴンオーブから読み取った魔法を思い出してもらうことが目的です。魔法が発動する可能性もあるので、場所を王城に移してもよろしいですか?」
「はい」
タッカーに王城まで出かけてくることを告げると、カトレアが転移魔法を使う。
城門をくぐり、王宮ではなく近衛騎士団の訓練場にカトレアは向かう。
そこに魔法結界がはられた魔法部隊の練習場があるのだ。
「確か、ドラゴンオーブは火竜のものだったとか」
のんびりと杖をつきながら歩くカトレアは千夏に質問する。
「そうです。よくご存じですね」
セラといい、王城の人はなぜか千夏達の行動を知っている。
「セラ様からお聞きしました。そうなると覚えたのは火の上級魔法ということですね。火の上級魔法は、『紅蓮の炎』です。聞いた覚えはありますか?」
そう聞かれて千夏は考え込む。
聞いたことがあるような、ないような……。
「実際に見てもらった方がいいでしょう」
にこりとカトレアは微笑み、演習場の中へ入っていく。
演習場の中には魔法部隊が勢ぞろいしており、魔法部隊長のメビウスがカトレアに向かって会釈をする。
「メビウス、こちらはチナツさんです」
「初めまして。魔法部隊隊長のメビウスです。これから合唱魔法で『紅蓮の炎』を唱えます。よくご覧ください」
メビウスはチナツに会釈するとすぐに部隊のほうに向きなおる。
魔法部隊は各魔法属性毎に小隊が組まれている。
火属性部隊はおよそ30名。赤いローブををまとった集団が、一斉に杖を持ち上げる。
一人がメロディを紡ぎだし、歌い始める。
それに合わせて全員が声をそろえて歌う。
千夏はその歌声にきょとんとする。
「合唱魔法を見るのは初めてですか?」
千夏のその様子にカトレアが説明を始める。
「今歌っているのは魔力同調をさせるための曲です。複数人で紡ぐ合唱魔法は、まず魔力同調させ、そのあと魔力の方向の調整、最後に『紅蓮の炎』を唱えるという3段階の手順を踏みます。
合唱魔法の利点は魔法で使われる魔力を複数人で分担することができるという点です。今30人ほどで歌っていますから、大体一人あたり、自分の魔力の1/3で『紅蓮の炎』を唱えることができます。
一人では魔力不足で唱えられない魔法も集団で紡げば唱えることができます。
欠点は発動までに時間がかかることです」
高らかに紡ぎだされていくメロディに千夏は耳を傾ける。
何度も同じ短い曲を繰り返し歌っている。全員の魔力の波動が揃うまで延々と繰り返されるのだ。
3分ほど経つと違うメロディを全員が歌いだす。どうやら第二段階に入ったようだ。
演習場の中央に置かれた藁人形と鉄の鎧をきた人形に全員視線を向け、歌を紡いでいく。
「そろそろ発動します」
カトレアにいわれて千夏も2体の人形をじっと見つめる。
赤いローブの集団が的の藁人形に向かって杖を向け声をそろえて『紅蓮の炎』と唱える。
藁人形の周囲に渦巻く火炎が発生する。効果範囲はおよそ3メートル。
ぐるぐると渦を巻き炎が踊り狂う。藁人形は一瞬で燃え尽き灰になった。鉄の人形も木の部分はすぐに燃え尽き、鉄がドロドロと溶け始める。
千夏は目の前で赤く燃え上がる炎をじっと見つめている。
頭の中で火竜の記憶が呼び覚まされる。
カトレアは魔法が収束した後に千夏に向かって尋ねる。
「どうですか?思い出せそうですか?」
千夏は急激に空気に触れ固まっていく鉄を見ながら答える。
「なんか使えそうな気がする」
「では、試してみてください」
カトレアは、先ほど魔法が放たれた演習場の中央を指さす。
千夏は頷き、体の中の魔力を指先に溜めていく。
カトレアは魔力の流れをじっと見つめる。
『紅蓮の炎』を唱えるのには少し魔力が多いようだ。
千夏は拳銃を模倣した形に指を握ると、人差し指を目標に向ける。
「『紅蓮の炎』!」
千夏の指先から紅蓮の炎が渦を巻き演習場中心部に渦高く舞い上がる。
ドロドロと溶けていた鉄は一瞬で蒸発して消えてなくなる。
「お見事です」
満足そうにカトレアは微笑む。
魔法を放った瞬間に体の中からすぅっと魔力が抜けていくのが千夏にもわかった。
だが、前回とは異なり魔力切れまではいっていない。少し疲れた程度だ。
魔法部隊も自分たちより威力の高い魔法を一人で放った千夏に脅威の眼差しを向ける。
憧れるのを通り越して恐怖を感じていた。
そもそも全員千夏が特級魔法を使った現場を見ているのだ。
異物を見るような魔法部隊の眼差しを敏感に感じ取ったカトレアは、メビウスに一言「お疲れ様でした」と声をかけると、千夏を伴って訓練場を出ていく。
千夏に不快な思いをさせたくなかった。
「この後、セラ様が昼食を是非ご一緒にとおっしゃられています。以前王都観光のときにご紹介しようとしていたお店だとか。どうなされます?」
カトレアは城門に向かって歩きながら千夏に尋ねる。
もちろん千夏が断るわけがない。
カトレアに案内され、千夏は商業区のはずれにある建物の中に入っていく。
中に入ると小さなエントランスがあり、案内係りの給仕が恭しく出迎える。
カトレアが、セラの名前をいうと、案内係が先導して建物の中を進んでいく。
木造で落ち着きがあるこの建物はエントランスから複数の回廊が入り組んでおり、その先に一つ一つ小さな小屋へと続いている。
回廊からは小さな可愛らしい庭園が見える。
一つの木でできた小屋の扉を開けると、大きなテーブルが一つ。座席は掘りごたつのように床に足を入れるようになっている。
そのテーブルにはすでにセラが座って待っていた。
テーブルの上に広げた帳簿を片づけながら、セラは「意外と早かったのね」と声をかける。
「お料理をお出ししてもよろしいでしょうか?」
給仕の男性がセラに尋ねる。
「もちろんよ、どんどん持ってきて」
セラの返事に給仕は会釈すると、部屋を出ていく。
日本でいうところの料亭にあたるのだろうか。
普通の食堂とは雰囲気が違う。
すぐに大量の料理が部屋の中に運ばれる。
どうみても3人で食べきれる量ではない。
色鮮やかないろいろな種類の料理を眺め千夏は嬉しそうに微笑む。
「代表的なエッセルバッハの各地方料理を一品ずつ頼んでみたの。これだけあればどれか気に入るものもあるでしょう。さて、いただきましょう」
セラはテーブルいっぱいの料理が並べられると早速フォークを握る。
千夏も早速目の前の料理から手をつける。
赤カブと豆が入っており、辛い香辛料で煮込まれた汁物だ。
カブの甘味のあとに香辛料のピリッとした辛さがくる。結構おいしい。
幸せそうに料理をつまむ千夏を見ているとカトレアも楽しくなる。
普段は食が進まないのだが、千夏にひとつひとつ料理の説明をしながらカトレアも自然に食事に手を付ける。
セラは楽しそうに食事をするカトレアを眺めて満足そうに微笑む。
楽しい食事は会話も弾む。
「そういえば、明日のパーティに着ていくもの決まった?」
セラは煮魚をつつきながら千夏に質問する。
「え、私もでるの?」
明日はアルフォンスの社交界デビューだ。千夏はてっきり留守番だと思っていた。
「もちろんよ、全員出てもらうわ。言ってなかったっけ?」
「感謝パーティーがどうのってのは聞いたけど、私も出るとは思っていなかったよ。やっぱりドレスとか着なくちゃいけないの?面倒だなぁ」
もちろんそんな服を千夏は持っていない。
パーティーなどという堅苦しい場所にでたら肩が凝ってしまう。
「最初だけ出てくれればいいから。あとは庭園でまったりしてくれてて構わないわ。
ドレスはチナツとセレナは普通サイズだから、私のだとちょっと小さいわね。ローズのを借りましょう。たぶん問題ないわ。明日お昼にカイエ侯爵邸に集合ね」
「それってどこにあるの?」
「エドが知っているから連れて行ってもらいなさいな」
千夏は頷く。とりあえずセラに任せておけばいいだろう。
そのあとはまた料理の内容に話題が戻っていく。
ペロリと5人前を綺麗に食べきり、千夏は満足げにお茶をすすった。




