フィタールのダンジョン (2)
フィタールのダンジョンは地下5階までの中級ダンジョンだ。地下3階くらいから少しではあるが、魔石が取れる。魔石は欠片でも高い値段がつく。
王都から馬車で2日。地下三階までであれば、Bランクモンスターまでしか出現しない。魔石狙いの冒険者達が数パーティで組み、度々訪れるダンジョンとして有名だ。
ホリーが所属するパーティはランクB。前衛3人、後衛2人の5人パーティだ。全員が獣人で、年齢も30台半ばと揃っている。平均冒険者歴13年のベテランパーティだった。それでも念のために同じBランクパーティ《スターダスト》を誘い、合計9人でフィタールのダンジョンへ魔石採掘のため、潜りこんだのは昨日のことだ。
どうやら洞窟清掃がされていないようで、地下一階から次から次へと魔物に遭遇する。CランクやBランク下位の魔物といえども、数匹で襲われたらたまったものじゃない。
一日かけてやっと辿り着いた地下二階へとつながる通路前についたときは、すでに体力の限界で誰もが無言で座り込む。洞窟内なので外の景色は見えないが、ホリーが持ち込んだ懐中時計は、すでに午前0時を過ぎていた。
「ここで仮眠をとろう。地下同士をつなぐ通路からは魔物は上層に上がってこない。通路を背に天幕をはり、見張りは3人で3交代制にしよう」
《スターダスト》のリーダーのヒューズは疲れきった声でそう提案する。誰も異論はない。早速天幕を張り、見張り以外が眠りにつく。
ホリーが起こされたのは、3回目の見張り交代の時間だ。6時間ほど眠れたが、疲れきった体はまだ回復していない。体力回復剤と魔力回復剤を飲みながら、辺りを警戒する。ホリーは狼系獣人で、鼻と耳がいい。ピクピクと大きな耳をときおり動かし、寝静まったダンジョンの微かな物音を拾い上げる。
魔物は現れず、やがて無事全員が起床する時間になる。ホリーは天幕でマグロのように眠っている仲間を次々に叩き起こす。すぐに街で買っておいたサンドイッチと乾燥野菜をお湯で戻したスープでの朝食となる。味気ない食事が済むと天幕をたたみ、装備の確認を行う。
ホリーは腰に差した短剣と、このダンジョンの地図を取り出す。このダンジョンの地下三階までの地図はギルドから入手したものだ。ホリーはいわゆるシーフと呼ばれるダンジョンに欠かせない地図製作と魔物の警戒役を担っている。
「問題がなければ、三階に降りるぞ」
ホリーのパーティ《暁の風》のリーダーである熊の獣人ハンスが、出発の合図をする。ホリーを含めた前衛がゆっくりと地下三階へと下る道を降りていく。
しばらく様子を窺いまわりに魔物がいないことを確認すると、後衛に降りてこいと声をかける。
「三階は魔物が少なければいいんだけどねぇ」
肩に手を当て首を左右に動かし、モモは全員に移動速度上昇の支援魔法をかける。
地下三階にはミノタウロスやヘルハウンドが出現する。少しでも数が多かったら逃げるためだ。魔物と戦うためにここに来た訳ではない。
「いいか、逃げるときはホリーの指示に従え。闇雲に逃げ回っても、未探索エリアに入って新しい敵に遭遇する可能性が高い。ホリー、逃げ込む場所は基本的にここだ。常に位置の確認をしておけよ」
「わかってる」
ハンスの言葉にホリーは頷くと、索敵のためにひとり前に進む。
魔物の気配はない。少し進む毎に地図と現在位置があっているかの確認を行い、仲間を手招きする。進行速度は遅いがなによりも安全が第一だ。
それから魔物に遭遇することなく、次の角を曲れば目当ての地下三階で一番大きな空洞だというところまで辿り着く。魔石はこの大きく広がった空洞で見つかることが多い。ただし、広い空間であるため魔物がいる可能性が高い。
ホリーは慎重に目的地に向かい歩き始めたが、すぐにピタリと立ち止る。ゴソゴソと動く多数の足音と強烈な臭いが目的地から漂ってくる。
(物凄くやばい感じがする)
ホリーは仲間の方に振り返り、両手を前に数回押し出す。これは「下がれ」という合図だ。仲間が20メートルほど下がったことを確認し、ホリーは忍び足のスキルを使って空洞の中が見える位置まで歩みよる。
そこで見たものは、異様な数の魔物だ。数は30を軽く超え、うろついている魔物の大半がヘルハウンドだった。ヘルハウンドは身の丈が2メートル程の黒い狼のような魔物で、口から炎を吐き出すやっかいな魔物だ。
ホリーはすぐに身をひるがえすと、腰にぶら下げていた黄色いスカーフを振りながら、仲間たちのいる場所へ走り出す。これは前もって決めていた合図で、「なりふり構わず逃げろ」という合図である。
だがすぐにホリーの合図に気づいたものはいなかった。ホリーが空洞を確認しに行っている間に、突然横湧きした一匹のミノタウルスがパーティに突っ込んできていたからだ。
「ブモォォォォォォォォォォォォォォ」
ミノタウルスは咆哮を上げると、目の前にいる人の集団に向かって突進する。
ガシッ。凄まじい衝撃音が鳴り響く。
ミノタウルスの突撃に合わせ、ハンスが割り込んだのだ。ミシミシとハンスが掲げるラージシールドが音を鳴らす。
「ウォォォ!」
ハンスは顔を歪めながら大きな腕に力を込めてミノタウルスとの力勝負を持ちこたえる。
ホリーはついに叫ぶ。先ほどのミノタウルスの雄叫びで、空洞にいたヘルハウンドがこちらに気が付いたのだ。ホリーの耳にはこちらに向かって後ろから歩み寄る足音がはっきり聞こえていくる。
「逃げろ、逃げろ、逃げろ!」
ホリーに気がついたヒューズは即座にハンスと押し合っているミノタウルスにパラライズの魔法を放つ。徐々に押し出す力を失ったミノタウルスを振り切り、ハンスは叫ぶ。
「全員撤退!」
一丸となって、元来た道をひたすら駆け戻る。
地下2階へ戻る通路までは、およそ100メートルほどの距離だ。すぐ後ろからヘルハウンドたちの息遣いが聞こえてくる。最後尾のホリーとヘルハウンドとの距離はおよそ5メートル。
すでに地下二階へと続く道の半ばを登ったヒューズが、ヘルハウンドに向けてウィンドストームを放つ。同じく魔法使いのセトがウォータウォールで水の防御壁を発動させる。
先頭を走っていた数匹のヘルハウンドが、風の渦に身体を切られ怒号を放つ。
「ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!」
なんとか全員が地下2階へと辿り着く。
「本当に上がってこないのか?大丈夫なのか?」
ホリーは数メートル先でうろうろとこちらを伺っている、ヘルハウンドの群れにおびえる。
ダンジョンの魔物は階層を超えて移動できない。そう言われているがこれだけ至近距離に敵がいたことはない。しかもその魔物は怒り狂っているのだ。本当に大丈夫なのかと不安になる。
天幕や壁になりそうな物を空間魔法でセトは取り出すと、みんなで協力して地下三階への通路を塞ぐようにバリケードを作る。
一匹のヘルハウンドが、こちらに向けて火炎を吐き出す。火炎は通路を縦に1メートル吹き上がり、ぎりぎりホリーたちの前に届かない。
長い緊張の時間が続く。
「5分経った。奴らはやはりこちらに上がってこなれない」
「どうする?このままじゃ三階に降りることはできない」
「撤退か、継続かだ。継続の場合、あいつらがあきらめてくれることを待つことになるわけだが……」
ハンスとヒューズは顔を突き合わせて今後の方針について検討を始める。
ダンジョンの中では転移魔法が使えない。
魔石を採るためには目の前の魔物大群を越えなければならない。
このまま帰れば安全だが、手ぶらで帰ると魔石採取依頼が失敗となり、違約金を払わなければいけなくなる。違約金は報酬の半額、金貨250枚だ。
「幸いに食糧と水はたっぷりある。ギリギリまで粘ろう」
ハンスがそう決断をくだす。
時間が経てば経つほど新たな魔物が生まれ、増えていく可能性が高い。少しでも魔物を減らせないかと溜まっている魔物に向かって遠距離攻撃を仕掛ける。近寄れば、ヘルハウンドの炎に巻き込まれてしまう。
なんとか魔法のみで3匹のヘルハウンドを倒すことが出来たが、ヒューズとセトの魔力が枯渇し、それ以上の攻撃は出来ない。
地下三階の入り口には大勢の魔物が押し寄せ、傷つけられたことに怒号を上げ絶えず威嚇してくる。
ホリーはすでに諦め、違約金をどう払うかを考え始める。だがいくら考えても払うあてなどない。
皆も徐々に無口になり黙り込む。
「あ!」
ホリーはひょこりと突然現れた緑の鱗をまとった赤い角を持つ30センチほどの魔物に気がつき声を上げる。ぼんやりと考え込んでいたため、まったく気づけなかった。
黙り俯いていた仲間達がホリーの叫び声に気が付き、すぐさま立ち上がり警戒態勢をとる。
「おい、あれはもしかして竜じゃないのか?」
ごくりと唾を飲み込みながら、ハンスが呻く。
地下2階に竜が湧くなど聞いたことがない。前には竜、後ろにはヘルハウンドの群れ。まさに絶体絶命だ。
竜は泰然とし、殺気立った人間達をただ眺めている。ホリーはただひたすら目の前の竜に隙がないかを探す。
その時、ホリーは竜の背後の方から近づく複数の足音を聞き取る。
(まさか、他にも生れ落ちた魔物が寄ってきているのか?!)
ホーリーはただ、己の悪運を呪うことしか出来なかった。




