戦いのあとに
「アルフォンス殿、此度のご助力、誠に感謝している」
侯爵がアルフォンスに向かって深々と頭を下げる。戦いが終わり、事後処理などが少し落ち着いた後、アルフォンスは侯爵に呼ばれ執務室のソファに腰を下ろしていた。
アルフォンスの背後には、エドが控えている。
時間はすでに深夜にさしかかっている。他のメンバーはすでに寝ているためここにはいない。
「いえ、気にしないで下さい。でも、なんとか守れて良かった」
侯爵の姿にアルフォンスは恐縮し、背筋を伸ばす。
アルフォンスの返答を聞き、侯爵はゆっくりと頭を上げる。その目はアルフォンスと同様に濃い疲労の色が浮かんでいた。
「ありがとう。おかげで街に一切の被害を出さずに済んだ。犠牲となった者達も少しは報われるだろう。しかし、今回の魔物の侵攻は不可解過ぎる……。いや、この件については明日にしよう。遅い時間までつき合わせて、済まなかった」
疲れた頭で考えても仕方ない。侯爵はそう断り、その場は解散となる。
エドはアルフォンスが部屋に戻ったことを確認した後に自室に戻り、部屋の隅に置かれていた机に向かう。バーナム辺境伯宛に今回の騒動についての報告書をしたためる必要がある。
侯爵が懸念していた点について、エドも同様の懸念を感じていた。そもそも魔物が徒党を組んで街を襲撃するなど過去に例がない。
「いや、300年ほど前もありました。確か魔王の軍勢が……」
エドは念のために、そのことについても報告書に記載する。転移ができない以上、手紙を明日の船便に託すしかない。
「問題はこの異常事態が、ミジクだけですめばいいのですが」
エドはもう一通同じものを書き留める。宛先はジャクブルグ侯爵だ。
現在ミジクから30キロ圏外に転移ができないこと。早急に王都とバーナム辺境伯に今回の件を報告して欲しいこと。その二点を追加記載し、手紙の封を行うと夜番の使用人を捕まえるためにエドは部屋を出る。
すでに夜明けまであと数時間という時間であったため、ひっそりとした廊下にカツカツとエドの歩く靴音が鳴り響く。エドは使用人がいそうな場所を探し、台所で明日の朝食のスープを仕込んでいる老人を見つける。エドは早急に届けるようにと念を押してから手紙を老人に託す。
今日やるべきことを全て済ませたエドは寝るために自分の部屋へと向かう。部屋に戻る途中でエドは自然と出た欠伸をかみ殺す。
欠伸をしたことを誰にも見られていないことを素早く確認し、やや早足で部屋に戻る。執事足るもの人前で弛んだ態度は見せられないのである。
エドは部屋に戻ると上着を脱ぎ、ブラシを当てようと腕を動かしたところでピタリと止まる。上着のところどころに血が付着し変色していた。エドの血ではない。魔物の返り血だった。
「私としたことが……」
最近、少し弛んでいることを自覚したエドは、アイテムボックスから拳大の石を取り出すと、自分の頭に思い切りぶつける。石はガツッと音をたてたあとピキピキとひび割れて砕ける。
「……反省は終わりです」
エドは砕けた石と汚れた上着をアイテムボックスにしまい込み、新しい上着を取り出す。上着をハンガーにかけ、眼鏡を外しテーブルに置くとそのままベットに潜りこむ。数秒後にエドはすぐに眠りについた。
翌朝、いつもより少し遅めの朝食会が始まる。今回はアルフォンスだけではなく、エドを除いた全員が侯爵と同じテーブルにつく。ジャクブルク侯爵とは異なり、厳格な侯爵は普段は付き人の同席など認めない。
しかし、今回の朝食会への千夏達の参加は侯爵からの要望だった。
千夏達は順次侯爵と向かい側の席に着く。その中で見慣れない、小さな子供が千夏の隣に座ると侯爵は怪訝そうにアルフォンスを見る。
アルフォンスはタマについてどう説明するかを一瞬躊躇して黙り込む。昨日の戦いですでにタマの本来の姿を侯爵に見られている。
「昨日の竜です」
簡潔にアルフォンスは侯爵に答えた。
「なんと!」
その一言を聞き、侯爵の隣に座っていたフェルナーは、にこにこしている小さな子供を凝視する。昨日、戦場で見た獰猛果敢に魔物を葬り去った竜にはとても見えない。
「あの竜か……」
「そうでしゅ。タマなのでしゅ」
侯爵は一度黙った後、目を細めタマを見つめる。
「タマはこちらの千夏の従魔なのです」
アルフォンスは千夏を簡単に紹介する。
「そうか」
ここでアルフォンスが嘘をつく理由はない。侯爵は納得する事にした。
そのあとアルフォンスによるセレナの紹介が終わり、食事会が始まる。
「護衛2人の今回の報酬は、依頼を受けた冒険者と同様にギルドから払い出すように言いつけてある。更にそなた達の今回の活躍に見合った報酬が必要だと考えている。ギルド以外に私の方から報酬を出そう。何か望むものはあるか?」
パンにバターを塗りながら侯爵が千夏とセレナを見る。
「そなた達の活躍によって魔物を退けることが出来たのだ。遠慮することはない」
突然振られた報酬の話に動揺したセレナは落ちつかない様子でちぎったパンを持て余している。ちらりとアルフォンスを横目で見るとアルフォンスは微笑みながら頷く。
「確か侯爵家には素晴らしい武具があると聞いております」
アルフォンスが侯爵に尋ねると、侯爵は頷く。
「先代が趣味で武具の収集をしていた。あとでそれを見て考えるのも良かろう」
(まさか剣が欲しいとかいわへんよな?)
シルフィンがからかうようにセレナに尋ねる。剣は自分ではまだ使いこなせない立派ものを持っている。セレナはシルフィンの問いに無言で首を振る。
(なら、籠手か胸当てとかどうやろ。魔法がかかっておるものがええな)
セレナはシルフィンの言葉に頷き、後で侯爵家秘蔵の武具を見せてもらうことにした。
千夏はというとあまり武具に興味はなさそうだ。
今回の千夏の報酬にはタマの分も含まれる。千夏ひとりに今回の全報酬の半分を払っても良いくらいだと侯爵は考えていた。
領地が欲しいのであれば、王に掛け合って子爵の位を与えてもいいだろう。とにかく彼女とタマがいなければ、ミジクの街に大きな損害が出たはずだ。貴族足るもの臣下への報酬は鷹揚でなければならない。侯爵はそう考えていた。
千夏はタマに何か欲しいものがあるかをとりあえず念話で聞いてみる。
(ご飯が食べたいでしゅ)
(ご飯以外は?)
(そうでしゅね、タマはもっと強くなりたいでしゅ)
そうきたか。千夏は眉をひそめる。とりあえずそれは、侯爵が与えられる範疇ではない。
(そうなると、ご飯かぁ……。タマは狩りで十分ご飯食べられているのよね。ご飯……あ、そうだ)
千夏は何か思いついたらしく、おもむろに侯爵に話かける。
「タマに身分証を与えてくれませんか?」
タマは従魔であるため冒険者登録は出来ないので身分証は持っていない。最近タマが人の姿になってから千夏はずっと思っていたことがある。タマ一人でご飯を食べに自由に街や村を出入り出来ないのだろうかと。
正直、毎回毎食毎に送り迎えすることが面倒だったのである。人の姿がとれるならば身分証さえあれば出入り自由だ。
アルフォンスは冒険者登録をしていない。(本人は登録をしたいだろうが、貴族の体裁に問題があった)ゆえにアルフォンスの身分証明は辺境伯が発行しているものだ。侯爵ならばタマの身分証の発行は難しくないのではないかと千夏は思い至ったのだ。
「竜に身分証か……」
意外な申し出に侯爵は千夏とタマを見比べる。タマは身分証についてよくわからないので、不思議そうに千夏を見つめている。
「農民の子供でも何でもいいんです。街や村に出入り出来れば。身分証があれば好きな時にご飯食べに行けるの」
前半は侯爵に後半はタマに向かって千夏は説明する。タマはそれを聞いて大喜びである。
「すごいでしゅ!朝お腹がすいたら、ちーちゃんが起きるまで待たないでご飯を食べに行けるのでしゅね!」
「そうだよ。でも、そのまま飛んでの出入りはダメ。出入りする時は人に変化しないといけないからね」
「わかったでしゅ。もしかして、タマひとりでシャロンに会いに行くこともできるのでしゅか?」
「もちろん大丈夫!」
「すごいでしゅ!」
タマと千夏の二人だけで盛り上がっている。
身分証を発行出来るかと言えば簡単なことだ。いままで従魔として街に入っていたが人に変わるだけだ。高い身分を用意してくれと言われた場合は対応は難しいが、街に入れるだけの身分ならいくらでもすぐに用意出来る。
「わかった、すぐに用意しよう」
侯爵がそう答えた瞬間、タマは興奮して思わず竜に戻ってしまった。そのまま嬉しげに部屋の中を飛び回る。
千夏も満足そうだ。
「本当にあの竜だったのか……」
侯爵の隣でフェルナーはあんぐりと口を開けたまま飛び回るタマを見つめる。侯爵はタマの狂乱ぶりに若干引いていた。パンパンと数回手を叩くとタマに落ち着いて着席するように厳しく言いつける。恩竜と言ってもこの屋敷で傍若無人な振る舞いは許されない。
タマは再び人に変化すると、おとなしく席に座る。侯爵はそれを確認してから再度千夏に尋ねる。
「他に何かあるか?」
まさか欲しい報酬が身分証だけではあるまい。
千夏は侯爵の申し入れについてすぐには答えない。
(本当は家が欲しい。そしてメイドさん!でも今旅の途中だし、この街に家をもらうのがいいのかちょっと悩む。街を見る前にいきなり戦闘だったしなぁ……)
少し考えさせてほしいと千夏は答え、侯爵はいつでも思いついたらいうようにと話を締めくくる。
そのあと静かに朝食会は進み、何事もなく無事に終わった。




