シシールの街
2人の体力強化が始まって3日ほど経った。順調に旅は進んでおり、一行はシシールの港に辿り着いた。
シシールはエッセルバッハ王国の西の玄関口と言われる港町だ。
エッセルバッハ王国は領地をパワン海を挟んで東と西に分断された国である。
パワン海は外洋ではなく、地球でいえばカスピ海のように内陸にあるとても大きな湖だ。海から複数の河にのってパワン海に海水が流れこんでくる。流れこんだ海水はパワン海を通り、複数の支流から流れ、大陸を横断しふたたび海に戻っていく。
千夏は目の前に広がる壮大な景色を眺めていた。
パワン海である。とても湖だとは思えない。まさに海である。
(確かカスピ海は日本よりちょっと小さいくらいだったっけ?パワン海もかなり大きそう……)
街に近づくにつれ、きつい潮の匂いを風が運んでくる。
シシールの街はゼンの3倍ほどあり、海を中心に半円形の形をしている。過去に魔物の襲撃に備えたとおぼしき古びた巨大な城壁が街を幾重に囲んでいる。
街の入り口は入場しようとしている商人の馬車が多く行列となっていた。
「すごい行列なの。街に入るまでに日が暮れそうなの」
セレナも初めて来たシシールの街を御者台から身を乗り出して眺めていた。
「貴族特権を使えば、すぐに中に入れます」
エドは行列の最後尾に並ばず、止まっている馬車の横を通り抜けるように手綱を振るう。
「やっぱり貴族ってすごいの」
シシールの街の入り口となっている門は大型馬車が三台はすれ違いできる広さだ。基本右側通行であり、これから街に入る行列は右側に並んでいる。逆に街から出てくる馬車や人は、左側を通っている。
エドが今馬車を走らせているのはその隙間の中央だ。目の前がガラガラであったため、街の門まで5分ほどで辿り着く。
すぐさま数人の兵士が馬車に近寄って来る。
「バーナム辺境伯の御子息アルフォンス様と護衛です」
エドは馬車を降り、辺境伯の家紋入りの身分証明書を兵士に差し出す。
兵士は身分証明書を受け取り、簡単に確認を済ます。
「領主様より話しを伺っております。こちらの者がご案内いたします」
二人の兵士が先導のため馬車の前に並ぶ。
「それでは……あっ!あれは何でしょうか?」
馬車の上でもぞもぞと動くタマを差しながら兵士は質問する。
「ああ、あれも護衛です。従魔ですよ。何か問題でも?」
さらりとエドは答える。
「わかりました」
見たことのない従魔を街に入れるのが不満ではあるが、貴族が連れている珍しい従魔なら問題はないだろう。そう警備隊長は判断した。
門を抜けると目の前のメイン通りに人が溢れかえっていた。
「この中を馬車で進むの?」
絶対身動きが取れなくなりそうだ。
千夏がそう聞くとアルフォンスが問題ないと答える。
馬車がメイン通りに向かい始めたのを見て、人々は道の端や一本奥の道へとぞろぞろと移動を始めた。人波がさあっと左右に引いていく。人が居なくなった道をゆっくりと馬車は進む。
後ろを振り返るとさあっと左右から人が戻ってくる様子が見えた。どうやらこの世界では馬車が来たら避けるというルールが徹底しているようだ。千夏の世界では歩行者が優先だった。
「王都のほうがもっと多くて見応えがあるぞ」
アルフォンスが驚いている千夏にいう。
馬車は人波をかき分けメイン通りを左に曲がる。
シシールの街は大きく4つの区画に分かれいる。街の北は海沿いで港地区となる。南は街の入り口があり商業地区で、東は住宅街となる。
現在馬車が向かっているのは最後の西区で、行政区となる。シシールの領主であるジャクブルグ侯爵の屋敷は外周の城壁を背に小高い丘に建っていた。
ジャクブルグ侯爵邸の前庭はバーナム辺境伯の屋敷がそのまますっぽり入るほどの大きさだ。庭には小川が流れ小さな池もあり、その周り木々や花壇、東屋が絶妙に配置されていた。
屋敷の入り口にはおよそ30人くらいのメイドや従僕がずらりと整列しており、馬車の到着を待っていた。
「ようこそ、シシールの街へ。アルフォンス殿と会うのはずいぶん久しぶりですな」
にこにこしながらジャクブルグ侯爵は応接室に入ってきたアルフォンスに声をかける。侯爵は昨年前侯爵から爵位を受け継いだばかりの34歳という若い侯爵である。きさくな人柄で、バーナム辺境伯家とは友好的な関係を築いている。
「ジャクブルグ侯爵、お久しぶりでございます」
アルフォンスは侯爵へ向けて優雅に礼をとる。侯爵に席を勧められ、侯爵と対面の席にアルフォンスは腰かける。
すぐに、淹れたてのお茶を持ったメイドが現れ、給仕した後すっと下がる。
「アルフォンスお兄様、お元気でしたか?」
侯爵の隣にちょこんと座った、侯爵家の跡取り息子のシャロンがにこにことアルフォンスに話しかける。
シャロンは今年5歳になる。
「シャロン殿はまた大きくなられましたな。剣のほうはどうです?」
「いやー、シャロンは私に似たらしく、剣の稽古より読書のほうが好きなようでしてな」
シャロンの代わりに侯爵が答える。シャロンは少し赤くなって俯いた。
「では後で最近読んだ本で面白かったものを教えてください。特にドラゴンが出てくる物語とか」
「相変わらず、アルフォンス兄様はドラゴンが好きですね」
シャロンは顔を上げ笑い出す。
「そういえば、今回アルフォンス殿の伴に珍しい従魔がいると聞き及んだのだが?」
「はい。友人の冒険者の従魔です。楽しみにしていてください」
供の冒険者を友人と語るアルフォンスに侯爵は笑みをこぼす。
「では、楽しみにしているよ。ところで、今回はどのくらいここに滞在できるのかい?」
侯爵はティーカップを持ち上げ一口お茶を飲んだあと、アルフォンスに尋ねる。
「一週間ほどご厄介になろうと思っています」
「本当ですか?」
シャロンは嬉しそうにアルフォンスを見上げる。
アルフォンスが侯爵と挨拶をかわしている頃、千夏とセレナは冒険者ギルドに向かっていた。ゼンよりも大きな街なので人ごみに揉まれながらメイン通りを歩く。
セレナが千夏の手をひいてくれなければ、千夏は迷子になっていたかもしれない。
メイン通りから冒険ギルドに入ったところで、千夏はホッと一息をつく。
もともと半分ひきこもり状態の千夏は、通勤ラッシュ以外の人込みに遭遇していないので、雑多な人込みに慣れていない。なお、通勤ラッシュ時は人の流れ通りに動いていただけである。
シシールのギルドは受付が8個もあり、ギルドの一階にある食堂兼酒場もゼンの二倍程スペースがある。かなり広いはずなのだが、人も多いためぱっと見にはわからない。何よりも千夏が気になったことは、食堂にずらりと並ぶ魚関係のメニューだった。
さんまの塩焼きやサバの味噌によく似た食べ物を食べている冒険者をじっと食い入るように見つめる。
(魚だぁぁぁ!)
千夏はふらふらと食堂のほうに歩き始めるが、すぐにセレナに引き戻される。
受付で街への到着報告をし、ギルドカードを渡す。道中倒したゴブリンやタマのご飯関係で倒した魔物の未清算分を受け取る。
やるべきことが終わった瞬間に、セレナは千夏に引きずられ食堂に連れていかれる。
その日からしばらくの間「ギルドの食事メニューをひとりで全て食べ尽くした身丈3メートルある化け物」についての都市伝説が密かに流行となった。
私も魚がすごく食べたくなりましたー。
誤記・脱字を修正しました。




