直樹と愛里の事情
仁科直樹は厳しい就職に勝ち、大手証券会社に勤める23才の男である。外見は少し身長がほかより高いどこにでもいる普通の男だった。
直樹には、知り合いから紹介された付き合い初めて一カ月の可愛い彼女がいる。彼女は瀬野愛里といい、えくぼの可愛い女子大生だ。
今日は彼女とデートであり横浜の映画館で映画を見た後、喫茶店でお茶を愉しんでいた。
「これからどうする?」
直樹は一応そう彼女に尋ねる。実はちょっとおしゃれなレストランに予約を入れていた。
「んんー、今16時かぁー。どうしようかなぁー。実は、大学のレポートが残ってるのぉー」
愛里は携帯で時間を確認し、指で髪をくるくると巻きながらちょっと考えるそぶりを見せる。
「そうかぁ……一応雑誌で見つけたレストランを予約してたりするんだよね」
残念そうに直樹がそういうと、愛里は「んーんー……どうしようー……」と悩むふりをする。
直樹には悩んでいる彼女の姿がとても愛らしく見えた。
「鴨肉が絶品らしいんだけど、無理そうなら断るよ」
直樹はそういうと自分の携帯を取り出す。それを見た愛里は上目使いに直樹をちらりと見る。
「直樹がどうしてもというならいってもいいよぉー」
「じゃあ、お願いします」
笑いながら直樹がふざけて愛里に頭を下げる。
「いいよぉー」
そして二人は電車に乗り込んだ。
「仁科直樹様、あなたはお亡くなりになりました」
直樹がたどり着いたのはレストランではなく、六畳ほどの応接室だった。
直樹の目の前に座った男が淡々と状況を説明する。
しばらくして直樹はやっと自分の置かれている状況を理解し始める。
「そうだ、愛理は?愛理はどうなったんだ!」
自分と一緒にいたはずの愛理がどうなったかが気になった。
「瀬野愛理様ですね。面談はすでに終了して、Cコースを選ばれたようです」
男は懐から手帳を取り出し、中を確認してそう答えた。
「俺もCコースにする。愛里に会わせてくれ」
「わかりました。では転生先を瀬野愛里様と同じ場所に出現するように設定します。ところで特典のほうはいかがいたしましょうか?」
すらすらと手帳にメモを取りながら男は言った。
「先ほどの話だとまるでゲームのような世界だったよな。モンスターもいる世界だと」
「はい。冒険者として身分証明をとっていただきますので、手に職を持たれるまでは冒険者として活動するケースが一般的ですね」
「死なないようにするのは無理とかいってたな」
「はい。多少強くすることは可能ですが、あまり大きな力は与えることはできません」
直樹は顎に手をあて考え込む。
日本とは違い、一歩間違えればすぐに死んでしまうような世界らしい。
多少まとまった金を作り、手に職を見つけて愛里と暮らす方向で直樹は考えていた。そのためには多少モンスターと戦わなければいけない。か弱い彼女を連れてそんなことができるのだろうか?
できるだけリスクを減らすべきだ。
「……例えば、魔物が気が付かないように身を隠すようなスキルとかはどうだ?」
「隠密のスキルですね。向うの世界にもあり、特に特殊なスキルではないので問題はないです」
「戦闘中に危険になったらすぐに身を隠せ、不意打ちをできるようなスキルだぞ。あ、それと自分だけではなく彼女も一緒に身を隠す必要がある」
直樹は念を押す。自分だけ隠れられても意味がないのだ。
「そうですね。基本は自分の姿を隠せ、手で触れた対象も同時に隠れるスキルということでどうでしょうか?」
「それでいい」
「では、隠密の中級スキルということでよろしいですね」
男は手帳にスキルを書き足していく。そして思い出したかのように、途中で手を止める。
「注意事項があります。そのスキルは魔法結界が張られた場所では見破られます」
「魔法結界というのはどこにでもあるものなのか?」
「いいえ、向うの世界では貴族以上の屋敷などで防犯用に設定されているものです。あとはレベルが高い魔物には察知されてしまいます。よっぽど危険な場所に行かなければ大丈夫でしょう」
「ならば問題はない」
直樹は男との面談を終了し、愛里と合流をすべく転生をした。
(泣いてなければいいんだけど……)
転生用の青い扉を開けながら、愛里の顔を直樹は思い浮かべた。
「とりあえず、ここまでくれば大丈夫かなぁー。疲れたぁー。一旦休憩しよぉー」
山を下りしばらく進んだところの川べりでトールバードを止めて愛里は言った。
すっかり夜が明け、日が昇り始めていた。
「そうだな……」
直樹もトールバードを止め、背中から降りる。
辺境伯の息子はかがせた眠りの香が効いているらしく、いまだに眠り続けていた。
愛里はほっそりした手を川に入れ、水をすくって飲んでいた。愛里が動くたびにさらさらと金色の髪が揺れる。
瀬野愛里は転生の特典を力ではなく、転生しなおす外見につぎ込んだ。ぶさいくな体に生まれなおすのは愛里には我慢できない。
「絶世の美女」を要望したが、却下された。仕方なく10人いれば8人は振り返る容貌を手に入れた。
しょせん男はきれいな女には弱いのだ。新しい世界でさっさとパトロンを捕まえ面白おかしく生きていこうと決めていた。
転生先に現れた、大手商社マンでもなんでもないただの冒険者の直樹に用がなかった。
しかし、現実は甘くなかった。
まず、高貴な身分のものに会うことができなかった。身分制度のせいでめったなことには貴族に会うことができないのだ。それならば大商人で手を打とうと考えた。だが、転生した場所の近くにあった街ゼンはそれなりには栄えていたが、大商人は王都に住んでいるらしく不在であった。
王都に行くにもお金が必要だった。
お金もつきはじめた頃、いろいろな男に貢がせようと愛里は画策した。だが大概の男は綺麗なだけで男を見下すような愛里には近寄らなかった。
「金に困ってるなら身売りすればいい。きっと売れっ子になるぜ」
近寄ってくる男は、教養もまったくなく下種な笑いを浮かべた男しかいなかった。
背に腹はかえれず、愛里は直樹に会いにいった。
こんな世界に連れてきた責任をとってもらうために。
しかし、直樹のひとりの稼ぎではなかなか立ち行かない。貧乏な生活に嫌気がさした愛里は、直樹の隠密スキルを使って悪事を働くことを強要した。最初は渋っていた直樹であったが、愛里の度重なる責任追及についには折れた。
商家からお金を盗んでしばらくの間は(愛里が)好き勝手にできていたが、裏社会の人間に目を付けられ、ついに二人は追い詰められた。
そして今現在に至る。
「しかし、本当にこの人を連れていけば見逃してくれるのだろうか……」
ぽつりと直樹が呟く。
「そういってたじゃないー。そうしたら、また好き放題にお金を稼げるのー」
「愛里……もう悪事は今回でやめよう」
「何いっちゃてるのー?」
愛里はじろりと直樹を睨む。
「もう、日蔭の生活は嫌だ。堅実にひっそりでいいから暮らしていきたいんだ」
直樹は愛里の目を見ながらきっぱりと言う。
「誰のせいでこうなったのかわかっていってるのぉー?」
「俺が悪かった。でも!」
愛里はふんっ鼻をならして、直樹を見下ろす。
「でももなにもないわよー。少し頭を冷やしたらどぉー?さてと、無駄話はこれくらいにしてぇーさっさと先に進んだほうがいいわー」
「わかった……後で話そう」
転生してから何十回目かの溜息をついて直樹はそう答えた。
そう、とりあえず目的の地まで今は逃げ切ることが先決であった。
誤記を修正しました。




