獣人の国の王子
海の街マハドはフローレンシア大陸の北部にある獣人の国トルクに含まれる貿易拠点のひとつである。
トルク王家の血筋は獅子系獣人で、第二王子であるランスロットも王家の特徴的な外見を受け継いでいる。煌めく黄金の髪を背中で一つに結び、ふわふわの小さな獣耳をピクピクと動かしながらランスロットはガラガラと音を立てて走る馬車の中、ゆっくりと本のページをめくる。
彼は今年19歳になる変わり者と有名な王子だった。代々王家は武人の血が流れており、家族そろって武術馬鹿といってもいい程体を鍛えることに熱心だ。唯一の例外であるランスロットは幼い頃から書庫にこもり色々な学問を学びつつもフィールドワークと称していろいろな土地を歩き回る。彼の一番の興味は魔物の生体の調査で、詳しい魔物図鑑を作ることが生涯のライフワークと定めている。
彼に付き従う騎士のユイールは延々と魔物を生け捕りで捕まえることを強要され、騎士のはずなのに隠密スキルだけがグングンと上がるという情けない状態になっている。王宮の奥にあるランスロットの離宮の庭には生け捕りした低レベルの魔物がうようよと闊歩しており、人々から魔物宮とあだ名されているそうだ。
「王子、そろそろ鉱山に着きますぞ」
ランスロットの乗っている馬車に付き添う様に着かず離れずに愛馬の手綱を操るユイールが大人しく本を読んでいたランスロットに声をかける。
ランスロットは軽く息を吐き、読んでいた本を閉じると隣の座席で先程から人参をカリカリと食べているファーラビットを抱き上げる。このファーラビットは見かけによらず、鋭い歯を持つ非常に弱い魔物だ。
魔物宮で初めて繁殖に成功することが出来た子供で、幼い頃からランスロットが面倒を見ているため非常に彼になついている。
キャロと命名したファーラビットを撫でながらランスロットは気難し気に眉をしかめる。いくら過去の文献を当たっても竜と仲良くなる方法や弱点を見つけることが出来なかった。
「ユイール、お前竜を捕獲できるか?」
「……何度も申し上げたのですが、無理です。王やフェザー様を連れて来たほうが勝率は高いと言っているでしょう?」
騎士団長を父親に持ち、ランスロットより3歳年上の男名をつけられた女騎士はギリギリと歯噛みしながら答える。普段は身に着けない重厚な鎧を纏った彼女は綺麗な真っ白な髪を編み込み、丸みを帯びた小さな耳をぴくぴくとせわしなく動かす。
「父上や兄上を連れてきたら竜が討伐されてしまうかもしれないじゃないか。僕は竜をじっくり観察したいのだ。倒すことが目的ではない。そもそも父上たちは竜を倒すと意気込んでいる。抜け駆けされないように今朝の朝食にシビレ薬を入れておいたから良かったようなものの、さっさと僕が竜を保護しないとダメなんだ」
「……痺れ薬なんて盛ったんですか。私まで巻き添えで怒られるのは真っ平御免ですよ!」
キリキリと痛む頭を指で揉みながら彼女はぼぉっとした風情の主をイライラと睨み付ける。何も考えてないように見えるが彼は自分の欲望に忠実だ。平気できわどいことも結構やる。
「んん、しかし困ったな。どうやって竜を観察しよう」
ぶつぶつと彼は呟いた。
「ん。誰か来た」
千夏はタマのほっぺについた米粒を摘まんでぱくりと食べながら、くるりと後ろを振り向く。
鉱山に住み着いた竜の親子との話がひと段落してお昼ご飯を食べている時だった。
「討伐隊ですか?」
エドは味噌汁を配りながら訪ねて来る。
「二人だけみたい。違うんじゃないかな」
千夏の言葉に風竜がぴくりと反応し、飛び立とうとするのをレオンが呼びとめる。
「待て。ここは僕が行こう。あなたより人に慣れているからな」
レオンは竜に戻ると有無を言わさず空へと飛びあがる。
珍しく自発的に動いたレオンの行動に千夏はぽかんと空をふり仰ぐ。
確かに風竜よりは人に慣れているだろうが、パーティの中では一番人の世に疎いレオンである。正直かなり不安だった。同様に不安そうにレオンを見送るリルと千夏は目が会う。
「気になるから見に行こうか」
「そうだね」
歩いて下山するには時間がかかる。そこでタマが竜に戻って乗せてくれることになった。
レオンの矜持を傷つけないために近くになったら下ろしてもらい、歩いていくことにする。
そろそろと近寄っていくと上等な一台の馬車に対峙するレオンの姿が見える。
「何用だ」
レオンは眼下にいる剣を帯びた女騎士に注意を向ける。
女騎士は目の前の竜を緊張した面もちで見上げてそろりと馬から身を下ろし腰の剣に手を伸ばす。
「やぁ、ごきげんよう!いい天気だね」
馬車からゆっくりとランスロットが降りて来る。
相変わらずマイペースで不用心な主に女騎士は少し泣きたくなった。
突然天気の話を振られたレオンは訝し気にランスロットを見下ろす。
「何用かと聞かれれば、君と話がしたいと答えるべきだろう」
ランスロットは無造作に馬車に戻ると積んでいた箱を下ろす。その箱は重量軽減機能がついた王家でも宝物と言われている。少し豪奢な箱の蓋を外すとそこにはびっしりと魚が詰まっている。
「魚?その箱に魚?宝物庫にあるマジックアイテムに何てことを!」
女騎士が悲鳴を上げる。
「魚は好きかな?出来るだけ詰め込んできたんだ。よければどうぞ。あ、もしかして肉のが好きかな?それだったら……」
またもやゴソゴソと馬車に戻りランスロットは似たような箱を取り出し地面に置く。
再度あけられた箱の中にはこんがりと焼き上がった鶏肉が無造作に詰め込まれいた。
「……」
勢いよく飛び出したものの、不可解な相手の反応にレオンは戸惑いを感じていた。
「頑張れレオン!」
リルは木陰からぐっと手を握りしめてレオンを応援する。
「しかし竜が出たと聞いていたけど、混血竜だったのか。初めて見たよ。といっても僕は竜自体初めて見るんだけどね。食べ物に毒なんて入ってないよ。痺れ薬も入れていない。ささ、もっと近くにおいでよ。そして僕と話そう」
ランスロットはにっこりと笑い、おいでおいでと手招きする。
「……話すことなど何もない、ここから立ち去れ」
呑気そうなランスロットに思わずアルフォンスを重ね見たレオンは疲れたように声を絞り出す。
「ふんふん。声は若いね。もしかして結構若い竜なのかな。餌付けはダメかぁ。話すことはないといわれても僕にはあるんだよ。出来れば君を安全な場所に連れていきたいと思っている。なにせ僕の親兄妹はもうしばらくしたら君を倒しに来るかもしれないんだ。僕は君に何かしようなんて思っていないよ。ゆっくり話をさせてもらって君を観察したいだけなんだ」
そう言いながらもランスロットは取り出したノートにカリカリと筆を走らせレオンの姿を模写していく。
全く竜相手に恐怖を感じずに対話し続けるランスロットにレオンはじりじりと追い込まれていく。
人を傷つけるつもりはないので、彼らから少し離れた場所に氷魔法を放ち「いいから帰れ!」と怒鳴る。
氷魔法の威力に女騎士はひぃっと声を上げ後ろに飛ぶが、ランスロットはマイペースに手を止めずにレオンの姿を描き続ける。
「君も強いんだろうけど、僕の親もSランクなんだよ。僕は君が傷つくのを見たくないんだ。とりあえずこの山を離れて別の場所でゆっくり話そうよ」
全くへこたれないランスロットに千夏はこれはダメだと首を振る。
彼が言っていることが正しいのであれば数刻後にはSランクの彼の親がやってくる。Sランクといえばカガーンで見た煉獄の双剣と同じ強者だ。互いに無事で済むわけがない。
「リル、一回タマと戻って今の情報を伝えてきて。私は出来るだけ早くここを立ち去ったほうがいいと思う」
重々しい口調で語る千夏にリルは真剣にこくりと頷く。リルの記憶の中でもSランク冒険者の強さはしっかりと刻み込まれている。
タマの背に乗ったリルが山の頂上へと向かうのを見送った後千夏はさてどうしたものかと困ったようにレオンとランスロットを眺める。
自立心で飛び出したレオンに割り込むのはなんだが、千夏は彼から聞きたいことがある。
「――――――あなた誰?」
木陰から姿を現した千夏はずんずんと招かざる客の前へと歩いていく。
「!!」
突然姿を現した千夏にレオンやランスロットそしてユイールが驚きの視線を向ける。
女騎士はすぐさまランスロットを守るように彼の前に進み出て、剣の柄に手をかけなおす。
「――――――何故来た」
対するレオンは不機嫌そうに千夏をじっと見つける。
「ごめんね」
ひとりで追い返したかったであろうレオンに千夏は詫びる。だがすぐに千夏は視線をランスロット達がいる方向に戻す。何故なら彼らの背後から凄い勢いで暴走する馬車が山道をかけあげてきているのが見えたからだ。
「こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!ランスロットォォォォォォォォォ!!!」
「よくもシビレ薬を持ったなぁぁぁ!!」
馬車の窓からは黄金に輝く髪を持った中年の男と若い男が身を乗り出していた。
「あーあ。来ちゃったか。早かったな」
ランスロットは憮然と追いすがってくる馬車を眺めた。
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