お風呂
「先程は大変素晴らしいものを見せて頂きました。まさかあのネバーランドの領主殿とは気が付かず誠に失礼しました」
千夏に向けて二本の大きな角を深々と下げてエリオスは対面の挨拶をする。
大食い大会も無事終了し、その日の夕刻に千夏達は領主の館に呼ばれた。大食い大会の優勝者ではなく、ネバーランドの領主として。
この街マハドは南の貿易拠点の街であるため、遠い中央大陸に新たにできた小国の噂話は船乗りたちから伝え聞いている。といっても領主が人族の女性であること、エッセルバッハとハマールと同盟を組んだかなり小さな国であることくらいだ。勇者の国でかつ竜達が住む国であることを彼は知らない。
千夏は持っている中でまともな黒のスーツを着込んでいる。さすがにいつもの古着屋で買った服で来るのは失礼だと思ったからだ。
他に着替えられたのはエドのアイテムボックスに正装が収納されているアルフォンスくらいで、まさか正装が必要だと思っていなかったセレナとリルはいつもの軽装のままだった。
といっても千夏の服装は領主としてというよりも一般的な服装なので、どちらかというとアルフォンスに付き従う人々といった体を風体を醸し出している。
「いえ。単なる冒険者の一人として参加させていただいたのですから……。一度参加してみたかったんです、大食い大会」
千夏は幾分恥ずかしそうに答える。大食らい領主とあだ名されても不思議な状況ではない。
「楽しんでいただけてよかったです。ところで我が国にはどのような用事でいらっしゃったのでしょうか? 何かご相談したいことがあると事前に承っていますが……」
領主が椅子を勧めたので、千夏はタマを抱きかかえて座る。そしてそのタマの膝の上にはコムギがちゃっかりと座り込んでいる。4人かけの椅子にアルフォンスとセレナ、そしてリルが座り、エドと那留とレオンは椅子の後ろで立ったままだ。那留はいささか窮屈そうにレオンと同じフロックコートに身を包んでいる。
「実は彼女は水の妖精の加護を受けていまして、妖精から頼まれごとをしたのです」
ここからは手筈通りにアルフォンスが事情を説明していく。未だにどこまで話していいのか千夏に判断が付かなかったからだ。
「水の妖精の加護ですか。我が国では誰もが羨む加護です。しかも妖精と話せるとは素晴らしいですね!」
エリオスは侍女が淹れたお茶を受け取り、千夏をじっくりと眺める。
「して妖精の頼まれ事とは?」
アルフォンスは丁寧にリリィから聞いた話を領主に説明していく。アルフォンスの言葉にエリオスは一瞬ぽかんとややまぬけな顔を晒す。
それもそうだろうと千夏はゆっくりとお茶を飲みながらエリオスの顔を伺う。海はお風呂ではないのだからそんなものがあるなんて誰が思うだろうか。
エリオスはしばらくしてから立ち直ったのか、真剣な表情で腕を組み考え込む。
「それが事実ならゆゆしき問題です。聞けばその石は大層美しい。何も知らぬものが手に入れてもおかしくはないでしょう。水の妖精が立ち入れぬところといえば、屋内でしょうな。
分かりましたこちらで早急に探し出します。しかし合点がいきました。ここ数か月で急に海の高さがいままでよりも高くなっていたので気にしていたのです。いまはまだ30センチ程ですが早めに対応をしないとこの街が一番最初に水没します。
――――あなた達がここに来てくれたことを感謝します。妖精の言葉を聞くことが出来るものはほとんどおりません。これも妖精のお導きでしょう」
深々とエリオスに頭を下げられ千夏はほっとする。どうやら真剣に探してくれるようだ。
「私たちも盗まれてから数か月経った今知ったのです。知らなければ我が国にも影響が出たことでしょう。この地について私たちは殆ど何も知りません。すみませんがよろしくお願いします」
「はい。早急に探し出して見せます。それまでの間、狭いところですが我が家でお待ちいただけますでしょうか?」
エリオスは狭いと言っているが千夏の持っている屋敷に比べればこの屋敷は10倍程も広い。
ありがたく要石が見つかるまでここで厄介になることにした。
リルと同じふわふわの尻尾を持つ狐系獣人のメイドさんに連れられ千夏達は離れへと向かう。
部屋に着くとタマはすぐにころりとベットに寝転がる。限界までおなかいっぱい食べたので先程の会見中も寝ないようにとろんとした顔で必死に起きていたのだが、さすがに睡魔に勝てないようだ。すぐに目を閉じてすやすやと眠り始める。コムギももそもそとタマの隣に寄るところんとおなかを見せて寝転がる。
千夏はおなかが冷えないように小さなブラケットを二匹にかける。
「……もう食べられないでしゅ」
タマはころんとまた寝返りを打って、眉をしかめながらブランケットをあぐあぐと口の中に入れている。
夢の中まで頑張って食べているようだ。
千夏はくすりと笑うとタマの口からブランケットを取り出す。タマはしばらく口をもぐもぐさせていたが、落ち着いたのか寄っていた眉も下がり気持ちよさそうに眠っている。
「セレナとお風呂いってから寝るかな」
千夏はうーんと背伸びしてから隣の部屋のセレナを訪ねる。
「あ、チナツ? タマ達は寝ちゃったの?」
セレナは今日買ったばかりの服をベットの上に並べてにまにまと眺めていたところだったようだ。
「お風呂どうかなと思って」
「いくの。ちょっと待つの」
セレナは洋服を袋にいそいそと戻し、部屋にあったタオルを手にしてわたわたと出てくる。
ここのお風呂は露天風呂で、お風呂から海が見えると離れまで連れてきてくれたメイドさんがそう言っていた。なかなか楽しみである。
「でももう真っ暗だから海が見えないの」
薄暗くなった湯殿への向かって離れの庭をセレナと二人で歩く。
所々に道を照らすように小さなランタンが置かれている。ランタンに沿って歩くと小さな小屋が見えてきた。千夏とセレナは脱衣所らしき小屋の中へ引き戸を開いて中に入る。小屋の中は小さな作り置きの棚とタオルが置かれているだけの素っ気ない作りだった。
機嫌良く服を脱ぎ始めるセレナをよそに千夏は棚に置いてある見覚えがある何着かの服を摘まむ。
「セレナ、ちょっと脱ぐのストップ!」
きょとんとセレナはこちらを見て脱いだ上着をもそもそと着直す。
千夏はお風呂へと続く扉をがばりと開く。どうやら岩風呂らしく少し離れた場所に大きな岩がごつごつと見える。岩風呂の中ではのんびりと湯につかっている那留とリルの姿が見える。
「!!」
「よお!」
顔を真っ赤にして声にならない悲鳴を飲み込んだリルと気持ちよさげにのんびりとした那留がこちらに向かって手を上げる。
千夏からは見えない場所で体を洗っていたレオンの動きがぴたりと止まる。
「――――やっぱり混浴かぁ。お風呂からあがったら教えて頂戴。部屋で待ってるわ」
千夏はそう那留に向かって声をかけてから風呂側の扉をぱたんと閉じる。
「チ…チナツ、よく平然としているの」
セレナはぷるぷると震えながら千夏を見る。
「遠かったから顔くらいしか見えてないよ」
のほほんと千夏は答えて庭へと続く扉を開ける。
後で知ったのだが獣人の国ではお風呂は混浴が多いらしい。わざわざ男女別にお風呂をわけないそうだ。
ことの顛末を聞いたエドにその後千夏が「領主として慎みがない」と怒られた。
竜なんていつも丸裸のようなものじゃないの?と思ってはいても口に出さずに千夏は素直に怒られることにした。減らず口を叩いたら余計に怒られそうだったからだ。
それからは脱衣所の入口のドアノブに誰かが入っているときはリボンを結ぶことになった。白いリボンが男の人が入っているときで、赤いリボンが女性陣が入浴中を意味する。
「タマもコムギも雄でしゅよ?」
不思議そうにタマがセレナが結ぶ赤いリボンを見つめる。
「タマとコムギはまだ大人じゃないからね。それとも、タマはレオン達と一緒に入る?」
千夏の問いかけにすぐさまタマとコムギはぷるぷると頭を振る。
「大きくなったらちーちゃんとお風呂入れなくなるのでしゅか……。タマは小さいままでいいでしゅよ」
ずっと早く大きくなりたいと言っていたタマがしょんぼりと頭を下げる。
そのタマの頭を石鹸でわしゃわしゃと洗っていた千夏が笑う。
「竜の成長は人と比べると遅いからね。気にしないでドンドン大きくなりなさい。コムギもね」
「クゥー!」
コムギはセレナの膝の上でおなかをわしゃわしゃと洗われながら返事をする。
千夏達が領主の館に滞在するようになって2日経った。いまだに要石は見つかっていない。
のんびり海で遊んだり、ギルド経由でネバーランドの近況を聞いたりして過ごしている。ネバーランドでは冬だがこちらは初夏に近い気温なので、千夏達も徐々に日に焼けていく。
エリオスは要石を探す以外にネバーランドについての情報も貪欲に手に入れようと動いていた。そして滞在3日目の朝食の席に久しぶりにエリオスが千夏達が過ごしている離れにやってきた。
「申し訳ありません。要石は全力で探しておりますが、まだ見つかってはおりません。今日は別のお願いがありまして……実は本国で少し困ったことが起きましてね。ぜひ勇者殿に助けていだきたいのです。なんでも勇者殿は竜を従えているとか……。竜についてお詳しいですよね?」
エリオスは申し訳なさそうに千夏に視線を送る。
「別に竜に強い訳じゃないんですけど……。ちょっと知り合いに竜がいるだけなんです」
千夏は少し面倒くさそうに口を開く。エリオスからは厄介事の匂いがプンプンする。
だが竜と聞いて黙っていられない男が素早く口を開く。
「竜がどうかしたのですか?」
生き生きと目を輝かせたアルフォンスが身を乗り出してエリオスに尋ねる。
こうなったら誰にも止められない。千夏はそっと溜息をついた。
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