寝静まった夜に…
ゼンからしばらくの間草原が広がっていたが、レキ村を抜けたあと馬車は山道へと入っていく。
標高はそれなりにあるが、緩やかな傾斜の山であるため馬車でも進むことができる。
山の中腹に村があり、今夜の宿はその村に泊まることになる。
過去幾千の人々が踏み固めた山道をガラガラと音をたて馬車は登っていく。
エドひとりが御者台に座り、残りの3人は馬車の中でお休み中である。
昨日のゴブリンとの戦闘での疲労がまだ尾をひいていた。
眠る千夏の膝に普段はアルフォンスから逃げるため馬車の上にいるタマが気持ちよさそうに眠っている。
タマにちょっかいをかけるアルフォンスも爆睡中であったため、とても静かだった。
「こんなに静かになるのであれば、適度な寄り道もいいものですね」
ときおり聞こえる小さないびきの音をききながら、エドは久しぶりの静かな時間を堪能していた。
山道を10キロほど登ったころに休憩所あり、エドは馬車を止める。休憩所といっても徒歩で山越えをする人たちが使っている場所で、野営ができる少し開けた場所である。
エドはいつものように調理器や薪、食料を空間魔法で取り出してお昼ご飯の支度を始める。火つけ係りが爆睡中であるため、エドは火打石で薪に火をつける。
今日のお昼は野菜とゴブリンの肉がたっぷり入った具だくさんのスープである。
今夜泊まる村の名産はヤギの乳で作られたチーズやバターだ。夕飯はこってり料理となることが予想されるため、お昼はさっぱりした味のものにする。ナベに調味料を入れ、味を調えると3人をおこすべくエドは馬車の中に入っていった。
そんな静かな静寂が食後に突然破られる。
「あーお風呂に入りたい!」
椅子に座った千夏が手足をバタバタと動かしながら騒ぎ出したのだ。
リフレッシュで毎日体をきれいにしているが、昨日の狩りの疲れもあり、湯船にゆっくりつかりたい気持ちが抑えられなくなっていた。途中立ち寄ったロアやレキの村にはお風呂がなかった。
ゼンを出発して4日目もお風呂に入っていないのだ。千夏のストレスは限界点を突破した。
千夏はウォーターとヒーターの魔法はもってるが、肝心の湯船を作る土魔法属性がない。穴をほってお湯をいれたとしても土が溶けだし、泥風呂になるのはわかっていた。だいたい穴を掘るにも小さなスコップしかない。
一応最後の希望としてアルフォンスに土魔法をつかってもらい、お風呂を作ってほしいと頼んでみた。
「まかせろ!」
と胸をはったアルフォンスが全魔力を使いきり掘り上げた穴は、深さ15センチ、横幅30センチの穴であった。
「あぁぁぁ。使えない……」
千夏はがっくりと肩を落とす。
「結果はわかっていたでしょうに。そんなにお風呂に入りたいのですか?」
お昼に出した様々な道具を空間魔法で収納していたエドが呆れた様に千夏を見る。
「お風呂に入れない人生なんて味噌の入ってない味噌汁を飲むようなものだよ」
千夏はそういいきる。千夏以外の3人は味噌汁を知らないため、何もコメントしようがない。
「ニュー」
タマが元気づけるように千夏の頭の上で鳴く。
すっかり出発の準備ができていたが、千夏がうなだれたまま動かない。仕方なくエドが千夏に声をかける。
「村に着いたら木の風呂おけを作ってもらいましょう。空間魔法があれば持ち運びできますよ」
「そうなの?」
すぐに千夏はがばりと顔を上げる。
「さぁ、早く馬車に乗ってください。ぐずぐずしていると夕方までに村にたどり着きませんよ」
エドに追い立てられ千夏は急いで馬車に乗り込む。セレナはそれを確認すると馬車を動かし始めた。
すっかり日が暮れた後に村に到着する。
村の横を流れる小さな小川に沿って、十数件の木で作られた家がぽつぽつと立ち並んでいた。
家と家の間には小さな畑があり、村の中央には大きなヤギの飼育小屋が建っている。
立派な馬車に気が付いた村人が村長の家に走り、慌てて村長が出迎えに出てくる。アルフォンスは馬車から降り、村長が駆け寄ってくるのを待つ。
「遠いところをよくいらっしゃいました。村長のガーンです」
村長は息を整えながら、ぺこりとお辞儀をする。
「アルフォンスだ。今晩は世話になる。よろしく頼む」
挨拶が済むと早速夕飯である。
(あー、おいしい)
チーズがたっぷり入ったグラタンを千夏は頬張る。
バターで炒めたほうれん草の炒め物もおいしい。パンは相変わらず黒パンだが、出てきた新鮮なヤギの乳につけて食べる。少しパンがふやけて食べやすくなる。
とても幸せだった。
食べ物に夢中になっている千夏の代わりに、エドが村長に木風呂を金貨1枚で作ってくれるように依頼する。金貨一枚という報酬に喜び、村長は明日すぐに作らせると約束をしてくれた。
その後特産品のチーズやバターの購入について話が進んでいく。千夏も自分用に欲しいので明日の買い物に参加することにする。
その頃少し離れた飼育小屋の影に隠れて、若い二人の男女が村長宅の様子を窺っていた。
「なぁー、本当にやるのか?」
男はためらいながら女を振り返る。
「あたりまぇー。なんのためにここまで来たわけー?あんた、馬鹿ぁー?」
女は自分の髪を指に巻き、くるくるといじりながら若干舌ったらずに答える。
「まぁそれはそうなんだが……」
「あんた、びびってんのぉ?今更依頼取り消せないのはわかってんでしょー?」
煮え切らない男の態度に女はじろりと男をにらむ。
「だいたいさぁー、あんたがあの日あんま乗り気じゃなかった私をー、無理やりさそってご飯たべにいくって電車にのせたんでしょー。おかげで死んじゃうなんて、あーもー最悪ぅー」
「わ、わかった。俺が悪かった」
あの日から何百回も繰り返されつづける繰り言を聞かされ、男はいつものように謝る。
犯罪に手を染めるのは今回が初めてではない。男は覚悟を決めた。
「寝静まったら行ってくる」
「わかればいいのよー、わかればぁー」
女は不機嫌そうに男を見る。男は顔をそむけ、再び村長宅に視線を戻す。
どれくらい経ったのだろうか……村長宅の明かりが全て消え、辺りは真っ暗になる。女は見張りに残り、男は一旦村の外の森に隠していたトールバード二匹を連れてくる。
「ちゃんと顔覚えてるー?失敗しないでよぉー?」
「問題ない。必ず連れてくるよ」
男はそう答え、闇夜にまぎれて村長宅の裏口に向かった。
(この世界は不用心だよなー)
貴族の屋敷はともかく普通の民家は鍵をかけない。
鍵が開いていることを確認したあと、男は世界を渡るときに入手したスキルを発動させ、家の中に忍びこむ。
窓から差し込む月明かりを頼りに奥の部屋へと進む。
この家の間取りは事前に依頼主から渡されていたのでするすると男は目的地へと向かう。
「貴族を迎えるならこの部屋だろう」
依頼主が指し示した部屋は一番奥にあり、そしてこの家の中で一番広い客間だった。
その部屋のドアの鍵もやはりかかっていないことを確認すると、男は音をたてないように扉を静かに開ける。
部屋の中は少し大きな寝台と小さなテーブルとイスがある十畳くらいの洋室だ。
ターゲットとなる少年はベットに入り、熟睡している。
男はそっと近づき、懐から小さなビンを取り出し、ふたを開けた。
ビンをそのまま眠る少年の鼻の下辺りにしばらく置く。
ビンから発せられる香りを少年が数回吸い込んだことを確認したあと、ビンのふたを閉め再び懐へ戻す。
(お…重い……)
寝ている少年を肩に担ぎあげ、男はよろよろと部屋を出る。
スキルで問題ないことはわかっていたが、帰る途中で誰とも出会わなかったことにほっとする。最後に入ってきた裏口を抜け、飼育小屋にたどり着く。
座り込んでいるトールバードの背に眠っている少年押し付けるように置く。男はすぐさま女が取り出したロープでぐるぐるとトールバードと少年を結びつける。
そこでやっと気が抜けたのか荒い息を吐きながら男は地面に座り込んだ。
「なにやってんのぉー、さっさと逃げるわよー」
女はすでにトールバードに乗り込んでいる。
「はぁ…はぁ……わかった」
男は少年の後ろに座りると自分のトールバードを立たせ、すでに走り出した女の後を追った。
大量の誤記を修正しました。




