実験
今回から新章になります。
章名が決まってないので分けていないのですが……。
「もう冬ね」
セラは執務室で赤々と燃え盛る暖炉へとちらりと視線を動かし、大量の書類を持ってきた宰相に話しかける。
「はい。しばらくの間は魔王軍も大きな動きは見せないかと思います」
セラの言葉の意図を正確に理解した宰相は短くそう告げる。
寒い冬の時期は人間はもちろんのこと魔物の活動にも影響を及ぼす。ましては雪が降り積もるこの中央大陸での行軍がかなり厳しいことになる。まともな軍師であれば冬に大規模な攻略戦などを起そうと考えるものはいない。
「念のためにオールソンに駐留している軍はそのまま待機してもらったほうがいいわね。マイヤーには悪いけど、隊長以外は定期的に入れ替えてあげて」
「畏まりました」
次々と書類をめくりながら話しかけるセラに宰相は軽く会釈をして言づけを承る。
やがてセラはぴたりと一枚の書類に目を止める。
「ああ、今日移動なのね。ウインレザー博士は。もめ事を起こさなければいいけど……」
セラが目を止めた書類は本日ネバーランドへ移動する魔法陣研究員の書類だ。セラが言うウインレザー博士はエッセルバッハでの魔法陣研究の第一人者であるが、変わり者でも有名な博士である。
「助手のコナーによく言っておきました。彼に期待しましょう」
おっとりと宰相は答えるが、苦労性の助手一人の手では彼を押しとどめることは難しいことをセラはよく知っていた。
「悪い人ではないんだけど……。まぁ行ってそうそう問題を起こさないでしょう」
セラは千夏に全て丸投げすることに決めて、次の書類に手を伸ばした。
「コナーくん、見たまえ! 竜がゴロゴロいるぞ」
「はい、博士。聞いていましたが、いっぱいいますね。僕ちょっとだけ怖いんですけど……」
しわくちゃの白衣を着てたウインレザー博士がはしゃいでいる。
博士は今年59歳になる。この世界では立派な老人と呼べる年齢だ。白髪に覆われた頭はぼさぼさで、鼻の上にちょこんと載っている小さな眼鏡は薄汚れていた。
その背中に隠れるように大量の荷物を背負った助手のコナーが恐る恐るすぐ近くにいた3匹の竜を見上げる。
竜達が集まっているのは本日ネバーランドに到着した魔法陣の研究員達のお出迎えである。
早いうちに竜達に慣れてもらおうというニルソンの提案だった。
竜がどうしても生理的に駄目な人はこの国で暮らすことはできない。早めに見切りをつけて帰ってもらった方がいいのだ。今ならまだ研究員たちを連れて来た転移要員がいる。実費で送り返すのは面倒だった。
エッセルバッハとハマールから来た魔法陣研究員達は総勢6人という少ない人数だった。
ウインレザー博士とその助手コナー以外の研究員達は、ちらりと竜に視線を一度投げかけたがあまり興味がないらしい。彼らの興味は魔法陣だけだ。牛だろうと竜だろうと自分達に危害を加えないのであれば気にならないようだった。
「いらっしゃい。とりあえず外は寒いから城の食堂にでも行こうか」
ニルソンと一緒に研究員達の出迎えに来ていた千夏は厚めのコートをはおり、少し寒そうに手に息を吹きかける。千夏の隣にいるタマは寒さには強いので外にいるのは苦にならないようだ。コムギは寒がりなので屋敷でお留守番をしている。
研究員達はさっさと研究対象がある魔女の城に行きたいのだろう。先頭を歩く千夏を追い越さんばかりの勢いでずんずんと城へと向かっていく。一部の例外を除いては。
「博士、みんないっちゃいますよ」
コナーは興味津々に竜を見上げるウインレザー博士の手を引きながら慌てるが、博士自体は呑気なものである。
「コナーくん。竜の卵はうまいのだろうか?」
「冗談でも止めてください!聞こえていたら、竜に殺されますよ!」
コナーは体を震わせながら必死に博士の手を引き竜達から逃げるように走り出す。もちろん長い付き合いなので博士が冗談を言っているのではないということは承知している。
ある程度竜達から離れるとコナーは博士にきちんと言い聞かせる。
「竜に手を出したら追い出されますよ。博士はここに何をしに来たんですか?研究をしたいのであれば、絶対竜に手を出してはいけませんよ」
「判っとる。ただちぃと気になっただけだ」
悪びれずに博士はそう答えると、竜から魔女の城に興味を移す。
「コナーくん、あれが魔女の城かね。もっとおどろおどろしいものを想像していたのだが、全然普通じゃないか!あれではお化けは出てこないのではないのか?」
「お化けは出てこなくていいんですよ、博士」
コナーは着いた早々この村でやっていけるのかと不安にかられた。
挨拶もそこそこに新しく来た彼らは茜に案内をせっついて、魔女の城の5階にある制御室へと乗り込んでいった。
「おお、これは凄い」
「多重魔法陣がいっぱいある。見たことがないものばかりだ」
研究馬鹿とセラに言わしめた彼らはずかずかと制御室の中に入ると、そこに浮かぶ魔法陣に食いつく。
「ちぃと動かしてみてもええだろうか?」
ウインレザー博士が城の防御魔法陣をしげしげと見つめ、茜に問いかける。
「駄目です! ここに住んでいる人達がいっぱいいるのですから、絶対に駄目です!動かしたら帰ってもらいます」
茜らしからぬ厳しい声に少し千夏は驚いた。
「……ケチじゃのぅ」
渋々諦めたようで博士は魔法陣を触らずにじっと展開された文言を解析始める。
「あ、びっくりした? ごめんね大声だして。ああいうタイプの研究馬鹿を相手にするには最初が肝心なのよ。無闇やたらに実験したくなるんだから」
茜は少し苦笑しながら千夏に謝る。
茜も研究馬鹿のひとりだ。彼らの心理は自分のことのようによく判る。なにせ茜もこの城に自分以外がいなかったときに実験した一人なのだから。
「城の防衛機能は動かすのは絶対だめだけど、多少の実験はやらせないとこっそり何をしでかすか判らないから、実験の日を決めてやろうと思っているのだけどそれでいいかしら?」
茜なりの妥協点を見つけて千夏にお伺いをたてる。
千夏にはここに何の魔法陣があるのかはよく判らない。村人達に影響がないようにやるのであればという条件付で茜に実験の許可を出す。
「あと出来れば実験の日は立ち会って欲しいの。結界を張ってもらったりしたほうが安全だと思うから。お願いっ!」
「……朝早くやらないならいいよ」
千夏もある程度実験が必要であることは理解しているので、茜のお願いに頷く。
こうしてフルール村にまた変わり者の一団が増えた。
魔法陣研究員達がネバーランドにきてから二日後。フルール村は一面の雪に覆われた。
千夏は雪像作りを楽しみ、茜に量産してもらったコタツでゴロゴロとまったりとした時間を過ごしていた。特にコムギはコタツが大好きで、コタツの中に潜り込んでは千夏と一緒にお昼寝をしている。
タマは風の子らしく、元気にレオンと一緒に雪で遊んでいるようだ。
千夏の作ったソリ台が村の子供達に人気で、毎日ソリをつかってレースをしているそうだ。
「レオン兄はソリが得意なのでしゅ」
タマからその日あった出来事をコタツでぬくぬくと聞くのが日課となっていた。
そんなまったりとした日々を過ごし、もうじき年末になるという頃に茜から実験をやりたいという話が舞い込んできた。
雪の中でも訓練に明け暮れているアルフォンスとセレナもその話に興味を持ったらしく、パーティ全員で魔女の城へと出かけた。
「どんな実験をするの?」
セレナの質問に千夏は事前に聞いていた話を説明する。
「転移石の実験なんだって。ほら買い物に便利なように頼んでいたやつ。問題はちゃんと意図したところに転移するかが若干不安らしいのよね。短距離転移は試して大丈夫だったみたいなんだけど、長距離は今回初めて試すんで、転移持ちの私にやってほしいらしいの」
「予定外のところに転移したら前の二の舞いじゃないですか」
エドが呆れたように肩をすくめる。
「まぁね。でも実験して改良していかないと欲しいものが出来ないし、彼らが被験者になったら戻ってこれないかもしれないじゃない? その分私たちのほうが小回りがきくしね」
領主がやることではないだろうと更にエドから突っ込みを受けたが、この村で転移を持っているのは千夏とエドと裕子だけだ。
裕子の場合はまだ初級転移しか使えないし、戦闘面で不安がある。
「今度はタマも一緒にいくでしゅよ」
タマはぎゅっと千夏の手を握りしめる。
「もちろん一緒よ、コムギとレオンもね」
千夏の足元を歩いていたコムギが「クゥー!」と当たり前だと尻尾を振りながら答える。
「俺も一緒に行く。そのほうが面白いしな」
雪の中の単調な訓練に飽きてきたアルフォンスがそれに便乗する。そうなると必然的にエドも同行することになり、リルもセレナもついていくと言い出した。
「みんなで行くなら那留も誘うか。ほら転移先が安定しない可能性もあるから、移動したら海の上ってこともあるでしょ?竜の上に乗って転移石をくぐるつもりだったのよ。全員でいくとなるとタマとレオンだけでは厳しいね」
「そうしましょう。後できれば城の倉庫から食料をある程度持っていきたいですね。先にそこに寄ってください」
千夏の提案にエドが頷き、念のために食料を多少多めに見積もってアイテムボックスに収納する。
千夏が元々持っている食料だけでは全員分を賄えないと判断したのだ。
『主旨は理解したわ。万が一予定外のところに転移したら早めに連絡を頂戴。外交関係があるからね。十分気を付けるのよ』
セラに何度もそう言い含められ、ニルソンからも同じようなことを念押しされたので千夏は苦笑する。
どれだけ信用がないのだか……。
「わしも行きたい!」
ウインレザー博士が子供のようにジタバタと手足を動かしてだだをこねている。
「だから駄目だと何回言えば判るんですか!」
疲れたようにコナーが博士に何度も何度も同じ説明を繰り返す。
今回の長距離転移石の魔法陣を組んだ責任者の暴れっぷりをみて那留は楽しそうに笑う。
「こりゃ、失敗する可能性が高いな」
「……笑いごとじゃないんだけど」
那留の背に乗った千夏は生暖かい目でだだをこねる博士を眺めた。
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