猫柄の茶碗
ギルドでの用事を済ませた千夏達は街の外に置かれている緊急対策本部の巨大な天幕の中へと入る。
「よぉ、思ったよりも遅かったな」
天幕の中央に置かれた細長いテーブルの上の地図をじっと見つめていたアルフォンスが、千夏達に気が付いて手を上げる。
今回マイヤー達に与えられた命令は聖都にいる魔物達をここから南へと出さないことと冒険者達の支援である。
冒険者達の仕事はランクB以上の魔物の探索及びその殲滅である。
軍は最終防衛線としてあまり人数を移動することが出来ない。したがって冒険者への支援とは偵察部隊を出して魔物の分布状況を調べてくることだった。
全ての情報はこの緊急対策本部に持ち込まれる。冒険者達は情報をここに報告するまたはここで得た情報で魔物を倒しに行く。
「私としては聖都の魔物をなんとかここまでおびき出して、殲滅したいところなんですけどね」
待機が性に合わないのかマイヤーは肩を竦める。
まだ調査が始まったばかりなのか地図に書き込まれた情報は少ない。
千夏は地図をちらりと確認すると、カガーンとハマールとの山間部の境界線を指ですっと辿る。
「軍が南に集まっているけど、こっちのほうは大丈夫なの?」
魔物達が南国諸島ではなく、山間部を通ってハマールに入ってくることを気にしたからだ。そこをさらに東へと指を進めるとネバーランドにぶつかる。
「こちらのほうは竜騎士団が定期見回りを強化しています」
生真面目にハマール近衛隊長のトールが答える。
「……竜騎士団ねぇ」
「はい。それにここは原生林が群生しているので大軍で進むには適していません。魔族一人くらいなら入り込めますが。今はこの周辺に転移阻害のマジックアイテムを設置中です」
その方法だと魔族が歩いて侵入してきた場合には気が付くことができない。だがクロームもセラもここを通って魔族が侵入するとは考えていなかった。
「圧倒する大軍で攻め勝つ。または魔族の巨大な力を見せつけ軍隊を踏み潰す。魔王軍は力を見せつける戦いを好む。まるで大がかりなショーでも開いているみたいにね。ここを通って王都に攻め上ることはないと思うわ。それだったら前回の襲撃のときに砦にこだわる必要がないですもの」
それでも万が一のために竜騎士団の哨戒とマジックアイテムを配置する。
「聖都にはいかないの?」
セレナはじっと地図の北にある聖都を見つめて尋ねる。
「はい。私たちが今ここにいられるのは南国諸島の国々からの後押しがあるからです。あくまでこれ以上の魔物の被害を拡散させないために私たちは派遣されています。これ以上内陸には入ることが出来ません」
トールは悔しそうにぎゅっと拳を握りしめる。
軍が動けば侵略扱いになるが、冒険者は違う。
「とりあえず今回の緊急依頼はここからここまでの魔物調査と討伐ってことであっているよね?」
千夏が聖都から10キロほど離れた地点から今いるオールソンの街までの間を指でくるりと示す。その範囲はおよそ直径120キロ程。
「はい。あっています。恐らくギルドで何パーティかと合同で分担が割り当てられると思います」
「合同なんだ。気が合う人達だったらいいね」
リルは少し心配そうにタマを見る。
今日もギルドで絡まれたばかりだ。タマが負けることはないだろうが、絡まれるということだけで気分が悪くなる。
これ以上特に話はなかったので、千夏達は対策本部を後にし街へと戻ることにした。
街全体は多くの冒険者でにぎわっていた。宿に泊まれずに街の外で天幕を立てるものも多い。
今朝到着した船から大量の物資が流れはじめ、品薄だった露店に物が並び始める。
空には夕日が広がり、夕食を求める人達で屋台や食堂は人で溢れている。
キールとエルザの二人とギルド前で合流する。
千夏はくんくんとおいしそうな匂いを嗅ぎながら、どこで食べるかを吟味し始める。千夏の真似をしてコムギもくんくんと匂いを嗅ぎ、気に入った匂いを見つけたのだろう。千夏の足をコムギはポンポンと叩くとくいっと尻尾をたてて歩き始める。
コムギが選んだ店は肉の中に香草を詰め込んだ料理が美味しいと評判になっている食堂だった。
久しぶりの再会に乾杯をした後にキールは肉汁たっぷりの肉にかぶりつく。
「うめぇ。こっちは肉が多くていいな」
「本当。食べ物の種類が多くて迷いそう」
エルザも嬉々としてテーブルに並んだ食事に手をつける。
「タマとレオンもこれが食べられないのは残念なの」
セレナは肉に齧りつき笑顔を見せる。
タマとレオンは一足先に北の魔物を狩りに出かけている。
「ところで半数以上の冒険者が南国諸島の人のようですが、何かあったのですか?」
料理を小皿に取り分けながらエドがエルザ達に質問をする。
「ここが落ちたら次は魔物があっちに流れ込むだろう? 国が無料で船を出して人を集めたんだ。あっちにはこっちのような大きな軍隊はないしな。」
キールは手についた油をなめながら答える。
「そういえば、船で《煉獄の双剣》を見かけたわ。彼もこっちに来ているなら安心よね」
エルザはぐびっとエールを一気に飲み干す。
「《煉獄の双剣》?」
仰々しい名前に千夏は何ともいえない顔をする。
「そういう二つ名のSランクの冒険者だ。二刀流で魔法剣の使い手だぞ。Sランクの冒険者と会えるかもしれないのか。楽しみだな。一度手合せしてもらいたものだ」
アルフォンスが目を輝かせて千夏に説明をする。
Sランク冒険者は世界に7人しかいない。そのうちの1人がランドルフなのだが、言動のギャップが甚だ激しくアルフォンスの頭からぽろりと抜け落ちていた。
「それは頼もしいね。俺も一回会ってみたいな」
頬を少し赤く染めてほろ酔い気分のリルが憧れの眼差しで虚空を見上げる。
強い冒険者は勇者と並んで若い男の子達に人気がある。リルも子供のころに憧れていたくちだ。
「Sランク冒険者はくせが強い人が多いですからね。会わない方がいいかもしれませんよ」
実際二人程のSランク冒険者をよく知っているエドが少し苦い顔になる。
「クゥー」
コムギが空になった茶碗を前足でつつきながら鳴く。エドが茶碗を取り上げて肉を数個茶碗に盛るとコムギの前へと差し出す。
コムギはそれに顔をつけようとしたところで、茶碗が蹴飛ばされる。
カシャン。
茶碗は隣のテーブルの下まで弾き飛ばされたあと割れ、中に入った肉が地面へとばら撒かれる。
「なんでこんなところに魔物がいるんだ?」
茶碗を蹴飛ばした酔っぱらった冒険者がへらへらと笑う。
コムギは割れた茶碗の傍にかけよると、もの悲しそうに茶碗に鼻を当てた。
あの猫柄の茶碗はコムギのお気に入りだった。
「何すんのよ!」
千夏は怒鳴ると同時に男の足元に氷の敷き詰める。
「あわわわっ」
つるりと男はすべり見事に頭を打つ。
エドはコムギの傍によって壊れた茶碗を拾う。
「後でレオンになおしてもらいましょう」
「クゥー」
しょんぼりとしょげるコムギを抱き上げてエドは転んでいる男の腹を思いっきり踏みつける。
「何でこんなところに人が寝ているんでしょうね。全く邪魔ですね」
「ぐぇっ!」
男が呻くとエドは足をどけて、自分の席へと戻る。
男はよろよろと立ち上がるが、再び足元に敷かれた氷でまたつるんと滑って頭を打つ。
「何やってるんだ、お前!」
男の仲間がなかなか帰ってこない男に気が付き、近寄ってきた。頭を押さえて呻いている男に声をかける。仲間の男は男の下にある氷に気が付くと周囲を見回し、冷やかな視線を送る千夏に目を止める。
「お前がやったのか?」
千夏は問いかけられ不機嫌に答える。
「だったらどうするっていうの? 最初に手を出したのはそっちの酔っ払いよ」
被害がコムギの茶碗だけで済んでいるから手加減しているのだ。
「こいつは酒癖が悪い。迷惑をかけたんなら悪かった。代わりに謝る」
男は頭を下げ、呻いている男を連れて自分達の席へと戻っていた。
喧嘩になりそうな雰囲気を感じていたエルザとキールは大皿を数枚持ち上げていた。テーブルが蹴倒されたらせっかくの食事がぱぁだ。
彼らはテーブルに皿を戻すと何事もなかったかように食事を再開する。
つまらないいざこざは冒険者にとっては日常茶飯事だ。
その晩。帰ってきたレオンが壊れたコムギの茶碗を見て整った眉を大きくしかめる。
「なおるでしゅか?」
タマはしょんぼりとしたコムギを抱きかかえて尋ねる。
竜は大雑把な魔法は得意だが、細かい魔法は不得意だ。
レオンは割れた欠片を元の形にあわせ、隙間に粘土のような土を入れ込みなんとか接着していく。
多少元の形より歪になったが、コムギは出来上がった茶碗をつんつんと突き目を輝かせる。
どうやら満足してくれたようだとほっとレオンは胸をなでおろす。
ついでに簡単に壊れないように茶碗の硬度を高めることも忘れなかった。
「よかったでしゅね、コムギ」
「クゥー」
尻尾をブンブンと振りコムギはお礼にレオンの膝の上にのり顔をペロペロと舐める。
「食事が途中でしたね。どうぞ」
エドがアイテムボックスから持ち帰ってきた肉をコムギの茶碗の中に入れる。
コムギはしゅたっとレオンの膝から飛び降り、嬉しそうに茶碗に顔を突っ込む。
「酒場を夕飯に使うのはやめておいたほうがいいかもね」
千夏ははぐはぐとご飯を食べるコムギを眺める。
街はいろいろと物を手に入れることができるが、コムギが入れるところが少ないし、タマもレオンも隠れるように夕飯の狩りを終えてきたばかりだ。
魔物3兄弟にとってはいかにフルール村がのんびりできるところなのかを千夏は再確認する。
(とっとと退治して村に帰ろう)
少し歪になったコムギの茶碗を眺めながら千夏はぼんやりとそう思った。
かさり。
プチラビットが踏みしめた草が音をたてる。
「……エキドナ……」
無数のゴーレムを引き連れ、ずるずると地を這いながら南へと移動する獣の様子をこっそりとプチラビットは木陰から確認する。
獣の気は澱みどす黒く変色している。
このままでは怒りに我を忘れて暴れまわるだろうことが容易に想像できる。
優しかった獣の面影は今はない。
ぴょんと草むらから飛び出すと、プチラビットは小さな手足を懸命に動かし南へと駆け始める。
『……カエリタイ』
エキドナの悲痛の声がかすかに聞こえた。
評価とご感想ありがとうございます。
フルール村だとどこでもコムギは入れたのですが、
普通の街だと邪魔扱いされて大変ですね。
タマもよく絡まれます。




