セイレーン 後編
後編です。
やがて岩の道が行き止まりとなる。海の上に円形状に広がった行き止まりでは、多くの人々がぼんやりと座り込んでいる。
ざっと見積もっておよそ100人はいるだろうか。そこにいた人々の大半は船員と冒険者だった。
「女王様、また新しい餌が着きました」
円形の岩棚から少し離れた海中に大きな岩があった。
その岩の近くに控えていたセイレーンが岩の上に座っているセイレーンの女王に向かってかしこまって報告する。
セイレーンの女王は岩の上に腰かけていたので全身がよく見える。
他のセイレーン達と比べて一回りほど体が大きい。セイレーンは上半身が人間に近く、下半身は魚の水棲人だ。
どちらかというとセイレーンとは人魚だと言ってもらったほうが千夏にはイメージしやすい。
女王の髪の色は他のセイレーンと異なり紫色で腰まで伸びた髪は海水でしっとりと濡れ肌にはりついている。女王の髪で多少隠された豊かな胸と細い腰。そして青い鱗がびっしりと生えた下半身はヒレの形になっており、ときおりぴくぴくと動く。
「人間はまずいから食べたくないのじゃ。いらんというのになぜとってくる?」
セイレーンの女王は不機嫌そうに目の前にうじゃうじゃといる人間達を見下ろす。
「そういってまだ一人も食べておられないではないですか。子供を産むためには肉が必要なのです」
傍に控えたセイレーンがくどくどと女王に向かって説教を始める。
どうやら今回の騒動に巻き込まれた人達は運よくまだ誰も犠牲になっていないようだ。
千夏は女王と側近以外のセイレーンを全て沈黙させると、手で両耳を掴む。
あらかじめ決めていたサインだった。
「フリーズ!」
レオンが女王がいる岩までの海面を魔法で氷漬けにすると同時に、アルフォンスとセレナがその氷の上に飛び出していく。
千夏も同時に側近と女王に向けてサイレンスを仕掛けるが、女王は抵抗に成功したらしく沈黙をかけられず失敗する。
「なんじゃ!」
女王はアルフォンスとセレナの攻撃をよけ、そのまま海へと飛び込む。
すぐに千夏は二人に潜水魔法をかけ、自分にもかけるとレオンと一緒に海の中へと飛び込む。
留守部隊のリルとタマはここに連れてこられたひとりひとりにキュアの魔法をかけ始める。エドはその護衛代わりだ。
(冷たいぃぃぃぃぃぃ!)
千夏とレオンは冷えきった海水の温度を水温の魔法で上げていく。
まだ冬ではないので心臓発作が起こるほどの冷たさではないが、この冷たさは堪える。
「いでよ、クラーケン!」
突然襲いかかられた女王はクラーケンを召喚し、アルフォンスとセレナの行く手を遮る。
以前夏祭りで倒したクラーケンよりもさらに一回りも大きい。全長およそ30メートルはある。
クラーケンがアルフォンスとセレナに脚を伸ばしてくる。
脚の1本がおよそ5トンほどの重さがあり、それが10本同時に凄い勢いでうねうねと動き回る。
剣で切り落とそうと必死に二人は動き回るが脚は太く、傷はつけれるが切り落とすことまで出来ない。
千夏はとっさに気功で魚雷を作り出し、二人を襲う脚へとミサイルを撃ち込む。
魚雷は派手に爆発し、数本の脚がちぎれ飛ぶ。爆風でアルフォンスとセレナもそのまま後ろへと飛ばされるが、大した怪我はしていないようだ。
アルフォンスは楽しそうに笑い、クラーケンに突っ込んでいく。
これだけの難敵はハマールでの魔族戦以来だ。アルフォンスの冒険者魂に火がついていく。
もっと速く、さらにもっと速く自分は動けるはずだ。
セレナも必死に体を動かす。ただでさえ海中だということで動きが制限されている。
こんなものじゃない。私はもっといける!
アルフォンスの動きと連動し、セレナもさらにスピードを上げていく。
「馬鹿な。あのスピードについていけるのか……」
次々とクラーケンの脚を避け同じ場所を切り付け確実にクラーケンの脚を破壊していくアルフォンスとセレナを、女王はじっと見つめる。
海の中を自在に駆け巡るセイレーンでさえ、このクラーケンの速さにかなわないのだ。
なんなんだ、この人間達は!女王はきゅっと唇を噛みしめる。
アルフォンスとセレナのスピードが上がり、うかつに援護ができなくなった千夏とレオンは標的を脚からクラーケンの胴体または頭部へと変更する。フローズンバレットの雨をクラーケンの胴体に乱れ撃ちする。
海中ではレオンのブレスはそのまま海を凍らしてしまうだけでダメージに結びつかない。千夏も大魔法を使うわけにもいかずちまちまとクラーケンの生命力を削っていく。
だが明らかに千夏達が押しており、このままでいけばクラーケンが倒れるのも時間の問題だった。
女王の元にセイレーン達が集まってくる。全員声を封じられしゃべることが出来ない。だが慌てた様子で海上を指さす。
セイレーン達が指さした海上から次々と海中に何かが沈んでくる。
「……人間か……」
タマとリルに状態異常を回復してもらった冒険者たちが次々と獲物を片手に握り締めクラーケンめがけて進んでくる。
その顔は憤怒で彩られており、罠にはめられた自分の弱さとセイレーンに対する怒りが渦巻いていた。
女王は溜息を吐くと、覚悟を決める。
「人間よ、お前たちを無傷でそのまま返そう。ここで手を引いてくれないか?」
女王はクラーケンをなだめ、動きを止める。
突然攻撃をしなくなったクラーケンをアルフォンスとセレナは警戒を解かずにそのままじっと監視する。
「なんだと!俺たちをここまでさらってきて何をいいやがる!」
冒険者の一人が女王に向かって怒鳴り返す。
「さらって来たが、誰も傷つけておらん。今ならお互いに傷つく前に手を引けるであろう」
女王の言葉にセイレーン達は血相を変える。
何のために人間をさらって来たのか!新しい子供を産むためには肉が必要なのだ!
だが女王もここは引き下がれない。このまま争えばセイレーン達にもかなりの被害が出る。特に魔法を使っている男女は今まで見たことがない魔力を秘めている。半数以上の味方を失っても逃げ切れるかどうか判らない。それならばまだ生まれもしない子供よりも女王は彼女達を選ぶ。
「今ここで戦うのをやめたとして、また人を襲うの?」
千夏は女王の顔を真っ直ぐに見て尋ねる。
「いや、今回の産卵期には子供は産まぬ。それで手を打ってくれないか?」
女王の言葉にセイレーン達が声にならない悲鳴を上げる。
子供は一族の宝だった。
「いいよ。話があるから海から一回出よう」
千夏は気軽にそう答える。
魔物はどちらかというと嘘をつけない。平気な顔で嘘をつくのは人間のほうだった。
今回彼女たちがまだ人間に手を出していないのであれば争う必要はないだろう。
ここまで連れてこられたことは大変迷惑ではあったが……。
千夏達にたしなめられて海中に潜ってきた冒険者も全員海上へと戻る。
最後に海上に顔を出した千夏に向かってエドが手を伸ばしてくる。千夏がその手を掴むと腕一本で軽々と千夏を岩の上へとエドは引き上げた。
「とりあえず三隻の乗組員は全員生存していることが確認されました」
「さすがエド。やること早いね」
千夏は眼を丸くしてエドを見上げる。海の中で戦闘をしている間に海上では生存確認のすり合わせが行われていたらしい。残りのメンバーが海の中から上がってきたことで最終的な結果が出たようだ。
「船はそのまま使えそう?」
「今、各船長が確認していることです」
千夏は満足気にうなづくと、くるりと後ろを振り返る。そこには不安そうな顔を海上に出したセイレーンの女王が居た。
「あのさ、肉でいいなら人間じゃなくても大丈夫じゃない? これなんかどう?」
千夏はアイテムボックスからホロホロ鳥のひと塊を取り出して、海面の手前に置いてから後ろに下がった。
女王はおそるおそるそれに手を伸ばしぱくりと一口食べると、驚いたようにホロホロ鳥の肉を見つめる。
「脂があまりないし、筋張っておらず、肉自体がほろりとこぼれるようにやわらかい。それでいてさっぱりして食べやすい。美味じゃ。これは何の肉じゃ?」
「ん、ホロホロ鳥。とりあえずそれで栄養つけて子供が産めるか試してみて? 」
ホロホロ鳥の肉でセイレーンの子供を産む力になるのかは千夏にはわからない。だがセイレーンは単に肉と言っていた。試す価値はあるだろう。
そもそも海には哺乳類はあまり住んでいない。ヘルシーな魚ばかりだ。たまに海を行き来する人肉の動物タンパク質がセイレーン達の唯一の精力剤代わりだったのだろう。
「ほかの肉もいろいろ試してみればいいよ。エド何種類かお肉ちょうだい?」
千夏はエドから数種類の肉を受け取り、氷魔法で固めてセイレーンの女王に渡す。
セイレーンの女王はじっと海の中から千夏を見上げた。
「人に親切にされたのは初めてじゃ。お主、名は?」
「佐藤千夏。ネバーランドの住人よ」
これを機にセイレーン達は人を襲わなくなった。
子供を産むために必要であればネバーランドにある湖まで出向けば、肉を手に入れることが可能になったのだ。
こうしてセイレーン達とネバーランドとの間の貿易が始まった。
定期的に肉と引き換えにセイレーン達は魚や真珠などの海の名産品を持ち寄るようになった。
内陸にあるネバーランドで魚が安く売られるようになった謎はこうして出来上がった。
戦闘シーンで盛り上げようかと思ったのですが、女王様に愛着を持ってしまい断念。




