セイレーン 前編
「何か歌が聞こえないか?」
甲板で暇つぶしの釣りをしていたアルフォンスが同じく隣で釣りをしているセレナに尋ねる。
セレナはピクピクと少し大きな犬耳を動かし、僅かに聞こえていくる歌を聞き取る。歌には歌詞がなく少し高い女性の声でメロディを口ずさんでいる。
次第に段々とセレナの意識が朦朧としていく。しっかりと握りしめていた釣竿をカタリと手放すとぐらりとセレナはそのまま甲板の上に倒れ込む。
隣にいたアルフォンスも全く同じ状態で甲板に倒れ込んだ。
倒れた二人に異常を感じ慌てる者はいない。同様に甲板にいた船員たちもゆっくりと倒れていく。
船の舵を握っていた船長は海から響く歌声を耳で拾うと、ぼんやりとした表情で航路から外れた方向に舵を切る。
突然の進路変更にぐらりと船が揺れ動く。
「危ないな」
船室で本を読んでいたレオンはぐらりと船が揺れたことに苦情を上げる。
何度か船に乗ったことがあるが、ここまで揺れるのも珍しい。
「リル?!」
先程の揺れで倒れたのか、リルが床にぐったりと倒れている。レオンはすぐに傍に駆け寄り、リルを抱き上げる。
「大丈夫か?」
人は脆い。不安に駆られたレオンが大声で尋ねるがリルは目をぼんやりと開いたままで反応がない。
リルをベットの上に寝かしつけ、レオンはこの事態に対処できる人を探しに隣の部屋へと急ぐ。
「エド!リルが倒れ……大丈夫か?エド!」
乱暴に扉を開けると部屋の中央で倒れているエドが見えた。揺さぶり起こしてみてもエドはリルと同様にぼんやりと目を開けたまま無反応だった。
(まさか、人が感染する病か何かか?)
レオンはエドをベットに横たえるとさらに隣の部屋へと飛び込む。
「どうしたんでしゅ? レオン兄」
血相を変えて飛び込んできたレオンをタマは不思議そうに見上げる。
タマはテーブルでシャロンへの手紙を書いていたところだった。
「チナツは?」
「ちーちゃんは寝てるでしゅ」
ベットの上でごろりと横になった千夏はすやすやと眠っている。
「チナツ、起きろ!みんな変なんだ」
レオンは掛布団の上から千夏をゆさゆさと揺さぶる。
やがて千夏は目をうっすらと開けるが、他の者と同様にぼんやりとしたまま一向に目覚めない。
むきになったレオンは千夏の頬を数回手で叩くが、それでも反応がない。
「ちーちゃん、起きないでしゅか?」
「チナツだけじゃない。リルもエドも倒れたまま動かないんだ。アルフォンスとセレナは甲板か?」
すぐに二人を探しに飛び出ようとするレオンの服をタマが引っ張る。
「……コムギも起きないでしゅ」
床に蹲っているコムギは大きな金色の目を半分ほど開いたまま、虚空を見上げたままぴくりとも動かない。
人だけではなく魔物にも伝染する病気なのだろうか?
レオンは顔を強張らせる。
「いったいどうしたというんだ。病気か? タマ、病気を治す魔法をかけてもらえないか?」
タマはこくんと頷くとすぐに千夏とコムギに魔法をかける。
だが結果は変わらなかった。相変わらず千夏とコムギはぼんやりとしたままだった。
「ちーちゃん、コムギ。起きるでしゅ!」
タマは何度も千夏とコムギを揺さぶる。ぐったりと何も反応しない二人の様子にタマはうるうると目を潤ませる。
「嫌でしゅ!起きるでしゅ!」
泣き始めたタマをレオンは優しく背中から抱きしめ、諭すようにゆっくりと話しかける。
「起きている人を探そう。何か知っている人がいるかもしれない」
レオン自身もかなり不安で胸がいっぱいだったが、今は他に出来ることはない。
「はいでしゅ」
タマは手で涙を拭い、レオンとともに船室を出ると船の中を手分けして起きている人を探し始める。
船内の人々はほぼ全員ぐったりと仰向けに倒れていた。甲板で見つけたアルフォンスとセレナもぼんやりと目を開けたまま無反応だった。
レオンは二人を両肩に担ぎ上げ、一旦部屋へと連れて帰る。あのまま甲板に置いておくのが不安だったからだ。
タマはやっと動いている人を見つける。ぼんやりとしながら、船を動かし続けるこの船の船長だった。
「みんな寝てるでしゅ!どうしたのか教えてほしいのでしゅ!」
タマは船長の上着を何度も引っ張るが、船長はまるでタマが見えていないようだ。ずっと目の前に広がる海を眺めていた。
「どうしたらいいんでしゅか……」
タマはまた零れ落ちそうな涙を手で拭う。と、その時遠話の腕輪が目に入る。タマはすぐにスイッチを押す。
「ちーちゃんもみんなも寝て起きないでしゅ!」
『――どういうこと? もう少し判るように説明して』
すぐにセラから返事が返ってくる。その声に少しだけタマはほっとする。
『今、カガーンに向かっているところだ。船で移動しているのだが、突然船内の人間が倒れて意識がない状態になった。まともに動けているのはタマと僕だけだ』
レオンがタマに代わって説明を始める。
『カガーンに向かっているの? 聞いてないわよ』
『セイレーンの被害にあっているのか!』
セラとクロームが同時に叫ぶ。
とりあえず今は文句を言ってもしょうがないと割り切ったセラがセイレーンについてレオンとタマに説明を始める。
『歌? 確かにそういえば聞こえているな』
レオンは耳をすまし、複数の高音の歌声を確認する。
『セイレーンは歌を使って幻覚を見せるそうよ。チナツ達は幻覚を見させられているようね』
タマとレオンが幻覚にかからないのは種族の耐性によるものだ。
「どうすれば元に戻るでしゅか!」
原因は判ったが、どうすればいいのかがまだわからない。
タマは操舵室から千夏達がいる部屋へと戻りながら尋ねる。
『異常状態だからキュアをかければ治ると思うわ。ただすぐにまた歌を聴くと幻覚にかかってしまいそうだけど』
『つまりセイレーンを倒せということか』
『そういうことになるわね』
レオンとタマは合流すると一緒に甲板へと上がる。いつの間にか耳障りな歌が途絶えていた。
航路を大きく逸れた船はゆっくりと目の前の小島の洞窟の中へと進んでいく。
洞窟の中は薄暗くところどころに小岩が突き出ている。船が小岩に当たりぐらりと揺れる。
どうやらここが目的地のようだ。
タマとレオンはすぐに部屋に戻り千夏にキュアをかける。
ぼんやりとしていた千夏は段々と目の焦点が合い、じっと顔を覗き込んでいるレオンとタマに気が付くと目をぱちぱちと瞬かせる。
「な、何?!」
覗き込む2匹に向かって千夏は声をかける。寝起きで突然目の前に人の顔があれば、千夏でも勿論驚くのだ。
「ちーちゃん!よかったでしゅ」
タマはしっかりと千夏の腰に抱き着く。どうやら泣いていたようで目元が少し赤くなっている。
「一体何があったの?」
千夏はレオンに尋ねる。
「とりあえず、全員を起こそう。タマ、頼む」
レオンは一度に説明したほうが良さそうだと判断する。
タマがパーティメンバ全員にキュアをかけると、呆けたように全員が目を覚ます。
まだ少し眠そうな千夏達にレオンが現在の状況を説明する。
「幻覚耐性か……。厳しいな。最悪はタマとレオンの二人で倒してもらうしかないな」
アルフォンスは眉間に皺を寄せ残念そうに呟く。出来るなら自分で倒したいところだが、今回は厳しそうだった。
「歌ってなければ今みたいに大丈夫なんだけどね。あ、そうか。歌われる前にサイレンスの魔法かければいいのか。」
千夏は自分の持っている魔法を思い出してポンと手を叩く。もともとこの魔法は騒ぐアルフォンスを黙らせるためにとった魔法だった。
船が洞窟の奥に辿り着くと、倒れていた船員たちが起き上がりいかりを下ろし始める。
その大きな音を聞き、エドが船室の窓から外を観察する。
「どうやらセイレーンの棲家についたようですよ。私たちが正気に戻っていることを知ったらすぐに歌を歌ってくるでしょうから、幻覚にかかったふりをして近づきましょう」
「うん。判った」
まるで夢遊病のようにゆらゆらと動きながらゆっくりと船の中にいた人々は甲板に上がっていく。
千夏達も無言でその後に続く。
洞窟の中は入り江となっているようで、この船のほかにも三隻の船が停留している。
そのまま洞窟の中へと人々は進んでいく。この洞窟はひょろ長く続く岩の道が中央にあり、その両側は海水に満たされていた。
岩の道を挟んだ海上にぷかぷかと浮かぶ青白い髪をした女たちの頭が見える。首よりしたは海中にあるのでどのような姿なのかは判らない。
(あれがセイレーン?)
千夏はセイレーン達に気が付かれないようにこっそりと視線を巡らす。
ずっと海中にいるせいなのか、肌は青白くまるで病人のように見える。頬に小さな鱗のようなものが数枚張り付いているようで、それがキラキラと輝いている。更に頭部には小さな白い角が生えていた。
(無詠唱だったらなぁ、こっそりサイレンスがかけられるんだけど……)
千夏は試しに魔力を指先に込めて、心の中で「サイレンス」と呟き近くにいたセイレーンに向かって魔法を放つ。
魔法は問題なく発動したようで、セイレーンにサイレンスがかけられた。
(詠唱って口で言わなくても、効くんだ。初めて知った)
試しに心の中で呪文を呟かない場合はサイレンスの魔法がかからなかった。
とにかく黙ったまま沈黙魔法が使えることが判った千夏は次々とサイレンスをセイレーン達にかけていく。
彼女達は声を発せず人間たちを見守っていただけなので、自分に魔法がかけられたことに気が付いていないようだった。
評価とご感想ありがとうございます。
だらだらと書いていたら原稿用紙換算18枚を越えていました。
前後編に分けました。
最初に考えていたストーリーと全然違うものになってしまいました。




