旗獲り合戦 (1)
「チナツ、起きるの」
セレナにゆさゆさと揺らされ千夏は夢の世界から現実の世界へと覚醒する。
「んぁ? おはよう」
千夏は目をこすりながらもぞもぞとベットからゆっくりと抜け出す。
いつもより朝食を早めにすませたタマが椅子を運び、千夏が顔を洗うためのたらいに水を入れる。
「ちーちゃん、おはようでしゅ」
「ん、おはよう」
千夏は窓の外をぼんやりと眺める。日はまだ出たばかりで寝過ごしてしまったわけではないようだ。
コンコンと千夏の部屋が叩かれる音と「千夏は起きたのか?」という那留の声が聞こえてくる。
どうやら皆今日は早起きして何やら張り切っているようだ。
季節は秋の半ばでうだるような暑さは消え、少しだけ朝が肌寒い。千夏は冷たい水で顔を洗い、タマが差し出したタオルで顔拭いてやっと目が覚める。
千夏は手早く着替えドアを開けると外で待っていた那留が「遅いぞ、飯を食いながら話そう」と言って食堂に向かって先導する。確か余興はお昼からのはずだ。何が遅いのかと千夏は首を傾げながらその後をついていく。
食堂には月光草を探しに行っていたアルフォンス達の他に村長とニルソンが待ち構えていた。
「領主どん、おはよう」
彼らはすでに朝食を終えているらしくお茶を手にしていた。
「おはよう。みんな早いね」
千夏がみんなに挨拶して席につくと、モニカが次々と千夏の朝食をテーブルに並べていく。
「先ほどエッセルバッハからの今日村の管理を手伝ってくれる人達が到着しました。今村人達が引き継ぎを行っているところです」
「もう来ているの?早いなぁ」
ニルソンの報告に千夏は驚く。
「昼から試合開始だろう?早くないぞ。村人全員が国境と王都の入口に並んで入場しなきゃいけないんだ。特に王都の入口は混むからな。早めに出ないと間に合わないぞ」
アルフォンスの言葉に千夏は納得する。確かに午前中の王都の入口は商人達も沢山並ぶので混んでいる。
初めて王都に入ったときも夕方で30分程待たされたのだ。
最近、セラに並んで入らなくていいと言われていたので、千夏はすっかり忘れていた。
「それにせっかく王都に行くのですから、多少買い物する時間もあげたほうがいいと思いましてね。ここで手に入らないものが多いですから」
アルフォンスの後ろで控えていたエドがかちゃりと眼鏡を押し上げる。
「エド殿のご提案で、昨日村人達を集めて行きたい場所の希望を聞きました。何グループかに分かれて目当ての物を買いに行く手筈になっています。私はエッセルバッハの王都が詳しくないので、アルフォンス殿が案内をかってくださいました。村人達も楽しみにしているようです」
ニルソンはほっこりと微笑みながらお茶をすする。
「村人の買い物は5グループに分かれることになっている。俺とエドと後はうちの別邸にいるタッカー達が案内役を務める。たぶん、迷子にならないはずだ」
「ありがとう」
素晴らしく手回しがよいアルフォンスとエドに向かって千夏はお礼を言う。千夏一人では思いつけないことをみんなで意見を出してフォローしてくれる。それがとても嬉しかった。
「迷子防止に旗を持って歩くのが恥ずかしいけどな」
アルフォンスは苦笑しながら、食堂の隅に置かれた旗を見る。
色は赤で布地が40センチ四方ほどある大きな旗だ。
旗の提案は那留だった。王都は人が多いのでいくら気を付けても迷子になりやすい。目立つ印が必要だった。
窓から村人達が集まってきているのが見える。
どの顔もみんな楽しそうで出発を今かと待っているようだ。千夏は急いで朝食をかき込み始める。
「慌てて食べると喉に詰まりますよ」
リサが笑いながら千夏にお茶を差出す。
昨晩は女王としてパーティの中心にいた人物にはとても見えない。
でも、リサは今の千夏のほうが千夏らしくていいと思っている。領主としては風変りだが、呑気なこの村の領主としては千夏ほど合う人物はいないだろう。
「私と村長は村人達が全員揃ったか、確認してきますね」
ニルソンは村長と共に席を立つと先に屋敷の庭へと出ていく。
「じゃあ、俺はゲームに参加する竜の確認でもしとくわ」
那留もふらりと席を立って外へ出ていく。
ますます慌てる千夏にレオンが「ご飯を作るのは大変なんだぞ。ゆっくり味うべきだ」と小言を言う。
「まだ転移を手伝ってくれる方が来ていませんから大丈夫ですよ」
エドにもそう言われ千夏はゆっくり食べることにした。
「みんな忘れ物はないだかぁ?」
村長の掛け声に村人達はわずかばかりのお金が入った小銭入れを確認する。
「家族は全員そろっているだかぁ?」
家族連れの村人達はしっかりと手を繋ぎ、村長の掛け声に頷く。
「それではこれから3グループに分かれて転移します。まずは国境への転移です。みなさん身分証はちゃんと持ちましたか?」
エドの話を神妙に聞いていた村人達が、全員身分証をぐいっと目の前に突き出したことに千夏は思わず笑い出す。
「んなら、昨日決めた通りにエドどんと領主どんとあそこの人に分かれるだ」
村長がフライパンをカンカンと叩くと村人達はバラバラと動き始めた。
村人と竜を合わせて総勢241名。千夏の周りに80名程の村人が団子状態になり、隣の人同士で手を繋ぐ。
「全員手を繋いだ?」
千夏は両手でタマとセレナと手を繋ぎ尋ねる。
一番外にいる村人が「大丈夫だぁ」と声を上げる。
「では転移するよ」
千夏はさっくりと国境へと転移する。突然景色が変わったことに村人達が「おぉ」とざわめき始める。
千夏達に続いて他のグループが順々に転移してきた。
一応人数を数え直して全員がいることを確認すると、目の前のエッセルバッハの国境の砦に向かって歩き始める。
「まるで民族大移動ですな」
事前に通達を受けていた砦の警備隊長は少し目を丸くしてずらりと並ぶ村人達を眺めている。
これだけの人数が一度に出入りするのはハマールと同盟を組む前の出兵のとき以来だろう。
砦の兵達が慌ただしく入国手続きを済ませていく。
入国に必要なお金は事前に不要との通達を受けているので、身分証明と犯罪確認だけで済むのだが人数が人数なだけありそれなりに時間がかかる。
20分程で全員の入国が終わり、王都へと転移していく。
早朝は王都に入る商人の数が多くもっとも混雑する時間だった。最後尾の列に並んでしばらくすると、バーナム辺境伯別邸の使用人達を連れてきたタッカーと合流する。
「今日はよろしくお願いします」
千夏が挨拶するとタッカー達は恐縮したように、全員深々と頭を下げる。
タッカー達がアルフォンスから旗を受け取り、待っている間に行先毎のグループ分けを行う。
千夏もエドから一本旗と懐中時計を渡される。
「チナツさんは竜達を金の換金所まで連れて行ったあと、酒屋に寄ってください。集合場所は王城より少し西に行った処にある近衛兵の訓練場です。午前10時半くらいにそこに集まってくださいね。後試合前に酒屋で飲みすぎないように注意をきちんとしておいてください」
千夏はエドから渡された時計で今の時間を確認する。
今は午前7時半。恐らく王都に入場するまで一時間はかかるだろう。2時間も時間があるのだ。
千夏の周りに集まった竜達に他に行きたい場所があるかを確認する。
「酒屋に行ければ別に他にはないな。それよりも早めに体をほぐしておきたい。ガーシャ様とは違い我らはあまり人の姿で戦わぬからな」
深い藍色の長い髪を一つにまとめた30代くらいの男の姿をとった水竜が生真面目そうに答える。
「そうだな、やるからには全力で挑みたいものだ」
「だが我らが全力であたるとすぐに終わってしまうのではないか?せめて攻撃魔法は封印すべきだと思うぞ。そのほうが面白い」
「んじゃ、攻撃魔法は禁止ってことで。どこかで体動かせる場所あるか?」
竜達の会話を最後は那留がまとめた後、千夏に質問する。
セラに千夏が問い合わせると後宮の庭を使っていいとの回答が来た。
『訓練場でも練習は出来るけど、戦う前に竜達の力を見せるのも面白くないわ。後宮なら人がいないから大丈夫よ』とのことだ。明らかにセラは面白がっているようだった。
竜達も戦うことが好きな種族だ。
それなりのハンデを持った状態でも思う存分暴れることが出来るとゲームを楽しみにしているようだった。
王都に入場し終えた後、お金を換金し旗をもった千夏の後にぞろぞろと竜達はついてくる。
酒屋では味見が出来るので今まで飲んだことのない酒を興味深げに竜達はいろいろ試している。
元々竜は酔いにくい。飲み過ぎないようにと千夏が見張る必要はなかった。
彼らは戦いの後に飲む酒を買い込むと嬉々として後宮で体を動かし始める。
「攻撃魔法は使わないとは聞いたけど、素手で戦うつもりなの?」
その練習風景を千夏と一緒に眺めているセラが不思議そうに千夏に尋ねる。
人に変化したといえども竜の装甲は厚いが、Aランクの兵士が出てきたら多少怪我を負う危険はあるだろう。
「せめて全員拳闘士ということにして、手甲と胸当てくらいは配った方がいいんじゃない?」
セラの言うことはもっともだ。
すぐにセラが王都の武器屋に手配してくれて、全員分の装備を整える。人数が少なかったので何とか直前だが用意することが出来た。
エドと約束した時間ちょうどくらいに王城の西にある近衛兵の訓練場に辿り着く。
訓練場は広く5キロ四方程の広さがあった。
その訓練場に小さな砦が3つ三角形の形に建てられている。
その砦の一番上にそれぞれの国旗が立っている。ネバーランドの国旗はまだ決めていないので、白い布地がはためいているだけだ。
白い旗がたなびく砦から少し後ろに敷物が敷かれ、買い物を楽しんだ村人達が座って待っていた。
千夏達がやってくると武装した竜達に声援が送られる。
他の砦にはそれぞれ300名の兵が集まり、最終的な調整を行っているようだ。
完全武装した大人数の兵達が指揮官の指示により一丸となって動く姿はまさに圧巻だった。
この余興に集まったエッセルバッハの民たちも会場に入ってくる。観客席もだいぶ埋まり始めていた。賭け事屋も開かれているようで、遠目でも賭けのレートが見える。
「エッセルバッハが1.2倍でハマールが1.3倍。ネバーランドはなんと30倍だぞ」
楽しそうに賭けのレートをアルフォンスが眺める。
「これは賭けるべきですね。村人達から少しずつお金を集めて買ってまいりましょう」
千夏達は参加者なので賭け札を買うことは出来ない。
かわりにニルソンが弾んだ声を上げ、村人達のほうに駆け寄っていった。彼らは千夏達が負けないと信じているのだ。
「うまくいくと帰りにまた何か買い物が出来そうですね」
エドは村人達の様子を窺う。
「みんなが買い物できるように頑張るの」
張り切ったセレナが両手をぎゅっと握りしめ、空へと突き出す。
「ちょっといいかな?」
観客席から茜が近寄ってくる。
その顔は真剣でじっと砦のほうを観察している。
「どうしたの?」
「あの砦の土台に魔法陣が設置されているみたいなんだけど」
千夏の質問に茜は複雑そうな顔で答える。
茜が近寄って来たことが気になったのか離れた場所にいたキューイも近寄ってくる。
彼も茜から説明されて、魔法陣の存在を把握したようだ。
「確かに。小さいが土の魔法陣があるな」
『筋肉ぅぅぅぅぅ!』
キラリと目を光らせたセレナが近寄ってきたキューイに抱き付く。セレナはうっとりとキューイの胸をさわさと触り始める。
キューイに出来るだけセレナの近くに寄らないようにしてもらっていたのだが、やっぱり駄目だったようだ。
「メルロウ!先払いで呪いを何とかして!」
千夏は観客席でのんびりとお茶を飲んでいたメルロウに向かって叫ぶ。メ
ルロウはやれやれと腰を上げるとちょこちょことこちらに向かって歩いてきた。
「金貨5枚で手を打とう。30倍ならいい金額になるじゃろう。コリンに洋服でも買ってやれるな」
千夏はアイテムボックスからすぐに金貨を5枚取り出しメルロウに払う。
メルロウは金貨を数えポケットにしまい込むと、怪しげにふふふと微笑むセレナの腕をつかむ。
「解呪!」
メルロウを中心に眩い光が放たれる。光が消えたあと、ぽろりとセレナの指から呪いの指輪が外れる。
メルロウが落ちた指輪を掴むと銀の指輪は酸化したかのように黒ずみボロボロと壊れていく。
「ごめんなさいなの!!」
はっと我に返ったセレナは慌ててキューイから飛び離れ、何度も頭を下げる。
突然発生した巨大な魔力に他国の魔法部隊が驚いたようにじっとこちらを見ている。
セレナは突き刺さる視線に顔をかあっと赤くし、何度もキューイに向かって頭を下げ続ける。
「落ち着け。俺は気にしてないから」
キューイはぽんぽんとセレナの肩を優しく叩く。
「えっと、魔法陣の話だっけ?」
千夏は話題を変えることにした。
「あ、うん。魔法陣の話だったね」
茜は千夏に促されてセレナから視線をそらす。
「あの魔法陣は土を掘り起こす魔法陣なの。土台に仕込まれているから発動すると砦が崩れやすくなるわ」
なるほどとセラは納得する。
恐らくギリアスが仕込んだものだろう。これくらいの手を打ってこなければ面白くもない。
「魔法陣を破棄または発動を阻害することは出来るかしら?」
「破棄は時間がかかるけど、発動させないようにするのは一文字誤った文字を入れればいいから、すぐに出来るわ」
セラの質問に茜はそう答えると早速魔法陣の近くに向かう。
「他にも何か仕込んでないかこの辺りを見て回ろう。見つけたら俺に教えてくれ」
セレナを宥めたキューイが竜達に声をかけ、砦の周辺から探索を始める。
落ち着いたセレナもシルフィンを連れて歩き罠を探る。
30分程探索して砦周辺に巧妙に隠された6つの魔法陣を見つけることが出来た。エドが簡易地図を書き、魔法陣の場所と内容を書きだしていく。
「どうしますか?書き換えします?」
茜が尋ねると那留が首を振る。
「調査して事前に何の魔法陣だか判っているし、発動するときには魔力で判る。このくらいのハンデはいいんじゃないか?」
楽しげな那留の答えに竜達も不敵に笑う。
試合開始まであと30分。千夏は晴れ渡った空を見上げる。いい運動会日和だった。
ご感想と評価ありがとうございます。
誤記を修正しました。読めば読むほど誤記が見つかります…
いつもより1.5倍増しなのですが、開催までこぎつけず……




