竜の谷
お待たせしました。
夕暮れ近くになって、竜の谷と呼ばれる谷の入り口へと千夏達は辿り着いた。夕焼けの光を浴びて、赤茶色の巨大な渓谷がぱっくりと口を開けている。渓谷の底辺から上を見上げてみるが、まるで天まで岩棚が続いているような錯覚がおきるほど深い渓谷だ。
以前映画でみたアメリカのグランドキャニオンを千夏は思い出す。
「こんばんはー。引っ越しの挨拶にきましたー」
千夏は馬車を降りて渓谷の入り口に立ち、大声で叫ぶ。声が岩にあたって反響する。
しばらく待つと、先ほど慌てて帰って行った火竜が近づいてくる。火竜は優雅に渓谷の上空をくるりと旋回したあと、千夏達の前に降り立った。
その背には黒髪で長身痩躯の青年が立っている。ひょいっと彼は火竜の背から飛び降りると、だぼだぼのズボンのポケットに手を突っ込んで、鼻歌交じりにゆっくりと千夏へ近づいてくる。
レオンの母親の記憶ではガーシャと呼ばれる最古の闇竜が谷で一番強い竜はずだ。なのに一見ただの柄が悪い青年に見える彼の気が、この辺りでダントツに大きい。
(彼がこの谷で一番強い竜?でも、やたらと若くない?)
千夏は不思議そうに彼――那留を見つめる。
「引っ越し挨拶といえば、やっぱり引っ越し蕎麦だよな」
ぽりぽりと頭をかきながら那留は軽口をたたく。
「蕎麦ってこの世界にあるの?私みたことないんだけど」
パスタなら見たことがある。
「俺もみたことねーよ。あるんなら食ってみてぇけどな」
ケケケと青年は目を細めて笑う。
「えーと、とりあえず。ここから東南の土地の領主になった佐藤千夏です。お蕎麦はないからお酒を持ってきました。近所同士仲良くやっていきましょう」
千夏はアイテムボックスからどーんと酒を数樽取り出し、青年の前に積み上げる。
「おう、よろしくな。俺は高橋那留。一応この谷の代表者だ。っていか、代表者の体を乗っ取っちまったんだがな」
那留は酒樽の栓を抜き、くんくんと中の酒の匂いをかぐ。
「ん?タカハシさん?」
「そうだよ、サトウサン。俺も元日本人だ」
首を傾げる千夏に那留はけけけと笑い、お土産の酒樽をそのまま抱え上げて、中の酒をグビグビと飲みはじめる。
「あれ、でも竜なんだよね?」
「竜だぞ。しかも2千年も生きてた竜だぞ。笑っちまうだろう。見たいか?」
千夏はこくこくと頷く。
「んじゃ、ちょっとだけな」
那留は腕を振り、竜身に戻る。
「でかい!」
アルフォンスが巨大な竜の姿に感動して叫ぶ。隣でおとなしくしている火竜のおよそ3倍の大きさの竜が出現する。黒曜石のようなキラキラ光る黒光りする鱗に、額の角の大きさはおよそ2メートル。巨大な蒼く輝くサファイヤの石柱のようだ。
「ゴジラよりは小さいけどな。でも、このサイズだとこの谷では動きずれぇ」
闇竜は面倒そうに笑うと、すぐに竜身から人の姿に変化する。
「まぁ、とりあえる中に入れや。話はあとだ」
那留はくいっと親指を谷のほうに向ける。
「それじゃ、お邪魔します」
千夏は一度取り出した酒樽をアイテムボックスに収納し、那留の後をついていく。
想定外に簡単に竜の谷に入れたことにリルは安堵する。昨日あれだけリルを脅した火竜も大人しい。さすがは千夏だ。竜に臆することなく、対等に交渉をしている。
竜は人に無関心か敵意を抱いていることが多いとセラに教えられていたが、先ほどの大きな竜はそのどちらでもないようにリルには感じられた。
ゴツゴツと岩だらけの渓谷をしばらく進むと、道幅がだんだんと広くなっていく。渓谷を流れる河川の両脇に豊かな森が広がっている。
河川の水辺には水竜が、森の入口には風竜と火竜が、少し高台のようになった岩の上に地竜がずらりと並んでこちらをみている。数はおよそ30ほど。竜がこれだけ一同にそろっている姿はまさに壮観だった。
「おお、さすが竜の谷」
アルフォンスは竜達をうっとりと眺める。
レオンとタマもこれだけの同族に会うのははじめてだが、嬉しいというよりも自分はこの中でどのくらいの強さを持っているのかのほうが気になっていた。
竜は力が全てだ。
「やっぱり混血竜はいませんね」
それなりに冒険者として各地を回ったことがあるエドは、伝え聞いていたことが真実であったことを確認すると頷く。
リルはというと自分でも少し情けないがエドの後ろに隠れるようにして、竜達の視線から逃げていた。竜達の視線には敵意を感じないが、あきらかに値踏みするような視線だったのだ。
「うわ、本当に小さいのがいるれしゅ」
静まり返った対面の場で無邪気な可愛らしい声が聞こえてくる。森の前にいた火竜達の間から小さな緑色の鱗の竜がひょこりと顔を出す。
「ディア、駄目です。下がってなさい」
火竜がすぐさましかりつけるが、ディアと呼ばれた幼竜はするりと火竜達の間をすり抜け、小さな翼を羽ばたかせてタマの前に降り立つ。
「ディア!」
那留の傍にいた火竜が怒鳴り声を上げる。ディアは父親を無視して、じろじろと人の姿に変化しているタマを珍しいものをみるかのように眺める。
ディアのその姿は角の色が違うだけで、生まれてまもないころのタマとそっくりだった。
「放っておけよ、こんだけ竜がいる前でなんかすることもねぇだろう。チビはチビ同士で話したいんだろう」
那留はニヤニヤ笑いながら、飛び出そうとする火竜を止める。
「あたしゅはディア。あんたは?」
タマよりも低い位置にいるのが気に入らなかったようで、ディアは再び空中に浮かびタマよりも高い位置から声をかける。
「タマでしゅ」
「変な名前れしゅね。でも、いいれしゅ。今日から私の子分になりなしゃい!」
ディアは舌たらずな可愛らしい声でびしっとタマに命じる。
あきらかに自分よりも力が劣る弱い竜にそう宣言されたタマは、不思議そうにディアを見上げる。
レオンも含め周りの竜達も呆れ顔だ。ディアの両親は娘の暴言に茫然となっていた。竜達にとって弱い相手から格下扱いをされたら、侮辱した相手を半殺程度に痛みつけることは常識だった。
「あはははは。いきなり子分かよっ!」
那留は腹を抱えて大きな声で笑い出す。
オーエルは慌てて人型に変化し、空中に浮かぶ娘を捕獲する。そしてすぐさまタマに向かって頭を下げる。
「すまない、この子はまだなんにもわかっていないんだ。殴りたいなら俺を殴ってくれ」
「おとうしゃま。邪魔しないで!」
ディアは父親の腕から逃れようと暴れだす。
オーエルはこの竜の谷に住む火竜の中で一番強い雄だ。ほかの火竜達はオーエルに対して頭が低い。それをずっと見てきたディアは、自分の子分が欲しくてしかたなかったのだ。
あまりの力量差にタマは腹が立たなかった。もともと女の子には優しくしなさいと千夏に言われているということも大きい。どちらかというとリルを脅し、レオンを怒らせたオーエルのほうに興味があった。タマはちらりとリルとレオンを振り返る。
「昨日のことリルとレオン兄に謝るでしゅ。タマはそれでいいでしゅ」
はじめはなんのことを言われているのかわからなかったオーエルは、タマが視線を向けている2人をみて納得する。娘を守るために、威嚇した2人だった。特に混血竜は自分と力量差がほとんどないない。さぞ怒り狂っていただろう。
「昨日はすまなかった」
オーエルはレオンとリルに向かって頭を下げる。
「おとうしゃま、なんで謝るの!」
怒り狂う娘がオーエルの脇腹を思いっきり蹴飛ばす。幼竜の一撃などに揺らぐ成竜はいない。オーエルは暴れる娘を無視する。
謝るオーエルをレオンは憮然と見下ろす。
「リルがまだこいつを気に入らなかったら、ぶちのめしてやるぞ」
本当は自分が気に入らないのであるが、タマの気づかいを無にするわけにはいかない。レオンの言葉に慌ててぶんぶんとリルは首を振る。タマとレオンが特殊であって、力がない自分に対しての普通の竜の振る舞いは、あんなものだと学校で勉強していたリルには判っていた。
ヒーヒーと笑い転げていた那留はやっと笑いが収まったようで、腹に手を当て起き上がる。
「あー、久しぶりに爆笑したぜ。むしゃくしゃするんなら俺が喧嘩相手になってやるからよ、人だの竜だのってことで喧嘩はすんなよ。俺も人里にいきてぇし、土産も持ってきてくれたんだ。仲良くやれ。俺ルールに違反したら速攻ガチバトルやっからな」
最長老の意見に反対などできない竜達は黙ってそれを受け入れたようだ。千夏はその場でアイテムボックスから次々と酒樽を取り出す。
「これお土産です。あ、竜のまま飲まれるとすぐなくちゃうから、人型でお願いします」
くんくんと酒の匂いを嗅いだ竜達は人の姿に戻り、近くに寄ってくる。やはり竜は酒に弱いようだ。セレナが酒樽を担ぎ、次々とエドが差し出した木のコップに酒を注いでいく。
「いい酒だ。たまに酒をもらいにお前のところにいくのもありだな」
那留はぐびぐびと酒を飲みながら千夏に向かってニヤニヤと笑う。
「竜が遊びにくるのはいいけど、酒代だけで金欠になっちゃうよ」
竜は体が大きいのでどのくらい酒を飲むかわからないが、ボランティアで配れる金額じゃないだろう。千夏は困ったように笑う。
「そんじゃ、酒代代わりに金でも持って行ってやる。それなら問題ないだろう。この谷沿いの山に結構金や銀が埋まってるんだ。地竜があっという間に掘り起こしてくれるしな」
那留の言葉に地竜達が頷く。どうやら彼らも酒が気に入ったようだ。
「じゃあ、料金を前払いしれくれれば、大量にお酒を仕入れておくよ」
まさか竜相手に酒の販売をすることになるとは思ってもみなかった。
「そうしてくれ。早速明日でも掘り出しに行かせるからよ。他にいいもんあるか探しておくか」
那留は上機嫌に酒を飲み続ける。
「ところで、なんでタカハシサンは竜なわけ?」
「そいつは俺が聞きてぇわ」
那留はオーエルから逃げ出して、タマのそばに駆け寄っていくディアを眺めながら答える。
「あのタマって坊主は、俺がこっちの世界に来たときに元の体の持ち主との激しい衝撃の影響で、卵のままどっかにとばされちまったんだよな。まぁ俺のせいじゃないんだが、なんとなく心にしこりが残ってな。見つかってよかったぜ」
「元の体の主?」
千夏に問われて那留はうーんと頭をかく。
「俺もいろいろ複雑なんだよ」
那留はこの世界に来た日を千夏に語りだした。




