ハマール
話しは一月ほど前に遡る。
その城は小高い丘に建てられており、城のまわりをワイバーンに乗った竜騎士たちが警備のために飛び交う。
ここはエッセルバッハの隣国にあるハマール王国の王城だ。
ハマール王国はエッセルバッハと同様に、広大な肥沃の大地と豊かな鉱山を抱えている。
エッセルバッハとは多少の小競り合いは過去何度か起きているが、辛うじて現在は友好関係を結んでいる。
300年前の魔族との大戦での国内の立て直しが必要だったこと、2国間に竜の谷が存在していること。
この2つの要因がなければ、どちらかが侵略戦争を行ったとしても不思議ではない程度の友好関係だ。
つい最近エッセルバッハの主要都市が魔物の大群に襲われたと聞き、ハマール国王はもちろんのこと、貴族たちも手を叩いて隣国の厄災を喜んだ。
だが次に起こったエッセルバッハ王都への魔族襲撃事件は、あまり喜ぶ気にはなれなかった。
魔族がエッセルバッハだけを狙うのであれば問題ないが、元魔王領とエッセルバッハの中間に位置するハマールを放っておく筋合いはないだろう。
「して、父上。エッセルバッハの宰相は何と?」
ハマール国王は皇太子に尋ねられ、不愉快そうに読み終わった手紙を机の上に載せる。
「魔族を退けたエッセルバッハの勇者が、魔族に有効な剣技を教えてやるから、それまでに兵士たちを鍛え下地を作れといってきおった。一体何様のつもりか!」
ふつふつとした怒りに顔を赤らめている父親を一瞥し、皇太子は机の上に伏せられた手紙を手に取る。
手紙の概要は父親の言ったとおりで、ただ高飛車なことは一言も書かれていない。
エッセルバッハの宰相の手紙は丁寧でかつ魔族の対する不安が垣間見る切実な内容になっていた。
父親のエッセルバッハ嫌いにも困ったものだと皇太子は溜息をつく。
「別にいいではないですか。兵士を鍛えるのは普通のこと。ましてや新しい技をタダで教えてくれるならもうけものです。エッセルバッハの兵だけ強くなるのは嫌でしょう?」
皇太子はわざと父親の気になるところをついた話し方をする。
「むぅ」
国王は唸って考え込む。
「魔族が出たのです。兵の強化はしておきましょう。そのあとにエッセルバッハの申し入れを受け入れるかどうかは結果が出た後でよいのではないでしょうか?」
「それもそうだな」
皇太子の助言に国王が頷く。
「では私が騎士団長に伝えてまいります」
皇太子は軽く礼をとって国王の執務室を退出する。
「クロームだ。セラいるかい?」
部屋を出てしばらく廊下を歩いたあと、皇太子は袖につけているカフスに向かって話しかける。
『あら、お久しぶり。連絡があったということは、手紙がついたようね』
「そういうことだ。とりあえず兵を鍛錬させることは同意させたよ」
皇太子は廊下から庭に出ながら、上空を舞う竜騎士を眺めながら答える。
『その言い方だと、実際の技の伝授のほうは面倒そうね。国王は相変わらずエッセルバッハが嫌いなようね。そんな小さなことにこだわってる場合じゃないのにね』
辛辣なセラの言葉に、皇太子は苦笑いをする。
「まぁ少なくてもそっちに兵を送り込むことは厳しそうだね。わざわざ教えてもらいにこちらから出向くなんてことは死んでも嫌がりそうだ」
『うちもこの時期に優秀な兵をハマール送りにしたくはないけど、妥協点がその辺りなんでしょうね。それに私の予測では次の襲撃はハマールだし』
「おいおい、物騒なことを言わないでくれよ」
『あら、あなたにもわかっているのでしょう?ハマールが最前線になることを』
きっぱりと言い切るセラに皇太子は黙り込む。
本気で魔族が人と敵対するというのであれば、元魔王領と隣接しているハマールが襲撃されることは誰が見てもあきらかだった。
「今最前線といったね」
『言ったわよ。私が選べることなんてせいぜい2つしかないわ。ハマールを魔族が蹂躙してからエッセルバッハで迎撃するか、それともハマールと共に戦うか』
「……3つめのこちらから魔族領に侵攻するというのはなしなんだね」
『そんなもの却下よ。わかっていて言ってるとはおもうけど。元魔王領の詳しい地図はないし、第一魔族全員が敵でない可能性だってあるのよ。下手に攻撃して寝た子を起こす必要はないわ』
魔族はもともと血の気が多い種族ではあるが、人間と同じく人によっては穏やかに暮らすことを是とするものもいる。
魔族の土地に侵攻してなにを基準に敵なのかを判断することは難しい。
穏健派の魔族を攻撃して、その魔族が上位魔族だった場合、洒落にもならない。
『クローム。あなたがすべきことは3つ。兵を強化し、備蓄を整える。あとは無能な父親を追い落とすことね』
皇太子は溜息をつく。どうしてこの幼馴染はいつも一番痛いところをついてくるのだろうか。
『私としては、ハマールと共に戦うことが今選べるうちで一番ましだと思っている。でもそれはハマール側の対応次第な要素が大きい。連携が取れないようなら一緒に組むメリットはないわ』
「少なくても戦時には僕が指揮をとるようにする。共同戦線方向で考えてくれ」
クロームは必死にセラに頼み込む。単一国家で魔族と敵対するより、エッセルバッハとの共同戦線を張った方が勝機が高い。父もそこまで愚直な王ではない。
『とりあえず、そっちの対応をみて考えるわ。じゃあ、またね』
無情にもプチリと通信が途絶える。
皇太子は厳しい表情で、踵を返して城の中へと戻る。
彼にはやらなくてはならないことが山積みのようにあった。
千夏達の帰還が迫ったころ、エッセルバッハの城門前に大勢の人々が集まっていた。
皆鍛え上げられた見事な体躯つきの猛者ばかりである。
「皆、よく集まってくれた。これより魔族に対抗するために新しく作られる精鋭部隊の選抜を行う」
城門の前に現れたエッセルバッハ宰相であるイズスが声を張り上げる。
「今から王都の外周を走ってもらう。最後まで走りぬいたものから10名を精鋭部隊とする。なお、走る速度はこのラディよりも遅い場合は失格とする」
ラディはトールバードとは異なり足はそれほど速くはない。だがスタミナは十分ある従魔で時速10キロ程度の速度で一日は走り続けることができる。
これは参加者にだらだらと走り続けられることを回避するための手段として選ばれたものだった。
王城の外まで参加者全員が移動すると、いよいよ試験が始まる。
「はじめ!」
試験管の掛け声で一斉に皆走り始める。5千人にも及ぶ大マラソン大会の始まりだ。
全員が走り出すまで5分以上時間がかかった。最後にラディがそのあとをついて走り始める。
この試験の参加者は王都の兵が8割、各領主の兵が1割、残りの1割は冒険者たちだった。
基本今回伝授されるのは剣技のみ。
剣をそれなりに取り扱えないものは参加できなかったのでこの人数で済んでいるのだ。
王都を一周するのにおよそ40キロ。
今日の試験のために、給水地点を何個も設置し、救護用テントも設置していた。
王城に戻った宰相は試験が始まったことをセラに報告すると、疑問に思っていたことをついでに質問する。
「でもなぜ10名なのですか?もう少し多い方がいいようなきもしますが」
「まともな剣の師匠もついたことがない、アルフォンスとセレナがまともに教えられると思う?実際に動きをみせて真似させるのがせいぜいでしょう。あとは口でちょっと教えるくらいね。最初から大人数でおしかけても無駄よ」
セラは書類を眺めながら答える。
「それにね、たぶん訓練するのはハマールになりそうなの」
「やはりそうなりましたか」
わざわざハマールの兵士をエッセルバッハまで向かわせ、教えを乞うのはハマール王の矜持にそぐわないのだ。
「とりあえず、訓練ができるだけよしとすべきかしらね。変なプライドだけが高くて、頭の悪い父親がいるとクロームも大変だわ。ところで、ミジクで手にいれた魔石の改造のほうは順調?」
セラは判を押すと、書類を宰相に手渡す。
「はい。物理および魔力防御結界への書き換えを順次行っています」
「せっかくもらった置き土産ですもの。有効に使わないとね。チナツ達が戻ってくるまでに仕上げて頂戴。ハマールまでそれを運んでもらうから」
「かしこまりました」
宰相は書類を受け取り、会釈をしてセラの執務室を出ていく。
そろそろ魔族側で何らかの動きがあってもおかしくはない時期にきている。
セラは溜息をつくと、次の書類に手をのばした。
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