恋人たちよ、再び!5
恋人たちよ、再び!5
また、来た。
王女がいつもの場所で昼食を摂っていると、漆黒の髪を持つ男子学生がトレイ片手に近づいてくる。
今日は油ギトギトの豚骨ラーメンセットを注文したらしい。
王女はいつものように素知らぬ顔をして作業に没頭する。
スプーンでヨーグルトを瓶からすくい、サンドイッチを囓り、紅茶を口に含む。
「いいかな。ここ」
真向かいに置かれたトレイを見て王女は瓶からすくったスプーンをその薄い口にくわえたまま固まった。
男子は王女の許しもないまま席に着くと、顔を伏せたまま豚骨ラーメンセットに取り掛かる。
ズルズル。クチャクチャ。ズルズル。クチャクチャ。
餃子のニラの匂いがプーンと漂う。
「……」
王女の作業は停止したままである。
「あっ。ごめん」
跳ねた麺から汁が飛び、境界線である王女のハンカチの縁を濡らした。
ここで王女が再起動。
3点セットが載っているハンカチごと隣の席にカサコソ移る。
それから残った紅茶入りの魔法瓶を引き寄せると、王女は一心不乱に作業に没頭する。
王女がタッパーに入ったりんごの小片を片付ける頃、あちらもラーメンのドンブリを傾けてズズズズッ。
傾け終わったドンブリから顔をあげて男子は満足げにニッコリ。
王女は視線を逸らすしかない。若干顔を赤らめて……。
王女は思う。
今日の帰りしなに髪を切ろう。うん。美容院に予約を入れなくては、と。
不思議なことに王女は最近夢を見なくなっていた。
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
衝立で遮られたテーブルの席に着いたマリアカリアは不満をつぶやいていた。
なぜギャルソンが席に案内しない。なぜ飛んできて椅子を引かない。
「ここは学生食堂ですから。リストランテではなくカフェテリアみたいなもんなんでしょう。大尉殿」
いつものようにマリアカリアの椅子を引いたナカムラ少年が宥める。
「ナカムラ少年。わたしはわがままを言っているんじゃないぞ。おとぎ話の皇帝のようにいつでも最高の接待を要求しているわけでもない。軍人であり、野戦で飯盒から直にスープを啜ることだってある。
でも、なあ。
話では、ここは星のもらえるレストランだというではないか。それなりのものにそれなりの要求をして何が悪い」
いつもの癖でマリアカリアは食事のことに関しては極度に怒りっぽくなる。
それに、クレームは悪役令嬢の嫌味を迎撃するのに都合がいい。
大したサービスでもないのにそれを特権か何かのように有り難がっているとはみすぼらしい、と。
マリアカリアが不満をたれていると、そこへきれいに整えた髭を生やし半白の髪を真ん中から分けた給仕長が現れた。
彼は深々と頭を下げる。
5秒、10秒、15秒、30秒、1分……。
給仕長は一言も弁解を入れずにただただ頭を下げ続ける。
さすがにクレーマーのマリアカリアもこれには矛を収めざるをえない。マリアカリアにも別に関係のない紳士をいたぶる理由はないのだ。
「わかった。立派な紳士が頭を下げるくらいだ。料理に期待しよう」
一応学生の昼食用のレストランであり、クイックサービス。マリアカリア好みに料理が迅速に運ばれる。
オードブルに鮭のマリネ。フレッシュサラダ。クールジュのクリームスープ。口直しのパン。魚料理にエビ・舌平目巻きアレキサンドラ風。ソルベとしてレモンシャーベット。肉料理として牛フィレステーキ。チーズ、フルーツ、デザートとしてリンゴのタルト。
あとはコーヒーとプチフール(一口サイズの小菓子)が出された。
平凡な品目ながらも料理は美味しかったのであろう、明らかにマリアカリアの機嫌が直っていた。
「美味かったぞ」
「お気に召していただき、大変光栄でございます」
見た目17歳の目つきの悪い小娘にこれだけ恭しく接することのできる給仕長はなかなかの人物であった。
ちなみに、ここのコックはパリ・マドレーヌ広場にあるルカ・カルトン(レストラン)の主人アラン・サンドランス(ヌーヴェル・キュイジーヌの旗手、有名な料理研究家)のもとで長年修行してきたベテランである。フレンチが美味しくないわけがなかった。
料理にもクレームをつけることのできなかったマリアカリアはコーヒーをすすりながら、困惑する。
なぜに未だ悪役令嬢が登場しないのだ?コーヒーまで出されてしまったではないか。このままだと昼食の時間が終わってしまう……。
「大尉。忘れないうちに報告しておこう。わたしは夏姫とクラスが同じになったぞ」
シルヴィアが話しかけてきた。
「なんでも噂では半年前に校長が代わってからこの食堂は流行らなくなってしまったそうだぞ。
校長は西洋料理が嫌いで、昼食は校長室で夏姫と一緒に中華料理を食るのだそうだ。夏姫の取り巻きも一緒にな」
ということは、例の特殊な集団の席とりの慣習もなくなっているという訳か。
どうすればいいんだ。
あのツッコミ放題な席とりの慣習を馬鹿にすることを楽しみにしていたというのに。そのためだけに来たといってもいいくらいなのに。
マリアカリアは歯ぎしりをした。
「はあ。それじゃ、悪役令嬢登場のイベント起こらないじゃないですか。どうなってんですか、この乙女ゲーム」
ナカムラ少年の呆れ声が続く。
「フン。そっちがその気ならわたしにも考えがあるぞ。オイ、給仕長。相談があるのだが」
情報戦のまずさから緒戦で窮地に立たされ今まだアウエーに居残らされていることを反省して第二ラウンドに向けて巻き返しの作戦を練った、というわけでは当然なく、マリアカリアらしく自分のやりたいことをやりたいようにすることにしたらしい。
わたしがこのレストランを買収して乙女ゲームの中で一番人気で有名な店にしてやろう。パリ・エポック時代の「マキシム」のようにな。
なに。金の心配ならするな。わたしはここの通貨で5兆円ほどに相当するものを持っているからな。
マリアカリアは給仕長の腹をつついて豪語する。
こちらも乙女ゲームとは全然関係がない。
この物語の登場人物たちにはまともに話しを進める気があるのだろうか。本当に心配になる。




