恋人たちよ、再び!1
恋人たちよ、再び!1
「自分のしてきたことを口にできないというのなら、そこに落ちているレポートを拾って読め!」
シルヴィアは口の端から血を流してうずくまっているヒゲの男を怒鳴りつける。そして、蹴りつける。
「ねえ!やめさせて!ねえ!お願いだから!」
グロリアは床に跪いてマリアカリアに向かって懇願する。
だが、マリアカリアは応えない。
無言のまま、長靴にすがりつこうとするグロリアの手を避け、一歩後退してからケースからシガレットを取り出して火をつけた。
「ハアハアハァ。嫌だ。わしは絶対に認めん」
苦しそうにしながらもヒゲの男は頑強に拒む。
「3000年……。3000年もの間、わしが何もしなかったとでも思っているのか。わしはもともと宗教家だ。友愛を説いたこともあれば共生を説いたこともある。
だが、いつも長続きはしなかった。モデルの男の言うように恐怖こそが一番長続きをする。そして、効率的なのだ。
わしとグロリアが一から彼らを育てたんだ。誰にも文句は言わせん」
「黙れ。
愛し慈しんできたような口ぶりだが、結局支配していただけだろうが。
人民はお前のペットかなにかなのか。
お前の気分次第で殺されていった人間たちに対して何の言い訳になる!
ゲス野郎が!」
シルヴィアは男の腹といわず背といわず無茶苦茶に蹴り始めた。
マリアカリアはそれを細めた目で眺めながら、右手の指に挟んだシガレットをユックリと持ち上げて口に運んでから少し巻き舌気味にして紫煙を吐き出した。
「やめて!もうやめて!お願い!
私が謝るから。私が代わって一杯謝るから。
あーあぁあぁぁ。神殿長が死んじゃう。アーサーが死んじゃう。
ダメ!許して!お願い!」
「お前が今感じていることをこの男とお前は何百万何千万もの人間に味あわせてきたんだぞ。わかっているのか!」
シルヴィアは振り返って怒鳴った。
返事はない。誰も喋らない。
シルヴィアは蹴るのをやめて男から離れ、睨みつけながら近くの壁に背をもたせかけてから指をかんだ。
グロリアの嗚咽が広い部屋の中に響く。
「ラプンツェル」もその小さな手で顔を庇うようにして泣いていた。
しばらくしてからマリアカリアが吸殻を灰皿に向かって指で弾いた。
「依存の度合いが激しいな。どちらも先には死ねない、か。
よろしい。わたしなら二人同時に殺してやれる。
わたしは今からシルヴィアとアイスクリームを食べに行ってくる。戻ってくるまでに決めておけ」
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
赤の広場にあるグム(百貨店)ではロシアで一番美味いと評判のアイスクリームが売られていた。
「シルヴィア。ひとつ何コペイカなのかは知らないが、金はどうした?誰か殺したのか。エエッ?」
「大尉はまったく口が悪い。人に奢ってもらうというのに」
百貨店内の三階の渡り廊下になっているところでシルヴィアがマリアカリアに買ってきたアイスクリームを渡す。
「公園で保護したプレス工場の女工たちに腕時計を売ったのだ。大尉。
たまたま休日で公園にピクニックに来ていた彼女たちが亡霊たちを見て震えていてね。落ち着かすために民警の詰所から失敬してきたサモワールで紅茶を出してやったんだが、人民の財産を略奪したとなじられた。以後、必要なものは金を置いていくことにしたんだ。
ここではわたしの持ってる貨幣は通用してないから売るしかなかったというわけさ」
「それが異世界へ渡るときのネックだな。
自動翻訳機能だけでなく誰かに両替所を作って欲しいものだ。
まあ、その不便さのおかげで今日シルヴィアは命拾いをしたんだがな。
ディオニュソスに幸運の金貨をもらってもいないのに、君は本当に運のいいやつだな。シルヴィア」
「話が見えないぞ。大尉」
「つまりだな。わたしとナカムラ少年とエリザベス伍長は乙女ゲームの中へ放り込まれたわけだが、現地の通貨の持ち合わせがない。そのうえ、昼食代という即急に必要な金の調達を強いられたわけだ。だが、制約があって学園から抜け出て物を売ることもカジノで儲けることもできやしない。もちろん犯罪行為もできない。すれば、警察に捕まってゲーム・オーバーになるよう仕組まれている。
困ったわれわれが何かないかと所持品を調べていたら、マルグリットの仕込みがいろいろ出てきた。
まず、拳銃。君の拳銃との通信機能がついていた。おかげで君のいる場所の位置と状況がわかった。
次に、着せらた白のジャケット。妙に肩パットが尖っていると思ったら、中から非常脱出用ツールが出てきた。エリザベス伍長の見立てでは、乙女ゲームの時間を止めたまま脱出して戻ってこられるすぐれものらしい。
ここまで揃えば、あとはわたしの灰色の脳細胞が働く。
グロリアには賞金がかかっていることを知っていた。そこで、ヤツを捕まえてここにあるゲートを通ってシルヴィアやナカムラ少年の元の世界へ行き、賞金の一部を日本の円に替えてもらえば万事解決という計画を立てたわけなのだよ。
そういう訳で君の命が助かったのは、ひとえにわれわれに昼食代の持ち合わせがなかったことによる。つまり、シルヴィアの命の値段は昼食代の金額だったということさ」
「聞きたくない、ガッカリさせられる話だ。わたしのさっきまで大尉に感謝していた気持ちを返して欲しいよ」
「いいだろう。夕食を奢ってやろう。そして、飲もう。シルヴィアはここでウオッカと黒パンと魚の干物を買っておけ。ロシア人には必需品だろう。わたしにはなぜロシア人が一杯目に黒パンか干物の匂いを嗅ぐのか全然理解できないがな」
「ダークエルフのくせにロシア人を馬鹿にするなよ。今度サワークリームがたっぷり入ったボルシチを食わせてやる。美味しすぎて土下座するようにな、大尉」
冗談を言い合って少しは気を紛らわせはしたが、これからの事を考えると二人共、ため息が出た。
「7000年は人間が狂うには十分すぎる時間だ。フン。わたしもいずれああなるのか」
アイスクリームを食べ終えたマリアカリアは渡り廊下の鉄柵にもたれながらシガレットに火をつけた。




