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鋼鉄の男9

 鋼鉄の男9


 いつものようにもと魔王はベットに寝そべったまま、先程まで共にしていた女性が鼻歌まじりにシャワーを浴びに行く背中を黙って眺める。

 それからシガレットに火をつけた。


 彼にとって異性と身体を重ねることはもはや奉仕の意味でしかなかった。身体を重ねること自体については何の期待も憧憬も抱いていない。


 だが、それは彼が力を抜くことを意味しない。もと騎士らしく、求められることに対しては全力で応じるのが彼の信条だったからだ。


 彼は奉仕に時間をかけることで有名だった。


 最初の二時間、彼はひたすら愛撫し甘い吐息をかけ優しい言葉をかける。

 漆黒の髪を持ち茶色の瞳の絶世の美青年がひたすら相手の女性のうなじ、耳、背中、腕を刺激するのだ!どんな女性も彼の独占を想像し動悸を高まらせ全身を紅潮させ肌を粟立たせた。

 次の二時間で、女性は我を忘れひたすら譫言めいたつぶやきを続けることになり、彼は女性の体を粘土細工のようにグニャグニャにしてしまう。

 最後の二時間。

 彼はテニスかゴルフでもしているかのように相手の健闘をたたえ、それにふさわしく全身全霊を尽くす……。


 そして、彼が奉仕を終えると、どんな女性でも鼻歌まじりにシャワーを浴びに行くことになる。



 彼は彼を求める女性ならばどんな女性をも相手にした(ただ奉仕の関係上、半日の時間の余裕のある女性しか相手にできなかったが)。そのため、お年寄りでも若すぎる女性でもお金持ちでもそうでなくても身分の高低をとはず彼は相手に夢を見させることができた。


 魔力を失ったもと魔王は今ではしがないダンス教師に過ぎなかったが、彼にはそういう特別の種類の魔術が使えた。

 関係を持った女性たちは例外なく彼に狂った。彼のことを思うだけで肉体の一部が疼いた。


 だが、彼が与えうるものは、現実から一時的に目を逸らさせるだけの虚しい、誰にとっても救いのない夢にすぎなかった。


 彼もそのことはよく知っていた。

 だから、彼は一度でも女性を誘惑したこともその肉体を求めたこともなかった。


 他方、彼は決して受け取らなかったが、諦めきれない女性たちは彼を縛ろうとして山のような貢物を彼に差し出した。その中には金銭では測ることのできない、恋情とか純真な敬慕とか涙とかいったものまでもが含まれていた。彼に対して慈愛というものまでをも与えようとした女性さえいた。


 しかし、彼女たちが独占しようにも、彼の心はすでに空っぽだったから、彼女たちの希望は永久に叶えられることはない。



 すべては幻影だ。虚しい。


 今日も、彼はベットに仰向けに寝転がりながらため息とともに紫煙を吐きだした。



 先ほどの女性が彼のもとへ戻ってきた。そして、こう言った。


「この世界でシャワーを浴びることができるなんて、わたくし、思ってもみませんでしたわ。大尉さんもいい仕事をしてますね」


「君はいったい何者なのだ?」


 女性の言葉に引っかかりを覚えた彼は改めて女性を見直した。

 そして、彼は相手の女性を警戒するという初めての奇妙な感覚に戸惑った。

 虚しさしか感じない彼は一度も相手の女性を恐れたり警戒したことはなかった。物を盗まれようと命を奪われようと彼には関心のないことだった。彼にとって相手の女性はいつでも同じスポーツに興ずる競技者としての位置づけにすぎず、それ以上のものでもそれ以下のものでもなかったのだ。


 にもかかわらず、彼を不安にさせるこの反逆者は一体何者なのだろう?


 女性はにっこりと笑った。


「わたくしは夏姫と申します。わたくしにはあなた様に一緒に来ていただきたいところがございます。代わりにそこでわたくしがあなた様の過去を取り戻してご覧に入れましょう」


 次の瞬間、彼の世界は暗転した。そして、彼は叫びだす。


 わたしは。わたしは。わたしは……。


 誰なんだ、一体?


 

 彼は自分が何者であるかの記憶を一切失った。



「恋愛には騎士が必要」

 それが夏姫がフランチェスコを己の世界に引き込んだ理由だった。



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