鋼鉄の男1
鋼鉄の男1
「その魔女さんというのはわたしをいつまで待たせたら気が済むのかな?」
夢想を破られ不機嫌になったシルヴィアは、曲を『青いプラトーク』に変えながら1910年代のコサック兵に尋ねた。
「わたしの方では準備はできている。魔女さん抜きでも構わないんだけど」
「そう言うな。
やっとこさ、準備ができたと連絡がきたんだ。
お前さんもロシア人なら少しくらい遅れても大目に見てやれ。イギリス人やドイツ人じゃないんだからな。
ちなみに、その今弾いているワルツ調の曲はなかなかいいぜ」
古い軍歌であるが、戦争に行ったときシルヴィアは兵員輸送車の上でよくこの曲を弾いて仲間と唱和したものだ。
あの時の仲間で五体満足に故国へ帰れたものは何人いることだろうか。
公式の発表では1万5000人もの若者が戦死した。負傷した者の人数はその数倍。
あの国には最盛期で10万人が駐屯した。
相手方の被害も凄まじい。
百万人を超える男たちが死に、一時期14歳以下の人口に占める割合が半分を超えてしまった。
さらに数百万人を超える難民が国境を超えた。
最悪の結果しか生まなかった。
誰も望んでいなかった戦争。
ソ連の指導部ですら望んではいなかった。
だが、冷戦下での大国同士の綱引きの関係と一人の独裁者志向の男がいたために不幸の引き金は引かれた。
シルヴィアは大学に入ってからできた恋人と理不尽な別れ方をさせられたせいで家族に対する反発を強め、勝手に大学を辞め叔父の伝手を頼って軍の士官学校に入り直した。
士官学校を出てからは出世コースではないモスクワのリャザンにあるとある軍の学校へ入り訓練を受けた。
その学校はなにもかも秘密で、公式では女性の隊員は存在しないことになっていた。隊員の構成も特殊で兵士は曹長しかおらず士官はほとんどが尉官であった……。
……。
……。
コサック兵は大祖国戦争当時の流行歌にご機嫌である。
だが、イライラしたシルヴィアはにべもない。
「軍事作戦で時間にルーズなのは銃殺もの。それはロシア人でも変わりないはずだ」
「へーえ。さすがは将校さんだ。言うことが違うね。
でも、魔女を銃殺にしてもたぶん死なねえと思うよ。オレは。
それはそうと、アンタの方では準備ができたと言うが、どこにも軍隊らしきものがいないんだが。一体、これはどういうことだ?
もしかしてオレの時代より後では戦争はボードゲームか何かに変わっちまったのかい?
それに、頼んでたウオッカも持ってきてねえようだし。どうなってんだ?アン?」
「これ!勝手にそのケースを開けようとするな。
開けるなと言っている!」
「いいじゃねえか。ウオッカくらいケチケチするなやい」
コサック兵はシルヴィアの制止を聞かずにとうとう鈍色のケースを開けてしまった。
「いいか!その中の筒に絶対に触るな!それは究極の兵器!暴走させると取り返しのつかないことになる!」
シルヴィアはすでにギターを放り出しコサック兵に向かってデザート・イーグルを突き付けていた。目が真剣である。
コサック兵もシルヴィアの冷や汗をかいているさまを見て、中身がかなりヤバいものだと理解し、驚いた。
ふたを開けたケースを持ったまま中腰の姿勢で固まってしまった。
「いいか!ゆっくりとケースを地面に置きふたを閉じろ。変な衝撃を与えないように。ゆっくりと!」
「なんだい、こりゃ?
爆弾か何かかい?」
「そんなショボイものではない。
わたしの時代にあったアタッシュケース型核爆弾などそれに比べればおもちゃだよ。
それは自動の鉱物探査収集器だ。
ゆっくり慎重におろすんだ」
「はあ?」
「それが筒から飛び出すと、この世界のあらゆる物を侵食して増殖し兵器を形づくって抵抗する者をすべて攻撃し出す。
それの最終形態は最新型の戦車5000両。
正確に手順を踏まないと、オーダーしたわたしにすら攻撃を仕掛けてくる可能性がある」
昔から悪いことは重なる、と言う。
この場合のシルヴィアもその例に漏れなかったようだ。
その時、空からシルヴィアの頭めがけて太鼓がそれもナポレオン時代の古い鼓笛隊の太鼓が降ってきたのだ。
「ギャー。
お、おまえ。ケースを放り投げるな!」
「だって、仕方ねえだろう。こっちには金属製の鎧が降って来たんだぜ!」
コサック兵の言うとおりである。
空から、中世時代の鎧や剣、旗、馬具、古い銃剣付火打ち式銃、緑色の制服、熊の皮でできたリボンつきの軍帽、竜騎兵の槍、斬首用の斧などなどが数限りなく降ってきたのだ。
辺りかまわず降ってくるそれらを避けるため余裕はないシルヴィアの耳に呑気そうな声が聞こえてきた。
「あらら。大変なことになっちゃってるわねえ」
例の神殿が沈む湖が渦を巻き、中から箒に乗った黒衣の女が現れた。




