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赤いライオン6

 赤いライオン6


 シルヴィアがギターを習ったのは大学に入ってできた恋人からだった。


 当時は、ヴィソツキー(もと舞台俳優。先人に当たるブラート・オクジャワの吟遊詩人運動に参加しギターの弾き語りをした歌手)が大流行だった。


 恋人はブラート・オクジャワ(元兵士で詩人。200いくつもの自作の詩に曲をつけてギターの弾き語りをした。曲調はシャンソンとロシア民謡に似ているといわれている。詩の作風は完全にロシア・アバンギャルド。だが、マヤコフスキーとは違い、チクリと体制批判をするものが多い)の『アルバート通りの歌』を好んでつま弾いた。




 ♪ ……お前は僕の歓び

     お前は僕の悲しみ


     通りを行くのは

     特権のない人たち


     それぞれが仕事に向かう

     靴音が響く


     アルバート アルバートよ

     お前は僕の信仰



   ……お前を歩きつくすことなどできやしない



 シルヴィアは自然とこの曲を弾いてしまっていた。


 シルヴィアにとって彼とのことも苦い思い出だ。

 結局、平党員の息子である彼と付き合うメリットはないと家族に反対されて仲を引き裂かれた。


 大学に入ってから間もないシルヴィアはただの世間知らずの御嬢さんだった。


 街で急に店の前で行列ができるのを見ても何の事だか分らなかった。

 そんなシルヴィアに少し苦い笑いを浮かべながらも彼は丁寧に説明してくれた。


「あれはミートローフの缶詰が入荷した噂が流れたせいだな。

 思い出したように入荷するから、みんな欲しくても欲しくなくても並んで買っとくのさ」


 シルヴィアが見ると陳列台には何もなくガラーンとした店内で白衣を着た売り子の男が面白くなさそうな顔つきで突っ立っていた。

 店で買い物をするには、別のところで手帳を見せ書き込みをし金を払い券をもらわなければならない。それから木のように突っ立っている男のところへ行き、券を差し出し、男にため息をつかれてのろのろと商品を手渡してもらう……。


 ソ連時代では一般の風景だった。


 膨大な資金を投入したにもかかわらず、集団化のせいで農民にはやる気がなく生産量は上がらなかった。

 国威高揚のためにロケットや人工衛星、大陸弾道弾ミサイル(核を積んだ)は難なく開発するのに、一般市民の消費財には目を向けられなかった。

 そして、衛星国をつなぎとめておくには経済援助が不可欠だった。


 ツケはすべて一般の市民に回った。

 

 車のタイヤ。化繊のストッキング。家具。浴室のタイル。

 すべてが不足していた。

 アメリカのタバコやチューイング・ガムなどは完全な嗜好品だった。


 だが、それは非党員の一般市民に限ったお話し。


 シルヴィアの家族の属したノーメンクラツーラはコネが効いた。

 店に並びに行かなくても、店の人間が勝手に商品を横流ししてくれる。

 フランス製のネクタイでもフィンランド製の家具でもアメリカタバコでも自由に手に入れられた。

 自動車は国産車だったが、それでもタイヤは自由に手に入れられた。


 つまり、当時のソ連の社会では物凄く汚職が流行っていた。

 だが、不思議なことに誰もがみなそれを汚職だとは思わなかった。


 このときからわずか10数年でソ連は崩壊する……。



  ◆◇◆◇◆  ◆◇◆◇◆  ◆◇◆◇◆



「なんて暗い曲を弾くんだよ。これだからニュー・エイジは困るぜ。

 もっと、ほら。こころ浮き立つ曲があるだろう。

 おれの時代にはしこたまあったぜ」


 1910年代のコサック兵がシルヴィアにブーイングをかける。


 夢想を破られたシルヴィアは顔を顰めた。


 シルヴィアは赤いライオンのいる世界へと戻ってきていた。


 


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