脱線6つづき4
脱線6つづき4
わたしは通りの角を曲がろうとするエリエールの後ろ姿を見つけ、シガレットケースを取り出すのを止めて後をつける。
ブロンドの髪をなびかせ彼女は颯爽として歩く。
小顔で首が長く痩せていて長身。まさに9頭身。
細い腕を前後に振りながら同じく細く長い脚を見せびらかすようにして歩く。躍動するその姿はなぜだかわたしにデカい黒い牝馬を思い起こさせる。
彼女は通りを行きかう男たちの注目の的だ。誰もが手を止める。
スラリとして痩せた長身の身体つきの常識に反して大きな胸が前に突出しており、それが歩くたびに揺れる。揺れる。揺れる。
セックス・シンボル。
それが今現在の彼女の作られたイメージだ。
イメージを補強するため、わざわざ彼女は上半身にはコルセットもどき(薄く柔らかい素材でできている。もちろん胸を揺らすために。)を一枚だけ纏い、ピッタリとしたジーンズを穿いて足の長さを強調している。
とても中世ヨーロッパもどきの異世界に合った服装とは言えない。
それもそのはず。みんな、彼女がディオニッソスのところにあったDVDを見て決めたことだ。
勇気ある若者が彼女の絵姿(顔だけ右を向いた上半身裸の後ろ姿)のついた色紙を差し出しサインを求めた。
すると、彼女はかけていたサングラスをとりそのツルを噛みながら鼻にかかった声(もちろん舌足らずの口調で)を出す。
「いいわよぉ。ハンサム・ガイ君」
これでまた彼女は熱烈な信者を獲得した。
ちなみにこの色紙は神殿で売っている。彼女のセックスシンボルとしてのイメージが作り上げられる前は神殿では保守派の長老たちが頑張っていたが、イメージが出来上がるとともに信者数が急上昇して誰もなにも言わなくなったのだ(もっとも、子持ちの女性たちは一斉に棄教していたけれど。)。
彼女が歩くと通りの人波は割れ、男たちの視線は彼女の胸にくぎ付けとなり、若い娘たちは黄色い声を出して騒ぎ出す。子連れの女性は急に怒りっぽくなってわが子を力いっぱい引きずりだし、子供は驚き戸惑う。
いつものことだ。
彼女は注目の中、大通りにある高級婦人装飾品店へ入っていった。店員が出てきてファンたちが店に入ろうとするのを阻止する。
わたしには彼女に反感を持っている女たちの目が一瞬羨望に揺れたのが見えた。これであの店は大繁盛だろう。
わたしは店の裏へ行ってエリエールを捕まえた。
「話しがあるんだ。一緒に劇場まで来てくれ」
「なんで。休演中でしょ」
「奴隷に労働交渉権はないからさ。ほかの連中は休みでも練習はしている。やってないお前に稽古をつけてやろうという親心だ。ありがたく思え」
「……」
彼女は休みを利用して借金を返済すべく主に高級店の宣伝のためのさくらの副業をしていたのだ。
神殿は彼女が借金奴隷に落ちたことを知っていたが、神聖なイメージが崩れることを恐れて女神本人であることを否定し続けたうえ、最後には見捨てた。もちろん借金の肩代わりもしなかった。神殿が認めたのは彼女の人気が確立して信者数が爆発的に増えてからだ。
自業自得であり、わたしは同情はしない。
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
短くなったシガレットを振り回し、わたしは観客席から舞台に向かって怒声をあげる。
観客席にはわたし以外おらず、舞台の上にもエリエールしかいない。
エリエールはもう何回も最後の決めのポーズを遣り損なっていた。
エリエールは奥から舞台中央に向けてブロンドの髪を靡かせ肩を揺らせてストッキングを穿いた長い脚を交差するように歩んでくる。そして、立ち止まり右足だけ開いて腰を二回振る。それから、身体をくねらせながらステップを踏んで後ろへ下がる。顔は正面を向いたまま身体を右向けにし右手を思い切り開いて頭の後ろにそえ二回上半身を突き上げる。再び身体を正面に戻し仁王立ちして頭を左右に振りブロンドの長い髪を激しく揺らす。
前屈になって髪を床につける。頭を回し髪を振り回す。上半身を跳ね上げ、片腕を前に伸ばす。
ターンして、反動をつけて反り返り髪を背中へ流す。二回頭を振る。
そして、手を当てながら腰を二回ひねって首を右にねじて見返る。
女優として彼女はこの一連の振り付けを観客席の最後尾まで届く声で歌いながらリズムに乗り踊って披露しなければならない。
大変な難事業だ。
でも、これができなければ舞台の上に立ってはいけない。
わたしやシルヴィアなどは例の力でズルして往年の名女優たちの最高の状態を身につけた。
だが、エリエールにはマドンナの歌唱力とマリリン・モンローの演技力しか与えていない。わたしはマドンナのイメージを伝えたかったに過ぎないからエリエールにミュージカル女優としての働きを期待していなかった。舞台で派手な衣装を身にまとって歌ってくれればそれでよかったのだ。
しかし、彼女は違った。どうしても主役として舞台のスポットライトを浴びたがった。諦めさせるためオーディションをやり何度も落してやったが、彼女はそれでも諦めなかった。
端役からはじめ、公演の演目が変わるたびに大きな役を射止めていった。
あの頃は彼女は輝いていた。
もちろん、今は違う。生来の怠け癖がでたのか、それともイメージが確立して満足してしまったのか。ともかく大根だ。
マリリン・モンローはファイターだったのに残念だ(『ナイヤガラ』『7年目の浮気』などで人気を確立したモンローはそれで満足することなく俳優学校で演劇を一から学び直し、実際演劇で批評家たちの高評価をもらっている。ジョー・ディマジオと来日した際には時間があるからとわざわざ朝鮮戦争で戦っている米兵のところへ慰問に行き、極寒の中、薄い舞台衣装のまま歌のサービスまでした。彼女のショービジネスに賭ける意気込みは本物だったのだ。)。
わたしももう少しでエリエールを見直すところだったのに、本当に残念だ。
「田舎(白い空間)へ帰るか。エリエール」
「それはダメ。わたくしに帰るところはもうないの」
「そんなんで舞台に立つなんて出来ない相談だ。能力を授けていない以上大変だとは思うが、努力をしなくなったおまえが悪い。やる気のない奴は要らない」
わたしはもう一本シガレットに火をつけた。
「休憩しよう。わたしも本当は稽古をつけるために話しかけたわけではない。シルヴィアのことが聞きたい」
「へえっ?シルヴィアさん、労働者に権利について教えに走り回っているのじゃないのですか?」
「それは建前。シルヴィアのやつ、書置きを残してそれっきり。ヒュッ(わたしは片手で払うマネをする。)。わたしのところへは変な要求を書いた手紙が届けられてくるしな。
シルヴィアについて知っていることはなんでも教えてくれ」
エリエールがバカなのか演技しているのか本当のところはわたしにも分からない。動機の点だけからいえばコイツもあやしい。だが、わたしはあえて直球で勝負する。
「うーん。そうですわね。3日前だったかしら。店から宣伝を頼まれたバックを見せたら食いついてきたので、『貴女との仲だから安く買ってきてあげる。金貨57枚とわたくしへのお駄賃金貨3枚で』と言ったら、額をはたかれましたわ。わたくしのサインもつけると言ったのに」
そのバック、わたしも知っている。エリエールが誰かれなく見せびらかしていたからな。店で金貨43枚で売られていたものだ。はたかれて当然だよ。
「わたしはそんなことを聞いているんじゃない。シルヴィアを誘拐した奴の目星かそれを暗示させる何かはなかったかと聞いているんだよ。
わたしを嫌い恨んでいるおまえが一番怪しい。痛い目を見ないうちにさっさと白状した方が身のためだぞ」
「心外ですわ。わたくしがあんな暴力的なひとをどうこうできる訳ないでしょう。それに貴女やシルヴィアさんを恨んでいらっしゃる方ならゴマンといらっしゃいますから。貴女たち、日ごろの行いが随分ですのよ」
それについては自覚している。わたしの敵は実に多い。もと冒険者の転職者たちを保護したせいで古いギルドの商人や職人たちからひどく恨まれているのだ。すみわけをしたつもりでも微妙に商売の重なり合いがでてきて金持ちの顧客を根こそぎ奪ってしまったからな。
シルヴィアについていえば、彼女独自の思想を前面に押し出して行動しているから周囲との軋轢が大きいのだ。
だが、書置きと要求の内容がやつらの犯行ではないことを示している。第一、シルヴィアはこの世界でわたしに次いでの強者のはず。もと軍人でもとテロリストだし、そうそう後れを取ることはない。
だから事件が見えてこず、わたしは本当に困っているのだ。
書置きの「赤いライオンを狩ってくる」の意味も、「シルヴィアを返して欲しくば、愛銃をよこせ」という要求の真意もまったくわからない。
謎だ。
「おい。ドン・カルロ。
貴様のやっている行為はよその世界でしたら不法侵入とか営業妨害とか呼ばれるものだぞ。
決闘をするのに貴様ばかりが情報を握るのは不公平というものだ。聞き耳を立てるのはやめてこちらへ来てなにか話せ」
わたしはドン・カルロが奥の扉の陰に隠れて稽古の始まりからずっと聞き耳を立てていたのを知っていた。この世界でわたしに気配を覚られることなくすませられるものなどいない。
ドン・カルロは杖の音を響かせながら奥から姿を現した。
エリエールは知り合いらしく嫌な顔をする。
わたしはシガレットの煙を鼻から吐き出す。
それでも少しも美しさを損なわない彼女に嫉妬したのだ。




