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第二層6つづき5

 第二層6つづき5



 事件の後、平謝りに謝りとおすジャンヌを前にマリア・ストラータスとアンナ・モッフォは腕組みをして不機嫌そうな顔で仁王立ちをした。

 厨房の床にはジャンヌが暗殺者たちへの奇襲に使った冷凍の羊肉の塊が袋に入ったまま置かれていた。


 ジャンヌは裏口の鍵を閉めて暗殺者たちの侵入経路を限定したうえ奥のテーブルへ至る通路の陰で待ち伏せた。そして、彼女はやってきた暗殺者たちをやり過ごし最後尾の背後から冷凍肉の入った袋をフレイル代わりに振り回して初撃を入れたのだった。

 シネマからの情報で彼女も暗殺者たちの持っている銃の危険性については熟知していたが、勝算があった。銃は構えて狙いをつけ引き金を引かない限り何の脅威にもならない。相手にそれをするだけの間を与えずに殲滅すればよい。ジャンヌのフランスでの初期の戦い方はいかにしてイギリス軍の長弓部隊の展開前に白兵戦に持ち込むかの苦心に尽きた。ここでも同じことをすればよかったのである。中世のフランス兵は白兵戦のプロだ。常に先頭に立って戦っていたジャンヌも当然プロだった。

 フレイルもどきの初撃を受けてしまった暗殺者たちは、バットを小枝のように振り回すジャンヌに蹂躙されるほかなかった。


「で、あんたは何を謝ってるのさ」

 アンナはため息ひとつついてジャンヌに訊く。

「アンナさんやマリアさんたちを危険に晒してしまったことです。それと、お店にご迷惑をかけてしまったことです。(ギャングたちの機嫌を損ねたため)お店が潰れるかもしれません」

「バカ言ってんじゃないよ。これでもあたしたちはやるときはやるナポリの女だよ。見くびるんじゃないよ。あたしたちの働いているところで人殺しなんて許すほど臆病者でもないんだ。事情の説明もしないであたしたちを裏口から外へ追い出しといてさあ。あんた、いつからそんなに偉くなったのさ」

 アンナについでマリアも怒った口ぶりでつけくわえる。

「あたしたちが怒ってるのは、あんたが迷惑になるから店を辞めるとか生意気なことを言ってることとそこの冷凍肉をもったいないから(食材に使えるよう)戻そうとしたことについてだよ。

 人を殴った肉をお客様に出す?

 ここは場末の安食堂じゃないんだよ。そんなことできるわけないだろう。 たとえ一番下っ端とはいえあんたにも一流の店で働いている矜持をもってもらいたいもんだねえ」

「……すみません」


 ローマ法王によって聖人に叙せられたジャンヌもナポリ女の前では形無しであった。


 怒った顔を見せながらジャンヌの無事に安堵していたふたりのナポリ女はすでにジャンヌの身の保護についての算段をつけていた。



 話は変わるが、読者の方々は現代のニューヨーク市での最強の職業、タフな男たちの集まる職業とはなんだとお考えであろうか?


 それは警官でも、映画になった勇敢な消防士でもない。

 ニューヨークっ子に言わせれば、市の清掃局の職員だそうだ。

 警官に次ぐ殉職率を誇る。それでいて人々からあまり良い評価を受ない。彼らは大っぴらに仕事をすればまるで街中の人に迷惑がかかるかのように空気みたいに活動する。汚い、辛い、危険の三拍子そろった完全な縁の下の力持ち。彼らに興味を持つのはゴミ回収車のファンである子供たちくらいしかいない。

 しかし、市清掃局が活動を開始して以来、その職員にはその時代時代の肉体には恵まれているものの社会の底辺層で蠢くしか許されなかった者たちがなった。

 最初はアイルランドからの移民たち。次は東欧系ユダヤ人、ロシア人たち。現代では有色人種たち。黒人(アフリカ系アメリカ人)、プエルトリコ人、または彼らの混血。

 彼らに共通しているのは、極めて強靭な肉体をしているのに目立つことなく黙々と働くこと。


 だが、その先輩のひとりであるヤン・ポランスキーは普段とは異なり、目立つことなど気にも留めずにそのごつい身体を武器に同じ東欧系ユダヤ人の質屋をさんざん脅しつけていた。


「いいから(武器を)出しな。コルト・ガバメントなんて要らん。欲しいのはポーランドで俺が使っていたルガーとかいったやつだ。銃剣付のベルティエ小銃などがあればなおいい」

「戦争でもおっぱじめる気か。ヨーロッパの銃がこんなイーストサイドの質屋に置いてあるはずねえだろう。ライフル買いたけりゃ、通信で買えよ」

「あんな狩猟用の小口径なんて使えるか。白兵戦用にぶん殴ったりできないだろうが」

「ああ、なんてこと言いやがる。今日は厄日だ。無理難題言いやがって。

 それにしても、らしくねえぜ、ポランスキーさんよお。あんなフランスの小娘のために熱くなりやがって。ほんとにあの小娘を守りたけりゃあ、銃なんて振り回すより、マイヤー・ランスキーのところへ行って頭下げたらどうなんだ。アイツの言うことならルチアーノもうなずくはずだろうに」

「バカめ。それじゃあ、おれたちの負けになっちまうんだよ。いったん始めたら勝負がつくまでやり抜かなきゃならないんだ」


 ここにもジャンヌの身を案じて熱くなった人間がいた。

 マリアやポランスキーだけではない。ジャンヌにかかわったすべての人たちが手を差しのべはじめた。


  

 一方、ジョー・マッセリアがボスの地位をルチアーノの手によって引きずりおろされたことはすぐさま全米中のギャングたちの間に知れ渡った。

 と同時に、(ルチアーノたちは躍起となって隠ぺいしようとしたが、)襲った暗殺者たちがたったひとりの少女によって退けられジョー・マッセリアは命を全うしたことまでもが漏れてしまった。

 これは強面のギャングにとって街中を歩けなくなるほどの致命的なスキャンダルだった。ルチアーノの仲間たちもルチアーノ自身も大いに株を下げてしまった。


 だが、賢明なルチアーノはいきり立つ仲間に言い聞かせる。

「絶対に彼女(ジャンヌ)に手を触れるな。汚れ役は俺たち以外にさせるんだ」

 ルチアーノは情報を集めてジャンヌがマンハッタンのセントラル・パークより南側一帯のカソリック教徒の支持を受けていることを知っていた。

「彼女に手を出せば、いや、その素振りを見せるだけで、イースト・サイドばかりかブルックリンのイタリア系やアイルランド系のすべてを敵に回してしまうことになる。そうなると、普段賄賂を渡している政治家どもも黙っちゃいない。必然的に俺たちが袋叩きにあっちまう。だから俺たちは何もしない。むろん彼女へのお仕置きは必要だ。俺たち以外にお仕置きをさせてついでに袋叩きにも遭ってもらうんだよ」



 ルチアーノはすでに代理の犠牲者の選定を済ませていた。

 



 ◆◇◆◇◆   ◆◇◆◇◆



「お嬢様はなぜわたしたちを助けてくださるんですかな」

 マランツァーノがカプチーノのカップを置いてわたしに話しかける。


 彼とわたしの基本的な関係は互いの仕事が重なり合わない限り不干渉というやつだった。

 つまり、ノー・ビジネス。利益を損なわない限り相手が何をしていようが構わない。実にドライな関係だった。

 彼は故国(シチリア)の因習でわたしに向かって敬意を払う。しかし、それはあくまでも形だけのもの。組織の仕事でわたしが障害になるなら彼は躊躇なく牙を剥いて襲いかかってくる。そして、それから先は狼同士の殺し合いとなる……。

 今の彼との平穏な関係は極めてもろい均衡の上に成り立っている凪の状態にすぎない。


 わたしも彼もその均衡がいま崩れ落ちようとしているのを認識している。


 ジャンヌがはでに活動したせいでわたしとマランツァーノとは仕事上の重なり合いが出来てしまった。

 実は、わたしはすでにジャンヌに一度会いに行っている。そのとき、ジャンヌにメダルを渡せば課題の終了となり、この世界から立ち去ることもできた。 だが、わたしはそれをしなかった。シルヴィアもそれを望まなかった。

 だって、そうだろう。どこへ行っても信念を曲げないという人間の小気味のいい生き様が生で見れるんだ。誰だって見たいと思うじゃないか。


 わたしはマランツアーノに答える。

「そんなこと、当然ではありませんか」

「好意。ですかな?」

「ご冗談を。マランツアーノさんが生き残ってくれた方が、わたしたちにとっては大変都合がいい。それだけです」


 マランツァーノはため息を漏らした。


 彼は何を期待しているのだろう?

 労りとか同情とかであろうか。

 いいや。彼も本物のマフィオーゾであるならばそれらを受ける資格を持たないことをよく知っているはずだ。それらを受けることができるのは一般の人々だけの特権。普通の人たちにまつわりついて生き血をすすってしか生きていけない裏の人間が決して求めてはいけないものだ。

 では、狼同士の傷の舐め合いか?

 世知辛い世界でお互い辛いですね。今は握手をしてますが、場合によっては左手のナイフで刺すかもしれません。そのときは恨みっこなしにしましょうね、とか?

 それもありえない。裏の世界の住人にスポーツマン・シップなどありえるものではない。

 彼もお互いで世の中の害獣であることに目をそらし、少しはましな存在であると欺瞞し合っても虚しさが残るだけということはよく分かっているはず。


「わたしには分かりませんなあ。お嬢様」

 マランツァーノが再びカップのカプチーノをすする。

「お嬢様の目的はジャンヌとかいう少女の身柄の保護。連れてヨーロッパなりへ行けばいいではないですか。少女を危険な目に遭わせる必要などどこにもないはず。ましてお嬢様自身があの危険な獣の退治などする必要もない」

「それこそノー・ビジネスですよ。マランツァーノさん。それにあなたではルチアーノに勝てない。ルチアーノが生き残れば、ジャンヌの障害となる。だから、わたくしはあの男に消えてもらおうと決めたのです」

 わたしはマランツァーノの目を見る。

「正直に申し上げれば、わたくしはマフィアが嫌い。憎んでいるといってもいいですわね。でも、ともすれば受け入れてしまいそうになる部分がわたくし自身の中にどうしても出てくる。完全には拒絶しきれない。憎み切れない。払っても払ってもどこまでも纏わりついてくる。本当に鬱陶しい存在。

 でも、今回の件にはそのことは関係ございませんわ。ルチアーノを選ばずにマランツァーノさんを選んだのは、その方がわたくしのビジネスにとって都合がいい。ただそれだけ」

「マフィオーゾのわたしが彼女に目こぼしでもすると?」

「幼いころからマフィオーゾの知り合いに囲まれたわたくしが知らないとでも?

 尊敬すべき男は堅気の女子供に手を振り上げるようなことはしない。しかもジャンヌはカソリックの篤信者。シチリア人には彼女をどうこうすることなどできはしない」

 

 マランツァーノはお手上げとばかり肩をすくめてみせた。


「お嬢様。差し出がましいことですが、かつて神父を目指した男から最後にひとつだけアドバイスを差し上げましょう。

 悩むことはございません。

 狼はたとえ一匹狼となってしばらく荒野を駆け廻っても、最後には群れに戻らざるを得ません。途中で死なないかぎりはね。

 血は血です。否定しさることはできません。時期が来れば自然と受け入れることができるものですよ」


 わたしは右の人差し指と中指をこすり合わせて合図をし、横に控えているナカムラ少年に金のシガレットケースを開けさせた。

 こちらの世界に来るようになってからどうも煙草を吸う量が増えてしまったようだ。


「先ほど、あなたがルチアーノに負けると申しましたが、それは決してあなたの実力を軽んじたものではありません。

 マフィアの強みは決して外部に秘密が漏れないこと。

 ですが、ギャングとはいえルチアーノは同じシチリア人。しかもマランツァーノさん自身が一度接触を持ってしまった」

「わたしは用心深いですよ。それに手はすでに打ってある」

「ええ。でも、殺し合いの時期についての選択権はあちらが持っている。

 あなたは裏の世界のボスの中のボスという地位を欲している。ルチアーノは全米中のギャングにコネがあり、マランツァーノさんがボスの中のボスを宣言する場の設定をする能力がある。つまり、マランツァーノさんがルチアーノを攻撃できるのはその宣言が終わってからでしかない。それに対して、ルチアーノは自分のもっとも都合のいい時期に攻撃を仕掛けられる。この差は大きですわよね。

 マランツアーノさんもお気づきのように、ルチアーノは裏切る最高の状態が仕上がってからこちらへ交渉をしてくるはず」

「その通りです。お嬢様。先日、ジャンヌという少女の暗殺を交換条件として交渉の申し込みをしてきましたよ。わたしに汚れ役を押し付けて引き摺り下ろそうという魂胆ですな」

 


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