第二層6つづき4
第二層6つづき4
ジャンヌはもう自動車や地下鉄に驚かなくなった。この3か月の間に1931年のアメリカの生活について大いに学んだのだ。
もっとも、世界最大規模のグランド・セントラル駅の雑踏には少しも慣れることはできなかったが(人込みを見ると気分が悪くなった)。
文字が読めなかった点については教区の神父さまとボランティアで親しくなった修道女たち、それとポランスキーから教わり、店の看板や新聞の漫画くらいまでは読めるように改善された。
だが、ジャンヌを最大限に事情通にしたのは活字ではなくシネマだった。 シネマの力は偉大だった。
その視覚からの情報は彼女にアメリカがどういう社会であるかをあっという間に知らしめた(前振りに流されるニュース映画からはヨーロッパで再び戦火が上がるであろうことも彼女には感じ取られた)。
とても豊かな国。雑多な人と文化が交じり合い、とても可能性を秘めた国。彼女はアメリカをそう理解した。
でも、一皮むけば社会の底辺で呻吟するひとたちがいる。これはどの時代のどの国でも変わりないのね。
ポランスキーに奢ってもらい子供たちと最前列で首を痛めながら観た彼女はチャップリンの映画(「街の灯」は1931年1月公開)に大いに笑い、そして泣いた。
彼女にはチャップリンの映画で言いたいことがよく理解できた。それは彼女がフランスで思っていたことでもあった。
彼女はフランスでもそうであったように人々から援助を得て暮らしている。もっとも、そのパトロンにはヨランダやアラソン公のような権力者はおらず、レストランの下働きや市清掃局の職員などしかいない。大きな力を与えらることはないが、ああしろこうしろという催促もなく彼女は自由だった。
ポランスキーとであった日から彼女は教区の教会へ熱心に通い、神さまに祈り続けている。
が、依然として彼女には神さまの声は聞こえてこない。
けれども、1931年のアメリカで何をすべきかについてそろそろ掴みかけているように彼女は感じていた。なにも社会変革を目指して政治活動をしようというのではない。普通に働きながら周りの人たちと互助的ななにかができるのではないかと考えていた。
自分には神さまからどんな言語でも理解し話せる能力が与えられている。自分には孤独で貧しいさまざまな移民たちの話に耳を傾けることができる。人と心を通わせることは非常に面倒ではあるけれど楽しいことでもある。話を聞いた自分の方が救われた気分になることもままある。
いつこの世界から自分が消えて無くなるかは判らないが、その時まで続けていこうと彼女は秘かに決意していた。
ジャンヌは今日(4月15日)の昼遅くに来店した特別なお客様の運転手たちに軽食と飲み物を出すようにオーナーから言いつかった。それで、サンドイッチやら腸詰やらとコーヒーの入ったポットを店の前に車を止めて談笑している運転手たちのところへ持って行った。
優れた軍人であったジャンヌはここでいくつかの重要な事実を見てとり、これから起こるであろう出来事を推測した。
一見和やかに談笑しているようにも見えるが、運転手たちの目はキョトキョトと話に集中しておらず話自体も言葉少なだった。
男たちの様子はジャンヌにとってはなじみのものだ。
これは作戦開始前の待機している兵士の顔つきだ。
男たちは明らかに何かが起こるのを知っている。だが、手を白くなるまで握りしめている様子はない。待機の緊張の度合いがまるで違う。これから起こることに直接自分たちが参加することを予定するものではない。
アンナが語った今日のお客はギャングの親玉らしいという言葉とジャンヌの観察した運転手たちの様子が結びつく。
これから起こることは明らかだ。部下たちの裏切りとその主人の暗殺(たぶんお客様のうちで太った中年の方が暗殺されるはず)。
中世では暗殺は珍しいことではない。ジャンヌには比較的簡単に分かった。
これらのことを瞬時に見破ったジャンヌは厨房へ帰りしなにフランスでしたように俯いて何度も何度も考え、これからの自分の行動を決めた。
……
……
「あなた。お逃げなさい。といっても部下の人たちのいるところへ行ってはダメよ。裏切られているから。
裏口を抜けてから北へ8ブロック行ったところに聖フランシスコ教会があるわ。そこで匿ってもらいなさい。スペンサー神父かベネディクト司祭にジャンヌに教えられたと言うがいいわ。
そこまで徒歩で行くのよ。決して自分の自動車に乗って行こうと思っちゃダメ。完全に周りは見張られているわ」
げっぷをしながら食後酒とカードを楽しんでいたジョー・マッセリアは、血の付いたバットを右手に握り絞めながら早口で予想外のことを口にする栗毛の少女に驚いた。度肝を抜かれたといっていい。
だが、それは一瞬のことだった。殺し屋あがりで何度も死線を潜り抜けてきたこの男は行動が早かった。すぐさまその太った身体を椅子から起こすと、ジャンヌについて店の裏口へと急ぐ。
が、途中で止められてしまう。
「おやおや。暗殺は失敗か。せっかく最高の見せ場を提供したんだが、無駄に終わった?(なぜ自分だけ助かったのかを)警官に問い詰められたら、自分はトイレがすごく長いんだとの言い訳まで考えていたんだが」
ジャンヌたちは席を外していたルチアーノと鉢合わせになった。
「てめえ。裏切りやがったな、ルチアーノ。恩知らずめが」
「恩?確かに可愛がってもらったな。年間で何百万ドルもの上納つきでだがね。
まあ金のことはどうでもいい。こっちも十分稼いだから。
要はおれたち若手はあんたのすぐに暴力で解決しようとするやり方についていけなくなったんだよ。おれたちの前にはとてつもなくデカいパイがある。賭博でも売春でも密造酒でも大いに稼げる。でも、稼げるのは政治家どもに利益の分け前をくれてやり話をつけて官憲の目こぼしがあるからだ。
あんたはそんなことは無視して、昔ながらに窃盗団やごろつきどもから金を巻き上るように暴力をちらつかせて派手にパイを独り占めにしようとする。そんなに派手にされてはいくら賄賂を贈ろうが目こぼしもされなくなる。 あんたのやり方はこのビジネスには向かない。みんなの邪魔にしかならない。
だから、あんたに消えてもらうことにした。
でも、憎くてあんたを消そうというんじゃない。可愛がってもらった恩もあるし。
あんたは食うことが好きだ。だから最後にご馳走を楽しんでもらってから昔ながらのギャング・スターとしての幕引きをしてやろうとしたんだが」
ルチアーノが冷たい目でジャンヌを見やりながら付け加える。
「どっかの勇ましい御嬢さんの横やりでせっかくのお膳立てがパーになったようだが。でも、ジョー・マッセリアさん。食い逃げは効かねえよ。どこへ隠れようともニューヨークはおろか全米中のギャングがお前さんを付け狙うだろうよ。ここで死んだ方が幸せだぜ」
「ふん。そうしてお前は俺の暗殺を手土産にマランツァーノのところへ鞍替えし、奴を安心させておいてまた裏切るつもりか。
おい。若造。最後に忠告しておいてやろう。シチリアのマフィオーゾはそんなに甘くはねえぞ」
「忠告、肝に銘じておくよ。それよりここで自殺するかね?それとも自宅でかつての部下たちになぶり殺しにされるかね?」
ルチアーノが勝ち誇ったようにニヤリと笑う。
ルチアーノの下剋上が完璧すぎてジョー・マッセリアも諦めがついたようだ。身体から生きる力のようなものが抜け顔の頬がたるんで見える。
「ああ。ここにしとくか。分かっていると思うが、この勇ましいお嬢ちゃんにちょっかいかけるのはやめてくれ。事情を知らない堅気の人間なんだからな。どうやって暗殺を止めたのかはわからないけどな」
「おれもそのつもりだ。お嬢ちゃん。今日あった出来事はきれいさっぱりと忘れるんだ。こっちもあんたのしたことは忘れるからさあ」
ジャンヌはふたりの勝手なやりとりに切れた。
「なにを勝手に決めているの。あなたにはまだまだしなきゃいけないことが残っているはずよ。神さまに恥ずかしくないの?(勝手にあきらめることを)神さまは決してお許しにはならないはずよ」
ジャンヌがジョー・マッセリアを睨みつけた。このセリフは彼女がフランスで傭兵たちに向かって何度も言ったものだった。
「ギャング・スターとしてはもう詰んでんだ。おれにも矜持はある。最後はきれいに逝かせてくれ」
これはジャンヌにとって聞き飽きたセリフだった。
男というのはどうしてどいつもこいつも死ねば終わりと考えているのだろうか。
そんなセリフ、神さまを本当に信じていたら悔い改めもせずに言えるものではない。悔い改めれば出てくるセリフでもない。
「いいえ。悔い改めるまでわたしがあなたを逝かせはしない。死にたくば神さまの前に立っても恥ずかしくないようになりなさい!」
史実では1931年4月15日、ジョー・マッセリアはコニーアイランドにあるレストラン「ヌォヴァ・ヴィラ・タマッロ」での昼食後、トイレに立ったルチアーノと入れ替わりに店内に入ってきた4人の男たちから20数発の弾丸を浴びせかけられ、死ぬ。
その手にはスペードのエースが握りしめられていたという。
前年の10月ごろにマランツァーノの手によりジョー・マッセリア側の幹部8名が消されており、数の上ではまだ優位だったが、ルチアーノに見切りをつけられたのである。
若いルチアーノたちの犯罪シンジケートを打ち立てるという野望の、最初の大物の犠牲者であった。




