第二層6
第二層6
「リカルドをユダ公の質屋なんぞに行かせられるか。宝飾店にしたっていま時分開いているのはマンハッタンの繁華街だけだ。あんなクソみたいなやつらがわんさかいるところへ行かせられるかよ。
それに、この金塊、どう考えたっておかしいじゃねえか。刻印がどこにも無え。インゴットというのはよう。(金本位制が採られている以上)国の中央銀行か政府の管理下に置かれてるもんだ。刻印が無いということは国の管理下から外れた、つまり存在しちゃなんねえ金塊ということだ」
食堂のオヤジが普通知ってそうにないことをベラベラとしゃべる。
「おまえらが素直に税関を通ってきてたら金塊は取り上げられていたはずだ。それがここにあるっていうことは、この金塊は立派な密輸品ということだ。こんなあぶねえもん、換金して来いだと。ふざけるんじゃねえ」
耳が痛くなるような大声である。
だが、続くと思われたオヤジの罵声が急に止んだ。
マランツァーノが手を挙げて口を出すのを止めさせたからだ。
「ご婦人方は丁寧に扱え。常にだ」
マランツァーノの重く低い声がオヤジに立場をわきまえさせる。オヤジも実はマランツァーノの身内であり、部下のマフィオーゾだった。
「失礼しましたな。ご婦人方。不作法者でひらにご容赦を賜りたい」
穏やかな声に戻ったマランツァーノは紳士然としてマリアカリアたちに謝った。
しかし、マランツァーノも内心では混乱していた。
マリアカリアたちが何者なのか掴みかねていたからだ。
粗く荒んだ言動をとったり常識はずれな行動をしたりする反面、テーブル・マナーは完璧で彼が以前会食したシチリアの司教なんてマリアカリアに比べればどこかの不作法な田舎者に見えてしまう。
表に置かれている富の象徴は一体何だ。
そのくせ安食堂の料金も払えない。この分だとリカルドへのチップすら持ち合わせていないようにもみえる。
謎だ。
マランツァーノはかろうじてこういった手合いを知っていた。
マリアカリアのように奔放で世間の常識から外れ、金銭についてあまり執着せず勝手気ままに生きている連中。
それは貴族だ。
それもまじめなイギリス貴族やドイツのユンカーなどではない。人生を退屈なまま腐りつつ過ごす本国の貴族だ。快楽主義者で耽美的な、教会の教えとは真逆な生活を送る放蕩者たち。世間に対する反逆者たちだ。
モンテカルロやニースの賭博場で意味もなく散財し、別荘には独自の性的満足を得るための秘密の部屋を設えているような唾棄すべき存在。
イタリアが第一次世界大戦に参加したとき、士気の上がらないイタリア軍のため募兵活動に従事していた×××侯爵夫人をマランツァーノは教会を通じて知っていた。
彼女は募兵活動をそっちのけにして聖職者たちを驚かせることに血道をあげていた。
マリアカリアの行動は人を驚かせることに関しては件の侯爵夫人のそれとそっくりだった。
だが、それだけでは解せない。
マリアカリアたちはタランツォ(店のオヤジ)の罵声もマランツァーノのひと睨みもどこ吹く風と涼しい顔なのだ。
一般の人間(貴族も含めて)ならそれなりの反応をみせるはずだが、それもない。
堅気ではない?
しかし、それもおかしい。
マフィアと関係を持つ本土の貴族もいるが、それは互いに利用し合う関係であって決して同化し合うものではない。しかも、マランツァーノは先ほどから言語を変えてマリアカリアと問答をしているが(マランツァーノはラテン語のほか5カ国語に精通した教養人であった。)、どれについても完璧な発音でごく当たり前に対応してくる。試されていることが見え見えなのにマリアカリアは平然としている(マリアカリアにはファンタジー名物の自動翻訳機能がついているのでマランツァーノの完全な誤解である。マリアカリアはマランツァーノから評価されるほどの教養も知性もない)。
一体何者なのだ?
好奇心を押さえられなくなったマランツァーノは遂に質問してしまう。
「あなた方は一体何者なのですか?」
「えらく哲学的なご質問をなさるのですね。本物の名誉ある男の方は。名乗りも挙げずに」
マランツァーノは愕然とする。なぜ自分がマフィオーゾであることがばれているのだ。市民の中に影のように溶け込むマフィオーゾの正体がばれることなどあり得ない。
彼女たちはジョー・マッセリアからの刺客か?いや。それもあり得ない。刺客なら何度でも自分を殺す機会があった。現に金塊をとりだした彼女のバックには確かに自動拳銃が忍ばせてあった。取り出して引き金を引けば済んだはずだ。でも、彼女はそれをしなかった。
マランツァーノが混乱していると、マリアカリアはさらに追い打ちをかけた。
「あら。わたくしに(マランツァーノがマフィオーゾだということが)分からないとでもお思いになったのですか。これでもわたくしには幼き頃からあなたのような方々と親交がございましてよ。わたくしには(マフィアに属する人間が)匂いでわかります」
マランツァーノはこの一言に戦慄した。
彼は思い出した。
故郷のシチリアには数少ないが本土から土着した貴族がいた。彼らは本土の貴族と違い本当にマフィアと親交があった。もともとマフィアのドンには領地管理人が多い。マフィアのドンが世代交代して新たにファミリイを立てる時、箔づけのため土着した貴族のところへ行って名前をもらうのである。形だけだか主従関係を結ぶ。日本で云えば平安時代末期の藤原貴族と地方の武士とのような関係だ。
マランツァーノはアメリカでこそ大きな顔ができるが、故郷シチリアではヴィト・カッショ・フェッロの命ずるままに動く駒にすぎない。主筋からみれば、マランツァーノは2つも3つも格が下がるのである。
何度も言うようだがマフィアは体面を重んじる。マランツァーノの誤解通りであるとすると、名乗りもせず謙ることもせずに彼がマリアカリアに対応したことは大変失礼なことであり、殺されても文句は言えない。
「大変、失礼いたしました。お嬢様。
わっちはサルヴァトーレ・マランツァーノと申しやす。パレルモはドン・ヴィト・カッショ・フェロッラの家に属するケチな野郎でございやす。
お見それ申したとはいえ、今までの非礼、汗顔の至りでやす。
ケチな野郎の命など何の足しにもなりはしませんが、わっちの命で非礼の段、どうかご寛恕なさってはいただけないでしょうか?」
マランツァーノはマリアカリアをシチリアに土着した貴族の令嬢と勘違いをし故郷のシチリアの方言で赦しを乞う。
この際、古臭いマフィオーゾであるマランツァーノにとってマリアカリアがシチリアのドン・コルレオーネと関係を持つ貴族令嬢だろうと、敵対するレカニア一家と関係を持つ貴族令嬢であろうと関係はなかった。格下の者は格上の者に敬意をもたなければならないのである。そうしないと、古いマフィアという秘密結社は存続しえない。あくまでマランツァーノの慣れ親しんだ世界だけだが、下剋上はご法度なのである。
幸いなことにマリアカリアはマランツァーノの誤解に対応するすべを知っていた。
昔の王族や貴族のように自分の手や指を相手に与えてキスすることを許すのである。
一種の服従の証明でもあるが、赦しも意味した。
「ご高配、感謝いたします」
マランツァーノは膝を折りマリアカリアの右の中指にはまった指輪の宝石にキスをした。
「ああ。申し遅れましたわね。わたくしはマリアカリア・ボスコーノ。よろしくね」
そんなシチリアに土着した貴族はいないが、マランツァーノは理由あっての偽名であると善解した。
たぶん、お忍びの旅なのであろうと。
そんなわけで3カ月も前に現れたジャンヌ・ダルクが都会で生き延びるために大変な苦労をしているにもかかわらず、マリアカリアたちは凶悪なマフィアをだまくらかしてわずか一日でマフィアの客分という身分をやすやすと手に入れた。
これは、日頃の行いなど、人間の運命には微々たる影響も与えないという証明なのだろうか。
悲しすぎる話である。




