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第二層5

 第二層5


 気付いてみると、われわれは港近くの閑静な住宅街にいた。時刻は夕方近く。肌寒さからして春になったばかりというところだろうか。

 飛ばされた場所が銃弾飛び交う中だとか海上のボートの上だとかではなくて一応は安心した。一応は。

 が、問題はわれわれの姿だった。

 今回、李鉄拐はわれわれの服装について精密な時代考証を放棄したみたいだった。


「なんだ?その格好は。何かの制服か?」


 わたしはむき出しの両腕をこすっているシルヴィアへ声をかけた。

 彼女は半袖の白いブラウスに赤いスカーフを巻き頑丈な丈の短いスカートを穿いていた。おまけに紺色のハイ・ソックスだった。


 わたしも子供の頃、少年行動団に入っていたから分かる。これはその手の制服だ。しかし、シルヴィアを弄れる貴重な機会だ。とぼけて大いに利用させてもらうことにした。


「……こ、これは」

「これは?」

「党に忠実な闘士の証しだ。つまり制服だ」

「ふーん。だが、少し子供っぽくないか。それに半袖だ。寒くないのか?」

「くっ」


 シルヴィアは顔を真っ赤にしている。そりゃ屈辱だろう。いい年をした180センチを超える女が10代前半の子供服を着せられているのだからな。


「それはピヨネール(子供を共産党に忠実な党員にするためにボーイスカウトを模して拵えた子供だけの団体。だいたい10歳から15歳までの子供が入っていた。入団の条件はレーニンを信奉する誓いをみんなの前で立てること。コムソモールの指導を受けた)の制服ですよ。大尉殿」


 口ごもっているシルヴィアの代わりにナカムラ少年が答えた。


 思っていた通りだ。

 だが、新たな疑問も湧く。なぜシルヴィアだけがピヨネールの制服なのだろうか?


 ナカムラ少年は赤と黒の格子の毛織のジャケットとグレイのハンチング(帽子)姿だった。

 わたしは左だけに肩掛けのある深緑のチャコールグレイで縁取られたイブニング・ドレスを着て、肩からはミンクを編み込んだ黒の長いストールを垂らしていた。おまけに首元には大粒のダイヤのネックレスが光っている。

 手にはもちろん黒革の長手袋をはめていた。

 わたしはこの格好に覚えがある。

 休暇で故郷の領地へ帰った時、近隣の地主に夜のパーティに呼ばれて着て行ったものだ。

 ご丁寧に黒のビーズをあしらった夜会用のバックにはかつての愛銃だったブローニング・ハイパワーが入っていた。


 周りに人気がなく比較しようがないから判らないが、わたしとナカムラ少年の姿は取り立てて目立つものでないことは想像がつく。しかし、シルヴィアの姿はどう考えてもおかしいだろう。なぜなんだろう。


「まあよくわからんが、悪目立ちするのはよくない。シルヴィアの格好を何とかしよう。(シルヴィアは)それまでどこかに隠れてくれ」

「隠れるといってもどこへ?」

「適当だ。早くしろ。80メートル先から角を曲がってこちらへ来ようとしている連中がいる」


「あのう。よかったらわたしの中に入りません?」

 横に止まっていた白いセダンからエリザベス伍長の声がした。


 だいたい予想していたけれどな。いまさら驚くものか。



 こちらへやって来たのは二人の不良少年だった。貧民ではない。この街(中流階層で構成された)のグレて少々意気がっている少年たちだ。学校を引けてからグループの縄張りの巡回でもしているのだろう。

 焦げ茶色のツイードのジャケットを着た奴がナカムラ少年に話しかける。少したれ目の癖に目の下に隈を作っており目が冷たくとても生意気そうなガキだ。

 わたしはこういう手合いを捌かせるためにナカムラ少年だけは車(エリザベス伍長)の外で立たせておいたのだ。


「おまえ、見かけねえ顔だな。どこのもんだ?え?ここでイチビってると俺たちがヤキ入れるぞ。こらあ」

 これは犬の散歩と同じなのだ。不良は見かけたことの無い奴には一応威嚇しながら値踏みをして尻尾を振るか吠えたてるか態度を決める。


「それにしてもスゲー車だな。グレートだぜ」

 もう片方(グレイの厚手のジャケットを着ていた)はそのびっくりしたような青い目をさらに見開いてエリザベス伍長の車を眺めた。こっちはよそ者よりも車の方に大いに関心があるらしい。まあ子供だからな。


「エッヘン。どうですか。とてもカッコいいでしょう」


 グレイのジャケットのガキの不用意な発言がうちのメカ・マニアの琴線に触れたようだ。

 やれやれ、さっそくひと仕事か。(こちらの)都合の悪いことを見聞きした連中は始末しないとな。


 わたしはエリザベス伍長の車から降りた。


「き、君ら。何もなかったことにしてすぐ立ち去れ。でないと、とても不幸なことになるぞ」

 ナカムラ少年が情けない悲鳴を上げる。


「なに言ってんだ、おまえ。こっちはおまえがどこのもんかを聞いてんだよ。さっさと答えろよ」


「いま車がしゃべった」

 グレーのジャケットを着たガキが真剣にエリザベス伍長の車を見つめながら呟いている。

 君は妖精さんの存在を大きくなっても信じるタイプなんだね。お姉さん、君の将来が大変心配だから今ここで手当てをしてあげるね。


「アルも馬鹿なこと言ってんじゃねえ。自動車がしゃべるか。こいつが腹話術かなんか使ったんだ」

 君は常識派だな。しかし、少し騒がしい。


「君たち。苛立っているところ申し訳ないが、お姉さんと少し話そう」


 ガシュッ


 わたしは焦げ茶のツイードのガキを右のストレートで吹っ飛ばした。

 問答は無用だ。こういうのは肉体言語の方が即効性があるのだ。


「ひどい」

 怯えたナカムラ少年が呟く。


 ナカムラ少年よ。おまえはひとを非難する前に自分の不甲斐なさを反省しろよ。何のために車の外で立たされていたんだ。


 わたしは残るグレーのジャケットに向ってやさしく語りかける。

「君。車がしゃべるなんて人前で言ったら頭のおかしな人と間違えられちゃうよ。今後、そんなことを言ったらダメだよ。分かった?」

 わたしは右の人差指を一本立ててグレーのジャケットに警告する。

「(もう片方が殴られて気を失ったことも含めていま起こったことはすべて)忘れろ!」


 グレーのジャケットはガクガクと頷いた。よし。


「ところでだ。この辺りで一番美味いパスタ料理を食べさせる店はどこだ?

 わたしは気が短いんだ。すぐ答えろ」



 ◇◆◇◆◇  ◇◆◇◆◇



 3ブロック走ったところにその店はあった。小さな食堂だ。

 外から覗くと、細長いカウンターに窓ぎわに赤と白の格子模様のテーブルクロスのかかった卓が3つ。


 ドアの前に立つと、汚れた白いお仕着せを着た栗毛の少年が飲んでいたカプチーノを置いてあわててドアを開けた。

 給仕らしいその少年は口を半開きにして驚いている。何故だかはわからん。


「3人だ。で、どこへ座ればいいんだ?」

 わたしは驚いている給仕をせかした。

 すまないな。食事時にテキパキと進まないとわたしは機嫌が悪くなる性分なんだ。


「あ。ああ、すんません。ど、どうぞこちらへ」


 われわれは外からは見えなかった、衝立でさえぎられた奥のテーブルへと案内された。

 が、すぐに横やりが入る。


「リカルド。そこは不味いぜ(マランツァーノさんの席だ)。急にあの方がやって来られて(席が)塞がってたらどう思われるんだ?」


 店のオヤジだろう。髭の剃りあとの目立つ、黒髪のゴツイ中年男が腰にぶら提げた汚れたエプロンで手を拭きながら出てきた。

 上半身は白い丸首シャツのままだ。もちろん、な。


「うちはヤンキー(白人のプロテスタント。マフィアに近いイタリア系移民にとっては、アメリカは本国ではなく外国でしかない)でもライミー(イギリス人。ダーシー・ハメットの小説にも出てくるようにこの当時、金持ちで羽振りのよい連中は好んでイギリス人執事を雇っていた)でも歓迎するが(ユダヤ人はダメだが)、その席だけは座ってもらっては困るんだ。

 窓際に座ってくれ。ご婦人さん方よ」

「構わない。わたしは評判の美味いパスタ料理が食べられればそれで満足だ。 最近日本料理ばかり食べててな。久しぶりに故郷(メラリア王国)の料理が食べたいんだ。

 (日本料理では)魚料理はいけたが、あの主食のライスだけは苦手だ。口の中がもちゃもちゃして気持ちが悪い」

「へえー。ご婦人さん方は本国(イタリア)の人かね。旅行中とは結構な身分さね。

 いや、そっちのご婦人(シルヴィア)はロシア人だろう?目の色が薄いし、唇がへんに白っぽい。

 だが、まあいいぜ。席さえ変わってくれりゃあな。それに、評判を聞いて食べに来てくれたんだからな」


 オヤジは肩をすくめてみせた。


 ちなみに、シルヴィアはもうピヨネール姿ではない。今回はエリザベス伍長の能力が使えるので、彼女は今は左のわきにしぼりの入った薄い藤色の光沢のあるイブニング・ドレスを着ている。

 ドレスは制服をエリザベス伍長の車のトランクに放り込むと出てきた。


 エニシング・ゴー。なんでもありだ。わたしはもう驚かない。


「で、何食べるんだ?(まだ夕飯時前だから)手がすいている。凝った奴を作ってやれるぜ」

「なんでもローマ風が得意らしいじゃないか。それをコースで頼む。一皿目はパスタにしてくれ」

「あいよ」

「それから、食前酒にはさっぱりとした辛口の(ワイン)をもらおう」


 とたん、オヤジの動きが止まる。


「いや。それは出せない」

「なぜだ。(白ワインを)切らしているのか?」

「そうじゃない。うちはまっとうな店なんだ」

「うん?

 意味が判らん」

「日本料理がどうとか言ってたが、あんたたち、船旅のしすぎでボケたのか?ここはイタリア人の集まった地域だけど、アメリカだぜ。身内でもないのに出せるか」


 わたしは横からナカムラ少年に耳打ちされ、禁酒法についてこの時初めて知らされた。


 このとき店の前を地味なセダンが止まり、それを見ていた給仕の少年があわてて外へと飛び出して行って、ひとりの口髭を生やした紳士を丁重に店の中へと招き入れた。

 わたしは一目見てピンときた。

 コイツはきわめて危険な男だ、と。

 わたしがこういったことで勘が外れたためしはない。


 見ろ。店のオヤジの男に向かって投げかける敬意の込められた視線を。

 コイツは名誉ある男、尊敬すべき男だ。

 間違いない。マフィアの、それもかなりの大物だ。


 ……

 ……


 結論から言うと、男の口利きでわれわれは結構美味いローマ風イタリア料理にありつけた。辛口の白ワインにも、な。

 だから、この男に出会ったことに文句はない。

 多分、李鉄拐の意図どおりなんだろう。この後すぐに今回の課題の困難さを知ることになると予想できる。

 だが、今はこの結構な料理を楽しみたい。


 店のオヤジの出したコースは以下の通りだ。

 

 前菜には、生ハムの載ったブルスケッタ(ニンニクをこすりつけた焼いたパンを塩コショウとオリーブ・オイルで味付けしたもの)が出た。

 食前酒は軽い辛口のさっぱりとしたリアーヴェ。


 一皿目は注文通り、穴のあいたパスタ(ブカティーニ)の料理、ブカティーニ・アッラマトリチャーナが出された。これは豚頬肉の塩漬け、羊のチーズ、トマトの入ったローマ風のパスタ料理だった。

 二皿目はローマ風の仔牛肉の料理。絶品とは言えないが、まあまあだった。

 食後にはヴィン・サント(トスカーナ地方の食後酒。甘口ワイン)。こいつに一緒に出されたカントゥチーニというお菓子を浸して食べるのである。



 われわれが食している間中、男はエスプレッソを飲みながら静かに待っている。


「ご一緒に(食事は)どうですか?」

「とても美しいご婦人方からのお誘いはうれしい。が、妻が私との夕食を楽しみに待っているので、失礼するよ」

 


 男は穏やかにだが、にべもなく断る。

 砂漠の民は食事時に訪れたものがたとえ敵であろうともまずは御馳走攻めにして相手の腹を満足させてから要件にとりかかるんだそうだ。

 この男もその類だろうか?


 わたしにはこういう連中との付き合いの記憶がギッシリと詰まっている。別に慌てるようなことはひとつもない。


 それよりもわたしには困ったことがあった。わたしは現地のお金をまったく持っていないのだ。このままでは無銭飲食となってしまう。


「おい。御亭主。事情があって金の持ち合わせがない。といって、食い逃げするつもりもない。給仕を走らせてこれを質屋か宝飾店で金に代えさせてきてもらえないだろうか」

 わたしはそう言ってバックからゴトリと金のインゴットをテーブルのうえに置いた。もとの世界の金貨がバックに入っていたのでエリザベス伍長に言いつけて作り変えさせたのだ。


 男もオヤジも目を丸くしたが、知ったことか。

 すべて李鉄拐が悪い。

 わたしはこんな店で皿洗いなどするつもりはないのだ。






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