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第二層4

 第二層4


 サルヴァトーレ・マランツァーノは本物のマフィオーゾらしく影のように目立つことなく実に禁欲的な生活を送っていた。

 彼はブルックリンにある少し大きな家(決して邸宅などではない)から毎朝マンハッタンのアッパー・ウエストサイドにある事務所へ生真面目に通う。まるでサラリーマンのように。

 決してギャング・スターたちのような派手な生活はしない。

 彼の正体を知らない普通の市民から見れば、彼は実に知的で穏やかな紳士であり文句なく自分たちの同類(『善良な市民』)だった。彼の正体を知る身内(イタリア系移民特にシチリア人)からは本物の名誉ある男ないし尊敬すべき男として敬意を持たれていた。


 マフィオーゾの名称はジャンヌ・ダルクの活躍するはるか百年以上も前のフランスの公文書に現れる。

 当時シチリアを占領したフランスの王弟(アンジュ―伯シャルル1世)を困らせた謎の秘密結社の構成員を指す言葉である。

 表面上は恭順の意を示すがとにかく言うことを聞かない連中だった。

 時代が下ってイタリアの領土になってからも変わらない(シチリアが正式にイタリア王国へ統合されるのは、1861年のガルヴァルディの遠征による。)。シチリアに領地をもらった本土の貴族が水車小屋を建てようとしても一夜で壊された。誰がやったか現地の人間ならだれもが知っていたが、だれも何も言わない。水車小屋の建設は製粉の利権が絡んでおり、現地の顔役である領地管理人(マフィオーゾのドン)がそんなものを建てさせるはずがないのである。


 マフィオーゾは島民の中に影のように潜み、彼らの目はどこにでもあった。


 彼らにとり秘密保持は至上命題だった。

 秘密結社である彼らにとり情報の流出は組織崩壊を意味した。だから仲間内では血の掟(沈黙の掟)をし仲間以外の島民にもその沈黙を強いた(これは20世紀後半まで続く。旅行者がパレルモで街の人にマフィアのことを聞いても誰も答えない。たとえ前日に抗争で殺人事件が起きていようとも)。


 マフィオーゾには沈黙の掟以外にもいくつかの掟が課せられていた。

 仲間の金には手をつけない。仲間から聞かれたことには嘘はつかず正直にすべてを話す。仲間の女には手を出さない。

 まあ、ここまでは暴力組織にもよくある決まりごとかもしれない。

 しかし、特異な掟もある。

 いわく、敬虔なカソリック信者であって聖人を敬え。ご婦人方には失礼がないように振舞え。自分の女房には決して手を挙げるな。

 土着文化とカソリックと騎士道物語が微妙に交ぜ合わさって出来たものである。これらの掟は20世紀半ばに入ってからポツポツとアメリカの構成員たちから漏れ聞こえてきたものである。その確認は、2000年になってようやくイタリアの警察がシチリア・マフィアのボスたちを大量検挙した際その屋敷内から押収されたメモ書きによってとられる(そこまで長い年月にわたって秘密保持が保たれていたのである)。


 マランツァーノがヴィト・カッショ・フェッロに命ぜられてニューヨークへ来たのも、このマフィオーゾの習性が大いに関係していた(もちろんアメリカからの膨大なアングラマネーも関係していたが)。

 当時ニューヨークにはイタリア本土以外の最大規模のイタリア人のコミュニティーがあった。イタリアからの移民たちが形成したものだ。当然、ラッキー・ルチアーノの家族ようにシチリアからきた移民たちも多くいた。

 マフィオーゾたちは考える。

 シチリア人は常に自分たちの支配のもとにあり、その保護を受けなければならない。それがたとえ異国であろうとも、と。

 マランツァーノはその考えに忠実に従い、ニューヨークのイタリア系移民に自分たちへの服従を誓わせ、かつ彼らの生活を保護するためにイタリア系ギャングにマフィア流の活を入れて他の人種のギャングたちを排除しようと励んだのだ。

 最終目標はニューヨークの闇の世界をシチリア人だけで牛耳りすべてのギャングたちをマフィアの支配下におくことだった。

 シチリア人にとってみれば、たとえ異国であれ他の民族の支配下に置かれることは我慢できないことなのである。


 だが、それは新天地アメリカで育った若いルチアーノたちからしてみれば、噴飯もので、時代遅れの考え方だった。


 因習。義理。男伊達。ナニソレ、オイシイノデスカネ。


 ここは新天地アメリカなのだ。古い大陸の因習から解き放たれた実力本位の世界なんだ。

 現ナマを掴んで飛べ!ここはそういう世界なのだ。

 悪の世界に身を置きながら義理にとらわれていたんでは目が出ない。シチリア人だけでかたまっていてどうする?他人種を排除していたんでは頭のいい奴や腕っ節の強い奴がいつまでたっても仲間にならない。

 伝統的なやり方ではアメリカの闇の世界では決して強者にはなれない。実力主義こそ基本なのだ。



 若いルチアーノたちの反発はさておき、今日もマランツァーノはアッパー・ウエストサイドの事務所へ行き夕方には寄り道もせずにブルックリンの自宅へと帰って来た。

 夕食は自宅で愛妻とともに摂るのが日常であった。

 夕食後は部屋の4面すべてが総皮張りの本(大半がラテン語で書かれたジュリアス・シーザーに関するもの)で埋め尽くされた書斎でひとり静かに読書に励むのである。


 マランツァーノの自宅は、今でもそうだがベイリッジ(中流階級の閑静な住宅街)のような成功したイタリア系移民たちの集まった地域にあった。


 マランツァーノも外食をしないこともない。偶にはある。しかし、本物のマフィオーゾとして決してギャング・スターたちのようにナイト・クラブや高級レストランやホテルへと出かけたりはしない。

 必ず自分の息のかかった地元ブルックリンの小さな食堂へ親しいものたちとだけで出かけた。

 彼はマフィオーゾらしく身内しか信用しないのである。

 

 その彼が帰り道に彼の保護下にある小さな食堂の前に珍しいものが置かれているのを発見する。


 白いボディに内装が赤い総革仕立てのロールス・ロイス。最高級車ファントムⅠ・ランド―レ・ドゥ・ヴィルが一台止まっていた。


 中流階級しかいないはずの地域で絶対に金持ちの来ない小さな食堂の前に大富豪しか乗らない最高級車が止まっているのである。


 彼は支配下にあるものを保護するというマフィオーゾの習性に突き動かされて、護衛兼運転手に車(彼の車はキャデラックですらなくビュイックだった)を止めさせ店内へ入ることにした。


 店内では読者の皆様のご想像通り禁酒法を知らないマリアカリアが辛口の白ワインを出すようにごねていた。


 こうして史実では1931年9月10日にアッパー・ウエストサイドの事務所で暗殺されるマランツァーノはマリアカリアたちと出会うことになり、彼の運命と絡まり合いながら物語は進んでいくこととなる。





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