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第二層2

 第二層2


 わたしはザラザラする床に座っている自分に気付いた。魚臭い。

 見ると、つぎはぎだらけのせんべい布団にナカムラ少年がごほごほと咳をしながら寝ているではないか。


 汚い。むさい。貧乏くさい。三拍子がそろった悪環境。


「ここがニューヨークというところなのだろうか?それにしてもなぜナカムラ少年は床に寝ているのだ?」

「たぶん違うと思います。ジジイ(李鉄拐)に意地悪されたんだと思います」


 ナカムラ少年がその情けない顔を一層情けなそうに歪めながらもかすれ声で答えた。


 そういうことか。

 李鉄拐のことを臭い臭いと言ったことを根に持たれたというわけだな。仙人らしくない器の小さい奴だ。

 おまけに意趣返しとしてわたしはつぎはぎだらけのボロの着物を着せられていた。


「それにしてもナカムラ少年の髪型は変だな。なんで頭の真中を細く剃りあげて後ろ髪を巻き上げているのだ?」


 わたしの言葉にナカムラ少年はなにか気付いたようだ。


「はあぁ。そういう設定ですか。あのジジイなにやらせんだ!

 大尉殿はご存じないでしょうが、ここは日本という国で時代は江戸時代。われわれの役は貧乏長屋で貧困と病気で苦しむ姉弟で、おそらくすぐに借金とりがやってくるのでそれに対応しなくてはなりません。時代劇でよくあるパターンです」


 ナカムラ少年が言うや否や、本当に誰かがやって来た。


「おうおうおうおう。今日こそはキッチリ借金を払ってもらうぜ。いくら仏の源吉と言われようとも、そう何度も何度も待てはしねえぜ」

 何人もの悪役顔の男たちを引き連れ、ゲジゲジ眉の脂ぎった男が乱暴に戸を開けて入って来た。


「げほげほ。すまない。借金取りの旦那。しばらくしてからもう一度来てくださいませんか」

 ナカムラ少年が布団から苦しそうに起きながら借金取りに話しかける。


「なにを寝ぼけたこと言いやがる。もう待てねえよ」

「そういうこっちゃねえです。まだ、おれたち、『すまないねえ』『それは言いっこなしですよ。おとっつぁん』の小芝居をしてねえんです。すみませんが、もう一回入り直してくださいませんか。決まりごとなんで」

「なんだとお」


 借金取りが絶句した。


「段取りが悪いじゃねえか。おめいら、とうしろうだな」


 わたしは突っ込みたい。が、李鉄拐の意趣返しの意味がよくわからない以上、ここはナカムラ少年に任せることにする。


「じゃあ、外で二十数えるから、その間に済ましちまうんだぞ。逃げようなんてふてい魂胆なら容赦せんぜ。ちゃんと裏も表も見張っているからな」

 そう言い放つと借金取りたちは本当に出て行った。


「……」



「大尉殿。慣れないでしょうが、ここはひとつ僕の言うとおりにしてください。

 再び借金取りたちが部屋に入ってくると、彼らは大尉殿に向かって借金の質に連れていくと言います。そこで大尉殿は泣くなりなんなりして悲しんでください。このとき、決して暴力は振わないように。大尉殿は今回はそういう役ではないですから。きっと助けに入る人が出て来ますから。きっとですよ」


 ナカムラ少年には真剣な顔つきでわたしに向かって念を押す。わたしは奴の重大そうな物言いについ頷いてしまった。


「分かった。ナカムラ少年にすべて任そう。わたしはこの余りにもシュールな展開についていけない。

 それはそうとして、エリザベス伍長やシルヴィアはどこにいるんだ?」


「ここにいまーす。大尉殿」


 そばの割れ机のうえに鎮座する置時計からエリザベス伍長の声が聞こえる。

 今回は彼女は置時計らしい。もはや生物ですらない。少し不憫に感じてしまう。


 と、感傷に浸ってる間もなく声が……。


「おうおうおうおう。今日こそは借金、キッチリ払ってもらうぜ。いくら仏の源吉さんでももう待てねえぞ。ええ、どうなんでえ」


 外で待っていた借金取りたちが再び入って来た。


「げえほげほ。借金取りの旦那。後生ですから、あと少し待っておくなせえ。あっしが働けるようになれりゃあ、すぐにでもお返ししますんで」

「あと少しあと少しと伸ばされてもう2年だ。もう待てねえ。さんざんゴタクは聞いてやったぜ。おめえの病気が治る見込みがねえのに十分待ってやっただろう。期限はとっくに来てるんだよ。さっさと払いな」

「旦那が見て分かるように、家には金目のものなんてねえんで」

「払えねえってんだな。じゃあしかたがねえ。証文通り、こいつはもらっていくぜ」

「あれー」


 借金取りはわたしではなくエリザベス伍長の置時計を掴んだ。


「チョット待てやあ」

 わたしではなくナカムラ少年が青筋を立てて怒鳴った。

「ここは娘を借金の質に連れて行こうとするのが筋だろが!空気読めよ!」


「はあ?換金できやすい物から手をつけるのがこの業界の常識だぞ。こっちの薹のたった、目つきの悪い娘なんか連れ帰ってもどうやって金に換えるんだよぉ?ええ?おまけに銀髪で腕太いし。特殊な趣味の人しか反応しねえんだよ。商売になんねえんだよぉ」

「……」


 ナカムラ少年。おまえ、今の暴言に頷いたな。あとで説教だ!


 借金取りたちは悲鳴を上げているにもかかわらずエリザベス伍長の置時計を掴んで満足そうに出て行こうとする。

 これは一体どうしたことだ?

 わたしはナカムラ少年の言動を信じて大人しくしていたが、ぜんぜん救いの人が現れないではないか。


「いてててて」

 わたしはエリザベス伍長の置時計を掴んでいる借金取りの手をひねり上げて取り戻した。


「待ちなぁ。これは我々のものではない。つまり担保の対象物ではない。おまえたちが汚い手で置時計に触れることは法律違反だ」

 

 わたしはナカムラ少年のシナリオどおりにいかないことを看て取り、独断専行することにしたのだ。


「いていていて。なにしやがるんだ。こっちには同心の中村さまがついているんだぞ。手荒なことをして後で後悔すんじゃねえぞ」


 笑わせやがる。

 わたしは腕を放してやって立ち上がり、借金取りたちに無言の忠告をした。

 しかし、借金取りたちはなぜか余裕の表情である。


「商売柄、こちとら、暴力で借金逃れようとするやつらをさんざん見てんだよう。手を離して人質を失ったがおまえの運のつきだ。

 先生。先生。サクッとやっちまっておくんなさい」


「どうれ」

 

 入って来たのは予想通りシルヴィアだった。なぜか彼女は刀を差していた。


「おぬしとは前々から決着をつけなければならないと思っていたよ」

「奇遇だな。わたしも前々からそう思っていたところだ。命を狙われた借りを返す暇がなかったからな。丁度いい。

 だが、ここは狭い。表へ出て適当な場所へ移動しよう」


 シルヴィアはニヤリと笑うと頷いた。


「いい場所を知っている。ついてこい」


 わたしはエリザベス伍長の置時計を持って長屋を出た。ナカムラ少年は放置だ。


 ……

 ……


「よくこんな場所を知っているな?」


 わたしはシルヴィアに向かって猪口を差し出しサケという飲み物を注いでもらいながら、床の間に飾ってある水墨画に感心した。


 わたしはあうんの呼吸でシルヴィアとで借金取りたちを撒いてとある料亭の二階の部屋へ逃げ込んだのだ。


「常識的に考えてサケを楽しむならそれなりの料理屋へ行くべきだろう?

 知識はある。昔、レニングラードで日本の文化が珍しくて持て囃されたことがあるんだ。サケとか刺身とか侍とか。地下出版のビデオを見たこともある。

 どうだ?エキゾチックで楽しいだろう?ジャパニーズ・サムライ文化を楽しみたまえ。フフフフ。わたしがなんでも説明してあげよう。大尉」


 むかつくことにシルヴィアは心底楽しそうである。わたしがボロを着せられ貧乏くさいところへ押し込められていたのに、コイツは観光気分だ。どうしようもない奴だ。


「それよりわたしを見てくれ。なかなか似合っているだろう?わたしも一度はこういう格好をしてみたかったんだ」

「それは男装ではないのか?似合っていると言われてシルヴィアはうれしいのか?わたしにはなにが楽しいんだかさっぱり解らん」

「異文化を楽しむことができないとは悲しいな。大尉。こういうところで教養の差が出てしまうんだな」


 まあ人それぞれだ。わたしはなにも言うまい。変な髪形をした男どもがうろついている文化がそれほど高尚なものとはわたしには思えない。


「とにかくここはニューヨークではないらしい。李鉄拐にいいように飛ばされたみたいだ。これからどうしたらいいのか、なにか提案でもあるか?」


 望み薄いが、一応シルヴィアの意見を聞こうと思う。童子に教えられることもあると言うし。


「別にない。休暇だと思って観光でも楽しんだらいいのではないか?

 かたく考えない。考えない。

 そのうち李鉄拐が気付いて引き揚げさせてくれるのではないか?

 われわれが楽しんでいることを知ったら、大尉を嫌っている仙人のことだ。きっとすぐさま引き揚げさせるに決まっている」


 なんという楽観主義。

 洗脳が解けてからシルヴィアは性格が変わったらしい。暗さが無くなっている。

 まあ以前の性格にくらべたらよくなっているんだろうな。

 だが、シルヴィアの性格改善は今後の方針決定には何の役にも立たない。


 しかし、実に困ったことだ。わたしにもとりたてて意見はないのだ。

 

 シルヴィアに愚痴っても現状はなにも変わりそうにない。

 仕方がない。

 わたしもシルヴィアの言うとおり観光でもするか……。



 結局、3日間、われわれはジャパニーズ文化というものを楽しんだ末、李鉄拐によって引き戻された。シルヴィアのジャンヌ・ダルクに対する思い入れをいったん清算させるのが目的だったらしい。

 要するにシルヴィアへ対するサービスだった訳だ。おかげでわたしとナカムラ少年は小芝居をやらされたのだ。やはり李鉄拐はわたしのことが気に食わないらしい。

 が、わたしは仙人に謝るつもりはない。

 臭いものは臭いのだ。仙人だろうとなんだろうとエチケット違反をする奴にはわたしは絶対注意する。今後ともそれは変わらない。

 引き戻された時も注意してやった。奴の顔は引き攣っていたけどな。


「おうおう。じゃあ、今度こそニューヨークへ行っておいで」


 われわれは今度こそ本当に1931年のニューヨークへ送り出されることになった。


 ちなみに、休暇の3日間、わたしは神社仏閣巡りをして楽しんだ。

 過ごした間の資金はどうしたかって?

 よい質問だ。特技を生かして道場破りをして稼いだ。どうしてもボロの着物を着て過ごしたくなかったんでな。

 3日間、充実した日々だった。日本文化というものは木造建築にしても絵画にしても磁器にしても実に繊細だな。わたしは大いに楽しかったことを最後に付け加えておこう。わたしは偏見のかたまりではないからな。評価すべきものは評価する。公平な人間なのだ。

 ああ、ナカムラ少年のことだが、彼はなんでも借金取りに追い回されて面白くない3日間を過ごしたそうだ。可哀想な話だな。


 ところで、3日間、サケを飲んでいたため反動でワインが飲みたくなった。ニューヨークにはワインとパスタがあるのだろうか?



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