第二層1
第二層1
「第一層突破、おめでとう」
翌日(1429年5月8日)早朝、オルレアン近郊からイギリス軍の影が消えていることを確認した瞬間、われわれは汚い老人(李鉄拐)の前に舞い戻った。イギリス軍は昨日のラ・トゥーレル陥落を目のあたりにして恐慌をきたし夜のうちにチリジリに逃げ去ったようだ。
オルレアンは解放されたわけだが、わたしとしてはやつら(ラ・イルたち)の今後が若干心配だ。フランス解放まで緊張がきれなければいいが……。
李鉄拐は香りを楽しみながら茶を喫していたが、われわれの物足りなそうな顔を一瞥すると水を向けてきた。
「なんだ、余りうれしくないようだね。気になることが多すぎるかね」
早速シルヴィアが尋ねる。
「質問したいことがあります。わたしたちが去った後、あの世界には再びジャンヌ・ダルクが現れるのですか?わたしたちのやり方でオルレアンを解放したため歴史が狂ってしまったのではないのですか?」
殊勝なことを聞く。シルヴィアはこういう奴だったのか?ジャンヌ・ダルクのことを考えすぎて引きずられてしまったのだろうか?
「いや。あの世界は幻あるいは夢だったと思ってくれればいい。現代風にいえば仮想シュミレーションかな。君たちの課題のためにわたしが拵えた仮想現実にすぎない。したがって、君たちが課題達成した時点で消え去るものだし、歴史の改編とはなんら関係しない。もちろんジャンヌ・ダルクのその後の物語も続かない。安心してくれ」
「……そうですか」
若干物足らなさそうにシルヴィアは頷いた。
「なにか気がかりかな?」
「……わたしはジャンヌ・ダルクの思っていたとおりの解決ができたのか、役をやり出してからずっと気になっていました。でも、あの世界がまるでシャボン玉みたいに割れて消え去るものだったなら、それは余計な感傷というべきですね」
「虚しいかね?そう感じてもらえたならこちらとしても課題を出した甲斐があるというもの。
この大会は哲学のない神様や精霊たちへ老荘思想にいう『道』(タオ)を宣伝するためにある。どんな時代のどんな場所でどんな物になろうと自分たちが『道』(タオ)に要求されるそのあるべき役割を演じるのみの小さな存在であることを認識してもらう試みなのだ。
君たちは与えられたジャンヌ・ダルクとその一行の役割を十分演じ切った。それで十分なのだよ。
ちなみに、シルヴィア君の感傷についていえば、本物のジャンヌ・ダルクが君たちのやったことを知ったらおそらく満足しているだろう。史実ではオルレアン解放の日の夕方、彼女は喜び合う人々から離れひとり戦死した兵士のために祈っていたそうだ。フランス軍ばかりでなくイギリス軍のも含めてな」
わたしとシルヴィアは夜間、武侠小説の武芸を振って砦のイギリス軍の兵士を襲い、昏倒させてはひとり残らず生け捕りにしていたのだ。
われわれが加わってからはオルレアン包囲戦でひとりも死者を出さなかった。わたしとシルヴィアは誰も殺したくなかったし、そうするだけの力があったのだ。
この結果は奇しくもこころやさしいジャンヌ・ダルクの願いと一致していた。
らしくないようにもみえる。しかし、結果としてはよかったとわたしは思っている。
感傷とか趣味とかというのではない。
人殺しというのはこころに重いのだ。それを責任を負わない世界へ行ってやれと言われても、ハイそうですかと出来るものではないのだ。
軍人といえども守るべきものの無いのに戦えるか!というのが、あの世界でのわたしの偽らざる心境だった。
「最後に。ジャンヌ・ダルクとはどういう少女だったのですか?演じていても今一つ(どんな人物なのか)掴めませんでした」
「答えになるかどうかわからんが、当時のオルレアンの人々は彼女のことをよく笑いよく泣く少女と評していたよ。
無邪気で心やさしいごく普通の少女。
彼らの中では普通の少女と伝説のロレーヌの乙女と矛盾なく一致したんだろうな。彼女は自分たちのひとりであって自分たちの代弁者で、自分たちの希望そのものだと感じていたんだろう。
後にシャルル7世に彼女の軍は解体され200余名しか彼女につき従わなくなるが、それでも彼女は戦った。なぜなら自分と同じよう戦乱に悩む村や町の住民が彼女に救いを求めてきたからな。彼女は同胞たちの嘆きに素知らぬ顔をできなかった。彼女はごく普通の少女であって、権力者でも何でもないんだからな。政治的な配慮とかいうものとは結局、無縁な存在だったのだ」
わたしはわたしで任務のことが気になるので覇王チームの動向を探ることにする。
「よそのチームの様子を聞いても差し支えないかな。わたしは知りたい。覇王チームはどうなった?また、玉女神剣チームは?」
「ああ、あいつら(覇王項羽たち)には困ったものだ。十字軍の騎士として拠点を10日間守るという課題に対して相手の王サラディンまで討ち取ってしまうし。『道』(タオ)とは異質だよ、あいつらは。いうなれば力任せに運命を捻じ曲げて覇道を突き進んでいくというやつだ。
それと、玉女神剣チームも第一層を突破しているよ。彼女たちの課題は戦場の塹壕の中で味方の救援が来るまで12人の負傷者をひとりも見捨てずに守り切るものというものだった。あの三人は割り切りが早いからどうなることかと思っておったが、どうにかなったな」
まあ覇王チームが予選落ちになるというのは期待損だろう。リリスは本気で剣譜を狙って来ているのだからな。ありえないか。……。
そろそろつぎの課題へ飛ばされそうだ。わたしは重要な注意を与えてやろう。
「わたしも最後にもうひとつ質問したいが、いいかな。
どうして身体から臭いにおいがしているのにお前は平気で茶を楽しめるのだ?
もしかしてお前だけ身体の匂いを感じさせなくする術をかけているのか?
そうだとしたらお前と相対する人間に大変失礼だと知れ。
少なくともわたしの前に現れるときは今度から身体を洗うか匂いを感じなくさせろ」
「おうおう。それは失礼したな。慣れればどうということはないものだがな、なにごともな。
そろそろ次の課題を与えて送ってやろう。時は1931年。場所はアメリカ合衆国はニューヨーク。することは先に送ったジャンヌ・ダルクに会いこのペンダントを渡すことだ。先に送るのは誰でもよかったが、君たちはジャンヌ・ダルクにとても興味を抱いているらしいからサービスだよ」
行き先で待ち受けているのは、わたしの嫌いなギャングの抗争らしい。
もう少し考えて課題を出してくれ!




