第一層6つづき2
第一層6続き
「……余はイングランドが憎い」
マリアカリアによってシルヴィアとふたり部屋に残されたアラソン公ジャン2世は心情を吐露し始めた。
アラソン公ジャン2世は、アザンクールの戦い(1415年)でその父親を失いわずか6歳でアラソン公の地位をつぐ。そして、自身も15歳でヴェルヌイユの戦い(1424年8月17日。イギリス軍8千対フランス・スコットランド連合軍1万4千の戦い。例によってイギリス軍の長弓部隊の活躍でイギリス軍1千5百の損害に対してフランス連合軍は1万近い損害を出して大敗北を帰し、参加したアラソン公を含むフランスの有力貴族のほとんどが捕虜になった。)でイギリス軍の捕虜となり、多大な身代金を払ったにもかかわらず4年半も牢獄に繋がれ、今年(1429年)になってようやく解放されていた。しかも捕虜になっている間に病気となって身体を壊し、現在病み上がりのフラフラの状態である。
まだ二十歳になったばかりというのに積年の苦労で顔がやつれ切っている。
「しかし、どうしても(イギリス軍に)勝てん。囚われている間に余はすべてを失っていた。余は情けない」
アラソン公は崖っぷちにいた。王太子からも捨てられるとまではいかなくとも死んだも同然と考えられていた。実際、アラソン公の領地があるブリュターニュはイギリス軍に占領されており、彼には金もなければ従ってくれる兵士も少なかった。あるのはアラソン公としての権威のみ。
「しかも、叔父(ブリュターニュ公アルチュール・ド・リシュモン。王軍総司令官にして元帥。現在宰相ラ・トレムイユとの政争に敗れ宮廷を追放中。卓抜した軍事的才能をもち、かつ騎士道精神の体現者であり「正義の人」とのあだ名がある)のような才能も名声もない」
アラソン公は疲れた顔で自嘲する。
「余はそこもとの同情が欲しいのではないぞ。何もかも失った人間は駒としても認めてもらえずただ捨てられ忘れ去られるのみ。
余は新参の駒となったそこもとに忠告したいのじゃ。
駒となった以上踊らされるわけじゃが、踊れるうちにこそ力を蓄えておくがよい。そうすれば誰もそこもとを無視できなくなる」
アラソン公はその生気を欠く顔で真剣にシルヴィアを見やった。
「よいの。余は力を失ってしまったが、(アラソン公としての)権威は残っている。しばらくはそこもとの盾となってやれる。利用するがよい」
史実では、アラソン公はオルレアン解放以後ジャンヌ・ダルクを副官として扱い、ジャンヌのパリ攻撃からの撤退(1429年9月)までの間彼女を擁護し続ける。
彼女と袂を分かつてからはアラソン公は出身のブリュターニュではなく、その隣のノルマンディ(イギリス軍占領地域)を単独で執拗に攻める。
次第に王太子(戴冠後のシャルル7世)とも険悪な関係となり、遂にジャンヌ・ダルクの死後に行われた処刑破棄裁判(復権裁判)の席上でジャン・ド・デュトワ伯の謎の告発(告発の動機も、なにを告発したのかさえも記録に残されておらず不明)を受け、反逆罪で逮捕されて再び牢獄に繋がれる(時代が代わり、新たな国王から忠誠を誓うならば牢獄から解放し復権させる旨の言葉をもらうが、これを拒否。亡くなるまで牢獄に繋がれた。アラソン公は三度牢獄に繋がれ人生の半分以上を牢獄で暮らす破目となった人物であるが、その子孫は国王となってブルボン朝をひらく。)。
アラソン公の人生のうちでジャンヌ・ダルクと一緒に過ごしたわずか4が月余がもっとも輝いていたといえるかもしれない。
「はっ。閣下の思し召しのままに」
シルヴィアは膝をつきアラソン公へただただ静かに頭を下げた。
どうしようもない。
シルヴィアはアラソン公へなにかしてあげたいとの好意と同情を抱いたが、仙人によって課題を与えられオルレアン解放まで飛ばされている身ではなんともしようがない。
本来関わり合いになる人物でも時代でもないのだ。
(アラソン公に対して)かける言葉さえもシルヴィアは思いつかなかった。
シルヴィアが少し重い気分になりながら退室し割り当てられた滞在先へ向かおうとしていたところ、後ろからマリアカリアが追いかけてきた。
「シルヴィア。少し夜の散歩に出かけよう」
シルヴィアが見るとマリアカリアの手には百合を描いた小旗が何本も握られていた。
マリアカリアたちがオルレアンに入城してから4日目。
「……魔女め」
外が見える城塞ラ・トゥーレルの一室でイギリス軍指揮者ウィリアム・グランデールは苦々しく呟いて机を叩いた。
外には南側から小橋を渡って城塞のある小島に殺到してきたフランス軍の軍勢でひしめいていた。
3日前。
城の東側にあるサン・ルー砦など3つの砦に百合を描いた白い小旗が目立つ所に掲げられているのが発見される。と同時に、オルレアンからロレーヌの乙女の名前で降伏勧告文が届けられた。
内容は「……賢明なるイギリス人は直ちに逃れるべし。神は我を通じて警告したまえり。神は怒りたもう。イエスに戦いを挑む者には裁きが下される。人知れず百合の小旗を掲げられた砦には、夜、地獄からの使者が訪れるであろう。誰も逃れられぬ。霧の如く汝らの背後に忍び寄り、霧の如く足音も残さずに生きながら苦しむ汝たちを地獄へと連れ去るであろう」。
これを読んで、グランデールもサフォーク伯もタルボート伯も鼻で笑った。小娘が小賢しい真似を、と。
しかし、翌朝、偵察の騎士によってその3つの砦に何の抵抗も受けずにフランス軍の部隊が入っていくのを確認されて、全軍兵士たちに動揺が走った。
しかもこの日、東南のサン・ジャン・ル・ブラン陣地と南のオーギュスタン砦に百合の小旗が掲げられているのが発見された。
昨日の朝は、ここラ・トゥーレルの上からフランス軍がロレーヌ川を渡り大部分の部隊がそのままオーギュスタン砦に入っていくのが眺められた。
イギリス軍兵士たちは恐慌状態に陥った。
この日は幸いにもどの砦からも百合の小旗は発見されなかったが、オルレアンから最後の降伏勧告書が届けられた。
「汝らはフランスに権利を持たず。神は我を通じ退却を命ぜられたり。従うなら慈悲を示さん。拒めば生涯忘れられえぬ打撃を受けるであろう。
ロレーヌの乙女より」
ラ・トゥーレルにはグランデール以下400の兵士が残されているが、砦とともに多くの兵士が行方不明となって数を減らしたうえ逃亡が続出し、いまでは3分の1以下となってイギリス軍は救援どころではなかった。
グランデールが見ていると、フランス軍の中から白馬に跨り例の最後の審判と百合の描かれた白い旗を掲げ銀の鎧をまとった短い金髪の騎士が現れた。
騎士はそのままゆっくりとラ・トゥーレルの城壁へ馬を寄せてきた。
「城砦に篭るイギリス兵に告ぐ。
降伏するならば、神は慈悲を示さん。拒めば、生きて故国の土を踏むことはないであろう。
我はロレーヌの乙女。
汝らに最後の警告を告げん」
若い女の声が朝のしじまに響き渡る。イギリス軍からもフランス軍からもひそとして誰も声を立てない。
しばらくすると、ラ・トゥーレルの城壁のはざまから外を見やる兵士のうちから声が漏れてくる。
「魔女だ」「神よ。許したまえ」「最後のお導きを」
グラスデールは部下たちの動揺を知り、覚悟を決めた。
なにもせんまま死んでたまるか。魔女と刺し違えてやる!
彼は腹心を呼ぶと耳打ちをした。
しばらくして準備を整えたグランデールは城壁へ上がりシルヴィアに声をかける。
「フランスの売女が!声が小そうてなにを言っているのかわからんわ。勇気があるなら寄って来てはっきりとしゃべりやがれ」
明らかに挑発であった。
弓矢が怖くてシルヴィアが退けば彼女が神の加護を受けてはいない証明となり、逆にシルヴィアが寄せてくれば弓矢で射殺そうとするものだった。射殺されれば当然彼女が神の加護を受けていないことを証明できる。
小島にいる全員が見つめる中、シルヴィアは凛としてグラスデールに声を放った。
「好きなだけ矢を射かけるがよい。そして、ロレーヌの乙女を試すと高くつくことを後悔すればよかろう」
シルヴィアは白馬をさらにゆっくりと進める(このときの「シルヴィアさん。腹を蹴らなくてもチャント進みます!止めてください」「ああ。すまない。つい癖でな。許しておくれ」の小声は、内功を使っているマリアカリア以外誰も聞いていない)。
「やれぃ」
目を血ばしらせたグランデールは腹心の弓手へ合図を送った。
まず、一本の矢が。続いて同時に3本の矢がシルヴィアへ向かって放たれた。
シルヴィアはなんなく一本目を指先で弾き飛ばし、同時の3本の矢を右手の甲でこともなげに払い飛ばした。
「「「神はフランスとともにあり!」」」
見ていたフランス側の兵士たちは歓声を上げ大合唱する。
「「「……」」」
対してイギリス側の兵士の間には重苦しい沈黙が漂う。
「手練であればだれでもできる。それがなんの証明になると言うんだ!これでも食らえ!」
グランデールの合図で今度は機械弓から同時に何本もの鋭い石矢が放たれる。
辺りは静まり返った。
「やったか」
グラスデールは窓枠を握りしめて身を乗り出す。
確かに一本だけシルヴィアの左肩に突き刺さり、彼女が左手で傷口を押さえているように見える。
イギリス側は大歓声である。
が。その声は徐々に小さくなって消えていく。
シルヴィアが押さえているかのように見えた左手をそろそろと頭上に向かって伸ばしはじめたからだ。矢じりを中指と薬指との間に挟んだまま。
完全に左腕を伸ばし切ると、シルヴィアは指と指を開けて矢を落とした。
ぱらん
「これで納得したか。グラスデール」
史実通りこの日(5月7日)、ラ・トゥーレルは陥落した。




