第一層6
第一層6
それから、われわれは下級役人数名の案内で町長官邸だか町参事会の建物だかしらない石造りの立派な建物に連れて来られた。
見ると、敵の投石機か射石砲による石弾で建物の屋根に穴があいている。
建物内に入ると、今度は重厚な扉で閉ざされた部屋の前まで案内され、扉の前で警護している傭兵にわれわれのうちシルヴィアだけが中へ通ることを許された。
しばらく扉の前でわたしとナカムラ少年が大人しくして待っていると、中からシルヴィアがムッとした顔だけ出して入ってこいと手招きをした。
なんだ。どうした?
手招きされるまま中へ入っていくと、机に座って大柄な髭の男が手づかみでローストした鶏肉かなにかをむしゃむしゃ食っていた。
「大尉。この男が」
「カピタンだと?また王太子が士官を送って来たのか。これじゃ士官だらけだぜ」
大男が肉でべとべとになった手を服で拭きながら、シルヴィアの言葉を遮った。
下品なやつだ。しかし、この男はお貴族さまらしい。周りが飢えていても当然とばかりに肉を食っている。中世では貴族は穀物類を農民の食べるものと馬鹿にして肉ばかり食べていたそうだからな。
そして、シルヴィアが何を言われたかも推測がつく。きっと、いつものヤツをかまされたのだ。
「おっ。そっちがロレーヌの乙女さまか。金髪か。噂通りではないな」
大男はナカムラ少年をじろじろ見ている。
この男はこの時点で有罪確定だな。あとでどのように罪を贖ってもらおうかな。
「おい。ラ・イル(墳怒。血が昇りやすく怒りっぽいことから傭兵仲間からつけられたあだ名)。ロレーヌの乙女さまが到着したのか?」
今度は栗毛をマッシュルームみたいにカットした頭の細マッチョが本を抱えて出てきた。
こいつはインテリらしい。
「ジル殿。こちらがロレーヌの乙女さまだ。王太子の印つきの信任状も確認しといたぜ。それにしてもまあ、小姓姿が似合っていることで」
「なに寝ぼけている。そいつはただの情けない顔をした小姓だ。僕の目に狂いはない」
ジル・ド・レイか。なかなか分かっているではないか、この男。
「だとしたら、ロレーヌの乙女はどこだ。ラ・イル。貴様、担がれたのか?あん?」
……この男も有罪、と。
さらに奥から青い顔をしたヒョロヒョロの若造と偉丈夫の二人が出てきた。偉丈夫の方はヒョロヒョロを敬意をもって気遣っているのが見て取れる。
「余はロレーヌの乙女に会いたいぞ。うむ」
ヒョロヒョロの方がわたしとシルヴィアに対して頷いてみせる。
「して。そこのどちらのご婦人が乙女なのですかな?」
高位貴族のようだが、よく分かっている。気難しそうな細い顎をしている癖に意外だな。うん。好意が持てるぞ。これから病人をぶん殴らずに済んでわたしもホッとするよ。よかった。よかった。
「ア、アラソン公。御病気がぶり返したのですか。こりゃ大変だ。この者たちは乙女の護衛騎士かなんかですよ。ご婦人だなんて。
第一、噂と全く違う。乙女はもっとこう背が低くて丸顔の栗毛の可愛いはず……」
偉丈夫が言い切りやがった、こいつ。こいつも有罪だ。もういい。今から断罪開始だ!
「オホホホ。噂を分析もせずに鵜呑みにするとは軍人として失格ですわね。卿は」
ハン。特に「軍人として失格」という部分を強調して言ってやった。
痛いところを突いたようだ。奴は「うぐっ」とか言っている。ザマアミロ。
「失礼。わたくしはロレーヌの乙女の姉。カリア・ダルクと申します。以後お見知り置きを。紳士貴顕のみなさま」
わたしは左足を引いてそのまま足を折って小腰をかがめた。もちろん目は恭しく床を見つめる。
どうだ。貴婦人の完璧なお辞儀の姿勢だろう。これでもわたしはメラリア王国で3000年続いたボスコーノ伯爵家の令嬢なのだ。舐めてもらっては困る。
「はあ!」「エエっ!姉!」「そうだとしても妹ともども薹が立ちすぎている」「ごつすぎる。少女いや女としてあり得ん」「のっぽすぎる。ふたりとも」「姉がプラチナブロンドで肌が浅黒く、妹が淡いブロンドだと。ありえん。どっかの蛮族の娘じゃないのか」
なかなか言いたい放題じゃないか。コ・イ・ツ・ラ。
「アラソン公。こちらがロレーヌの乙女でございます。名はジャンヌ・ダルクと申します。どうぞよしなに。
王太子さまの信任状は先ほどエティエンヌ・ド・ヴィニョル殿(ラ・イルの本名。ほんと似合わん名前だ。)に手渡しております」
わたしはアラソン公へうやうやしく言上する。
「うむ。遠路はるばる大義である。ロレーヌの乙女。これへ」
アラソン公はそう言って自らの右手の人差指を前に出した。
わたしは小腰を屈めたままシルヴィアに小声で注意する。
「(膝をついてアラソン公の人差し指を押し戴いてキスをしろ。アラソン公はお前に格別の配慮を示しているのだ。ありがたく受け取るがいい)」
シルヴィアはわたしが言ったようにアラソン公の指にキスをした。
これでシルヴィアはアラソン公の保護を受ける。なにしろ貴族たちの見ている前でアラソン公の指を与えられたのだからな。ロレーヌの乙女に文句を言う奴はアラソン公に盾を突くということになる。
さて。これからわたしは待ちに待ったひと仕事をしよう。
「お歴々の皆さま。アラソン公はロレーヌの乙女となにやら内密なお話があるご様子。お気をきかせて別室へなりと退出すべきじゃございませんか。わたくしもみなさまにお話しがございましてよ。オホホホホ」
「ご婦人。そなた、本当に乙女の姉か?それになにやら剣呑な雰囲気があるが」
偉丈夫が勘の鋭いことを言う。だが、先ほどの無礼をまず先に謝るのが筋だろうが。唐変木め。わたしは今頃婦人扱いしても許しはしないぞ。
ジル・ド・レイはまだぶつぶつ呟いている。
「丸ぽちゃ。黒目。栗毛。可愛い。丸ぽちゃ。黒目。栗毛。可愛い。こんなんじゃない。こんなんじゃない」
「小娘が俺様に何の用があるんだ」
ラ・イルがあからさまに見下してくる。
フム。以前なら大の男3人一度に相手するのは少々きつかったが、今じゃ武侠小説武芸に目覚めているからな。愛銃がなくても朝飯前だ。覚悟しろよ。おフランスの脳筋ども。
わたしが二ヤリと笑みを浮かべると、なぜだか小姓のナカムラ少年がブルブルと震えだした。少年が何を思い出したかなど、まあ気にすることもないだろう。
わたしはシルヴィアに向かって目配せをすると、3人の男を扉の外へ押し出し部屋にアラソン公とシルヴィアを残したまま後ろ手で扉を閉めた。
そして、阿呆つらを晒す3人に再びものすごい笑みを投げかけて、こう言ってやった。
「さあ。お話し合いをしましょうね。肉体言語で」
……
……
ジル・ド・レイ。
ナント出身の大貴族の息子。二十歳前後の生意気な若造。ケチくさい祖父にいいように扱われ少年時代は本を友として寂しく過ごしたようだ。外見は大人しそうであるが、妄想過多の気があるうえ中世の貴族らしく歪んだ性格をした乱暴者である。
ラ・イル。
言わずと知れた歴戦の傭兵隊長。四十がらみの猪首で赤ら顔の男。大斧やクレイモアを得意とした白兵戦に強そうな乱暴者である。
偉丈夫はジャン・ポドン・ド・ザントライユ。
ラ・イルより少し若い。ガスコーニュ出身。そこの方言なまりで臆面もなくしゃべる(自動翻訳機能の付いているわたしには聞き取れないことはない。)。頑固者で典型的なガスコーニュ男らしい。こいつも当然、乱暴者である。
(しばらく読者様にとってお聞き苦しい音が続く)
「どうだ。格の違いを知るには百万言尽くすより拳で語り合った方が早いだろう。
分かったなら、これからはわたしのことを敬意を込めてカピタンと呼べ。まあ、あだ名のようなものと思ってくれてよい」
わたしは床に四つん這いになって痛みを堪えている3人の男どもに向かって侮蔑のまなざしを向けてやった。これから働いてもらわなければならないからチャント手加減はしている。
「きさ(ごほん)……カピタン殿は何者なのか?女は護衛騎士にはなれんし、そもそも男装など許されてはおらんはず。それに田舎の少女の姉にしては礼儀もわきまえている。怪しい。怪しすぎるぞ」
「そんなこと、おまえたちが知る必要はない。おまえたちは(わたしのことを)ただロレーヌの乙女に従ってオルレアンを解放しに来た者だと認識しておればいい。それよりも情報をくれ」
なにか言いかけたが、ギロリと睨んでやると3人の男たちは大人しくなった。
「……まあいい。状況を説明すると、ロレーヌの乙女が入城したおかげで士気だけは持ち直した。だが、まだ足りん。
それから兵数だが、ロレーヌの乙女が引き連れてきた一万二千の半分だけが入城しもとからの守備兵と併せて約1万。相手のイギリス軍は騎士、弓兵併せて4千。数字だけ見るとこちらが有利にみえるが、相手は常勝の熟練の兵で、こちらは6割近くが武器もろくに扱えない徴集兵。しかもジャン・ド・デュノワのせいで自由に使うことができない。
悪いことに兵糧はもうすぐ底を尽く。今回搬入された分では焼け石に水程度に過ぎん。打つ手なしだ」
ジャンが苦々しそうな口ぶりで告げる。
わたしは激怒して腑抜けどもに雷を落としてやった。
「愚か者どもめ!指揮官とは常に最悪の状況下を想定し最善手をひねりだすもの。どんなときでもだ。諦めるということは(指揮官としては)死んだということだ。
常に考えろ!以前そうだったからとかそういうものだとかという固定化した死んだ考えは捨てろ!
とらわれるな!自分の目で見て、自分の頭で考えろ!自由な発想で偏見にとらわれることなく自分の持てるあるいは自分の預かっている部隊の潜在的な力を出し切れ!
そうでないと戦場では生き残れないぞ!
エラン・ヴィタールだ!完遂精神だ!何事もやり抜くんだ!打つ手がないなどと寝言をほざくんじゃない!」
反応は三者三様だった。
ラ・イルは口を半開きにして呆けている。
ジル・ド・レイは目をキラキラさせ自分の世界へ没入していた。
一番は早く我に返ったのはジャンだった。
「そ、そうだな。うん。……とりあえず地図を一緒に見てくれ。こっちの部屋にある」
わたしはこいつらを完全に飲んでしまったか?まあ調子に乗って勢いづいてしまったからな。本来ならシルヴィアの役割なのだが……。
それにしてもエラン・ヴィタールを知らんのか。わたしが異世界の軍オタから聞かされたところによれば、フランス陸軍は陸軍大学で徹底的に教え込ませてそれゆえにこそ第一次世界大戦でドイツ軍の進撃を跳ね返して最終的な勝利をもぎ取ったと聞いたぞ。聞き間違いだったのか?
わたしはこいつらと地図のある部屋へ篭り最善手をひねり出す作業に入った。
完遂精神だ!
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
史実によればジャンヌ・ダルクは4月29日夜8時ごろオルレアンに入城。
その後、4回、イギリス軍に対して降伏勧告文を送りつける。
5月4日昼近く、突如、(ロレーヌの乙女に)熱狂した守備隊と市民たちが自然発生的に城の東側にあるサン・ルー砦に殺到して攻撃を始める。が、砦のイギリス軍から手ひどい反撃をうけ敗退。
昼寝をしていたジャンヌ・ダルクは知らせを聞いて慌てて現場に駆け付け、引き返してくる味方を鼓舞。再び勢いついた味方は勢いに任せて砦を再攻撃しこれを奪取した。
結果的に砦間の連結を断ち切り包囲に楔を打ち込むことに成功し以後の戦闘を有利に運べることになる。
翌5日はキリスト昇天の祝日のため休戦。フランス軍は作戦会議を開催。ジャンヌ・ダルクが作戦会議に参加できたかは不明。ジャン・ド・デュノワに邪魔されて参加できなかった公算が強い。
6日。フランス軍はロワール川を渡って東南にあるサン・ジャン・ル・ブランの陣地を攻撃するが、すでにイギリス軍は陣地から引き揚げていた。とまどうフランス軍に対してラ・トゥーレルよりも南に位置するオーギュスタン砦よりイギリス軍が出撃してくる。しかし、兵数で優るフランス軍の逆襲に遭い、イギリス軍は敗退し砦へ逃げ込む。追尾したフランス軍はそのまま砦になだれ込み、これを占拠。そして、砦内にいたフランス兵捕虜百名あまりの解放に成功している。
このとき、ジャンヌ・ダルクは味方を大いに督戦して士気を高めている。以前のフランス軍であれば、イギリス軍の出撃により崩壊していた可能性がある。殊勲甲といえる。
このオーギュスタン砦の攻略成功で、イギリス軍を完全に分断し残りの各砦に少数に分れて篭らせることになる。しかも、フランス軍はイギリス軍の最強拠点であるラ・トゥーレル城塞を南北二面から攻撃できる位置を占めることになった。
7日早朝からフランス軍は南北から激しくラ・トゥーレルを攻撃する。城の南門から橋を渡って出撃した部隊がラ・トゥーレルからイギリス軍部隊をおびき出し、ロワール川に架かる橋に火をつけた筏をぶつけて焼き落とし、橋桁もろともイギリス軍をロワール川に沈めることに成功する。このとき、イギリス軍の指揮官のひとりウィリアム・グラスデールも溺死した。
ジャンヌ・ダルクはラ・トゥーレルの南側からの攻撃に参加。先頭に立ち城壁にかけられたはしごをよじ登るも、弓兵に狙撃され肩に矢傷を負う。フランス軍の士気は一気に落ち逆にイギリス軍の士気が高まるが、すぐにジャンヌ・ダルクが前線に復帰してきてフランス軍が再び勢いづき、そのままラ・トゥーレルの攻略に成功する。
8日早朝。南西の砦にこもっていたイギリス軍が一斉に砦から出てきて戦陣を組み出す。これを見て、フランス軍も城から出撃して陣を構え配置に着く。両軍、約1時間のにらみ合いの末、イギリス軍はオルレアン近辺から撤退した。これによりオルレアン包囲は完全に解かれ解放された。
オルレアンにある教会の鐘が一斉に鳴らされ人々にオルレアンの解放が告げられる。
後日。教会指導者により5月8日をオルレアン解放の日と定められる。
オルレアンにはジャンヌ・ダルクの滞在した家が復元されて残っています。
広場に面した5階建ての家で、オルレアン公の財務官だったジャック・ブーシュという人の家です。
解放の日を早とちりしておりました。5月8日。オルレアンではお祭りがあるそうです。




