第一層5
第一層5
王太子派(アルマニャック派)にとり1428年10月から始まったオルレアン包囲を取り巻く状況は非常に厳しいものだった。
まず、パリを追われた王太子は、義母ヨラルド・ダラゴン(アンジュー公ルイ2世の妻にして4国の女王を僭称した女傑。大領主にして大金持ち)を頼ってオルレアンより南のブールジュの町やロアール河畔の小さな城を転々と放浪した後、ようやくシノンの仮宮に落ち着くが、配下の王軍総司令官リシュモンと宰相ド・ラ・トレモーユの派閥争いが激化し武力衝突(1428年)まで起こしており、とても大規模な軍事行動を起こせる状態にはなかった。
一方、オルレアンには1428年10月、英国のサルスバリイ伯爵率いる騎士1000騎と弓兵4000人が襲いかかった。たちまち城の南正門正面の守備要塞ラ・トゥーレルが陥落し開城も時間の問題かと思われたが、オルレアン市民が頑強に抵抗し、サルスバリイ伯爵(トマス・モンタキュート第4代ソールズベリー伯)が開戦2週間目にして戦死。代わって指揮を執ったサフォーク伯が兵糧攻めの長期戦を選択したためこう着状態にはいっていた。
オルレアンは陥落すると王太子派の根拠地であるブールジュが指呼の間となるため、フランス側にとって何としても防ぎきらなければならない戦略拠点であった。
しかし、王太子には金も無ければ言うことを聴く部下も少なかった。
1429年2月、やっとのことオルレアンへの援軍としてクレルモン公とスコットランド部隊を送り込むも、たちまちイギリス軍に撃破され(ニシンの戦い)、その敗戦の責任を問われたクレルモン公は怒って勝手にオルレアンから退去してしまう始末。
当然、オルレアン守備隊の士気はがた落ちとなった。
オルレアンの責任者デュノワ伯(ジャン・ド・デュノワ。その主であるオルレアン公はアルマニャック派の推定相続人だったためイギリス軍に捕虜としてイングランドへ連れ去られていた。異母兄弟であるデュノワ伯が代理としてオルレアンを預かっていた)は悲観してブルゴーニュ派への降伏を打診するが、イギリス軍とブルゴーニュ派の戦後処理を巡る暗闘の結果、イギリス軍に拒否されてしまう(イギリス軍の言い分は、オルレアンで正面切って戦っているイギリス軍へこそ降伏するべきであって、ブルゴーニュ派へのたなぼたは許せんというものであった)。
つまり、ジャンヌ・ダルク登場時点では王太子もデュノワ伯もオルレアン市民もみなオワタと諦めムードが大変濃厚だった。
唯一の希望といえば、民衆の間に流れるロレーヌの乙女の伝説のみ。
ペスト流行後、追い打ちをかけるようイギリス軍が焦土戦術を採ったため、フランスの農村は荒れに荒れて、食糧危機が続き、庶民の生活は大変苦しかった(百年戦争を始める前の人口と比較して3分の1まで激減したと云われる)。
軍も飢えており、現にジャンヌ・ダルク率いる軍隊もオルレアン解放後随分経ってからある修道士の広めた豆の栽培に成功した町にたどり着くまで兵糧の問題を解決することができなかった。
この絶望的な状況で力なく虐げられ続けるしかない民衆にとって縋りつけるものは、神さまによる救済しかなかった。
ロレーヌの乙女の伝説は民衆にとり唯一の希望。
それへにかけられる期待はすさまじいものがあった。
史実では、そのことを知ってか知らずか王太子の義母ヨラルド・ダラゴンがジャンヌ・ダルクに馬・鎧の装備一式ばかりか軍資金まで提供してオルレアンへと送り出す。
彼女はジャンヌ・ダルクの成功に何故だか確信めいたものを抱いていた節がある。その根拠がなんであったかは今では誰にもわからない。
ちなみに、史実のジャンヌ・ダルクは実に多くの貴婦人たちに敵味方にかかわらず可愛がられ保護を受けている。
関わりのあった貴婦人で彼女のことを悪く言ったものはいない。
彼女に対する宗教裁判でも敵方の貴婦人たちが頑強に彼女の処女性を証言し続けたがため魔女ではなく異端としての審問をせざるを得なかった。
この百姓の小娘然とした、丸顔で黒い瞳、濃い栗毛の髪をした無邪気な少女のどこに貴婦人たちを惹きつけるカリスマ性があったのだろうか?
彼女の死後になされた死刑破棄裁判(復権裁判)の記録にラ・トゥールード夫人の証言がある。
「私はたびたび風呂場で彼女を見ましたが、わたしの知る限りでは処女だったと思いますし、無邪気そのものの娘でした。
でも、それは武器を取らない場合です。と申しますのは、あの娘が馬に乗り、槍を手にした姿は、無双の騎士を想わせたものなのです」
もしかしたらではあるが、現実の男たちの不甲斐なさを目の当たりにしていた貴婦人たちが彼女に対してギャップ萌えを感じていたのかもしれない。
◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆ ◆◇◆◇◆
われわれがオルレアンの町へ入ると、それはすごい歓迎を受けた。
人々は各々の家の戸口から溢れ出し、やせ細った女子供まで飛び出して来ては歓声を上げたり十字を切ったりした。
特に先頭にたち最後の審判と百合の花が描かれた白い大きな旗を持つジャンヌ・ダルクことシルヴィアは、「ロレーヌの乙女」の大歓呼をうけもみくちゃにされかけた。
広場に着いてしばらくすると、現地の士官たちがやってきて連れてきた兵隊たちを引きとっていき、シルヴィアとわれわれ少数は群衆の中に取り残された。
われわれの右側にいつの間にやら司祭やら下級聖職者たちが立ち、左側には学者や下級役人らしき人達が立っている。
「……」「……」
わたしは空気を読んでないシルヴィアに小声で注意した。
「ほら。演説をはじめろ。みんな、待っているぞ」
「はあ?なぜだ。大尉。それにどんなの(演説)をやれと?わたしはピヨネールやコムソモールでしたコミュニズムに関する演説しか経験がないぞ」
「そりゃそうだろう。わたしも(宗教のからんだ愛国心についての演説を)したことがない。でも、この雰囲気からして(そういう演説を)やるのがお前さんの役割だろう。とにかくみんなのテンションをあげろ。
とりあえず周りを注意して見てみろ。飢えや疲れで弱りまくっている。言うべきことは自ずと分かるだろう。やれ」
シルヴィアは辺りの民衆をゆっくりと見つめはじめた。
歓声を上げていた人々も徐々にシルヴィアの所作に気が付きはじめ静かになっていく。
やがて完全に静まり返り人々の視線がシルヴィアへ集中すると、シルヴィアは静かに語り始めた。シルヴィアの頬は緊張から紅潮し唇は震えている。
「……イギリス軍がこのオルレアンへ襲撃をかけてきてから7カ月間、みなさんはよく戦った。実によく戦った。力の無い女性も子どもたちまでもが各々の力を尽くしてよく戦った。おかげで未だにオルレアンは陥落していない。
しかし、イギリス軍は強力すぎた。国王軍はやつらを跳ね返すことができなかった。
そのため、やつらに村々を焼かれ包囲も解けずに君たちは飢えている。軍も飢えている。わたしも飢えている。
みなさんの中には家を失った者もいるだろう。家族に死なれたものもいるだろう。また、このままだとこれから飢えで死ぬ者も出てくることだろう」
聴いている人たちに泣きだすものが現れはじめた。
シルヴィアがぐっと何かを飲み込むようなそぶりを見せて話しを続ける。
「でも、ここでよく考えてほしい。なにゆえ、わたしたちは飢えなければならないのだろうか。なにゆえ、やつらに村や家を焼き払われなければならないのだろうか。なにゆえ、われわれの家畜や食糧を奪われなければならないのか。なにゆえ、やつらに犬のように殺されなければならないのか。
よく考えてほしい。
やつらは百年前言いがかりをつけてこのフランスへやってきた。それ以来やりたい放題だ。フランスはいまや分裂し混乱状態。このままではフランスはやつらのものになってしまう。
みなさんはそれでもいいのだろうか。
やつらがやってくる前、フランスはそれは豊かで世界の中心だった。飢える人間はいなかった。誰もが怯えることなく安心して暮らしていた。
なのに勝手にやって来たやつらにすべてが破壊され奪われこのざまだ。
そんなことがあっていいものなのだろうか。このままの状態が未来永劫続いていいものなのだろうか。
そもそもそんなことをする権利がやつらにあるのであろうか。
あるわけがない!
そもそもフランスは神聖なキリスト教徒の王国なのだ!フランスは、われわれフランス人は神とともにあるのだ!フランスに戦いを挑むものはイエスに戦いを挑む者なのだ!やつらは神にもイエスにも逆らう者たちなのだ!そんなやつらがいつまでものさばっていられるわけがない!
神は。神はフランスを、そしてみなさんを必ず救う!」
「「「神はフランスを救いたもう!」」」
聴衆から大合唱が湧きあがる。
何事かと駆けつけてきた傭兵たちや徴集された農民兵たちまでが合唱に加わる。
そして、シルヴィアが絶叫する。
「信じてくれ。神は約束されたもうた。フランスで死なない限りイギリス軍は永久にフランスから追い払われるであろうと!
同志諸君!ともに神とフランスため、共産主義の大義のため、すべてにおいて公正で人民の権利が完全に守られる世界を作り上げるためにともに立ち上がろう!わたしを信じてついてきてくれ!ウラー!」
「「「「ウラー!ウラー!ウラー!」」」」
最後は大祖国戦争を題材にしたプロパガンダ映画のセリフのようになってしまったが、どうやらシルヴィアはオルレアンの住民と守備隊の心に火をつけ士気を大いに上げることに成功したようだ。
「シルヴィアさん、すごいですね。映画の主人公みたい。感動しました」
白馬がうれしそうに語り出す。
「コラコラ。エリザベス伍長。馬はしゃべっちゃいかん。聞かれたらシルヴィアが魔女認定されてしまう」
油断するとすぐこれだ。口にチャックチャック。
それにしてもシルヴィアがこれほど役に入り込む性格だとは思ってもみなかった。わたしも正直驚いたよ。
シルヴィアはジャンヌ・ダルクになりきり、ガリカニスムという当時の民衆の持つ民族的なカソリック思想(「キリスト教国のうちフランスはカソリックの長女である」)を見事に突いてその民族主義的心情を呼び起こしたのだ。
よくある政治手法だ。
良いか悪いか私には判断がつかない。
しかし、オルレアンの町の民衆、とくに飢えてやせ細った女子供のためになるのならば、この場合は正義になると思う。思いたい。
いや。柄にもない。わたしは戦場では何も考えないはず。
フゥ。それでは、気分を変えて第二段階の指揮権奪取といきますかね。
シルヴィア。次も任せたぞ!
本文でサルスバリイ伯爵が開戦2週間目で死亡と書きましたが、どうやら人間違えの様子。参照した文献がどうもいい加減だったらしく、誰かと初代シュールズベリー伯ジョン・タンボートと混同しているようです。タンボート本人は確かにオルレアンにいましたが、ジャンヌ・ダルクによって追い払われた後、パテイの戦いで捕虜になり4年間幽閉される人物です。その後、この人物はジャン・ポトン・ド・ザントライユとの捕虜交換で自由を得、最後までフランス軍を苦しめる立派な敵役になります。




