表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
45/219

第一層4

 第一層4


 ジャンヌ・ダルクというのは、不思議な少女である。

 人は誰しも矛盾を抱えている。が、この少女のそれは桁はずれであった。


 好戦的かと思えば、慈愛の人でもある。田舎の何の取りえも無い農夫の小娘かと思えば、老練な傭兵も舌を巻く戦術家・戦争技術者でもあったりする。文字も書けず本など読んだこともない無知で文盲の少女のはずが、当時の一流の碩学たちをも論理でケチョンケチョンにやっつける弁舌家でもあったりする。また、大天使ミカエル、聖カトリーヌ、聖マルグリットの声を聞く信仰篤き信者であると同時に極めて理性的な行動をとることもできるリアリストでもあったりした。


 実に不思議な少女である。


 後世の人たちは少女のことを調べれば調べるほどモウワケガワカンナイヨと匙を投げ、挙句、精神病患者だったとかシャルル7世の妹(ご落胤)だったとかいい加減な話しを流布した。

 傑作だった話に、少女は加熱殺菌されていない牛乳を日常的に飲んでいたからウイルスで脳がやられていたというものまである。


 この少女の不思議さ振りを端的に表現するキーワードとして「曖昧」が挙げられると考える。

 両極端の行動を取るくせにどちらか片方に完全に傾くことはない。また、その言動でも(兵士たちへの演説や敵への降伏勧告は除く)明確な選択を示したことはない。


 例を示してみよう。

 ラテン語で書かれた彼女の異端審問裁判(コンピェーニュでブルゴーニュ軍に捕まった彼女は1万フランでイギリス軍に引き渡されルーアンでイギリス軍の息のかかった高位僧たちによって宗教裁判にかけられた。異端を理由に処刑をするには教会から見放されたことを示す必要が当時にはあった)の記録の有名なくだりにこういうものがある。


 尋問官「(おまえは)神の恩寵を受けていたことを認識していたか」

 ジャンヌ「(わたしが)神の恩寵を受けていないのであれば神はわたしを無視しておられるでしょう。恩寵を受けているのであれば神がわたしを守ってくださっているでしょう」


 当時のカソリックの教理では神の恩寵は人間が認識できるものではない。尋問の答えが肯定であれば異端を認めたことになり、否定であれば虚偽を言って人々を騙していたこと(罪)を告白したことになる。つまり、当時の、答えが肯否いずれであろうとも必ず被告を罪に落すべくつくられたマニュアルにしたがった鉄板の尋問がなされたのだ。

 このイエスかノウかの質問に対して、ジャンヌは何の躊躇いもなくその二者選択を示さずにイケシャアシャアと「さあて、どうなんでしょう。結果を見てあなた自身で判断してくださらない?」とトボケ返したのであった。

 現代のペーパー試験でこの解答をすれば間違いなく逆鱗に触れ0点であるが、15世紀初期の聖職者たちはこの想定外の答えに目を回した。


 同様な問答は他にも数多く記録されている。


 尋問官「(おまえが声を聴いたという)聖カトリーヌと聖マルグリットは、イギリス人を憎んでおられるのか。それをあまえは知っているのか?」

 これは、天使が同じキリスト教徒であるイギリス人を憎むはずがないという前提の意地の悪い質問である。

 ジャンヌ「お二人は神さまが愛したもうものを愛し、神さまが憎まれるものを憎まれます」「神さまがイギリス人に愛をもって臨みたもうか、憎しみをもって臨みたもうか、またイギリス人の魂に何をなさるか、わたしは存じません。

 わたしが知っておりますことは、イギリス人はフランスから追い払われるでしょうということです。フランスで死なない限りは。そしてまた神さまはフランス人にイギリス人に対する勝利を贈りたもうということなのです」


 ここでも肯否を明確にせずに、「答えは結果を見ればわかるでしょう、尋問したアンタが馬鹿じゃない限り」と返している。


 この問答は日常会話でなされる軽い会話ではない。命がかかっている、しかもアウェーでの極めて不利な裁判(ジャンヌは弁護人の要求とフランス側の聖職者の判事への参加を要求したが拒否されている)でなされたものである。にもかかわらずジャンヌは怯えも緊張もせずぶれないで「曖昧」さを貫き通した。


 本当に不思議な少女である。


 この少女は、後世の人々のいかなる多角的な分析をもってしても永遠に明確に捉えることのできない「曖昧」な存在としか言いようがない。



 ◆◇◆◇◆  ◆◇◆◇◆           



「シルヴィアはジャンヌ・ダルクについてよく知っているのか?」


 わたしの質問にシルヴィアは首を振る。

 シルヴィアのいたソヴィエト・ロシアという国は社会主義国で「宗教はアヘンだ」と弾圧されていたため、宗教上の人物をまじめに話題にすることはタブーだったそうだ。そして、ジャンヌ・ダルクのいたフランスが西側諸国の一つであったことも原因してその認知度は低かった。

 シルヴィアの知るところでは、中世での大規模戦争であった英仏第二次百年戦争末期、ほとんど負けかけていたフランスにある日突然神のお告げを聞いたとかいう少女(ジャンヌ・ダルク)が出現した。

 少女は臆病な王太子(後のシャルル7世。当時フランスではランスで戴冠式をしない限りフランス王と認められなかった)を説得して軍を編成し、負け続きで士気の上がらない兵士を振い立たせて戦局の要であったオルレアンの攻防に決着をつけ、直後のパテイの戦いでイギリス軍に壊滅的打撃を与えた。これにより戦局は逆転しイギリスのフランス統治は夢と消えた。ランスへの道が開かれ、王太子はランスの教会でシャルル7世として戴冠式を無事挙げることができた。


「で、われわれはこれから7か月も攻防の続いているオルレアンの町へ行くのだな?」

 

 オルレアンの町の南側をロレーヌ川が流れている。

 オルレアンの町を除いてロレーヌ川の北側すべてがイギリスの占領地帯である。しかもイギリス軍はオルレアンを包囲しており、町の城壁の周囲10数か所に大小様々の攻城用砦を築き(特にロレーヌ川の南側に集中)、城の南正門正面の堅固な橋頭堡トゥーレルを挟んで連結して締めつけていた。


 われわれはこれから夜の闇にまぎれて艀や筏に乗りロレーヌ川を遡航してオルレアンの町の南側へ敵前上陸するのだ。成功するかどうかは将に運次第。いや「神の御加護」次第だ。史実では成功するらしいから、まあ「神の御加護」はあるんだろう。

 問題はそれからだ。王太子のお墨付きがあるとはいえ、現場で指揮をとっている士官たちが田舎出の少女においそれとその指揮権を渡すとは常識では考えられない。

 あちらにはジャン・ド・デュノワとかいう難しいオッサンやラ・イル(墳怒)のあだ名のある傭兵隊長(本名はエティエンヌ・ド・ヴィニル)その他ひと癖もふた癖もある面倒極まりないオッサンたちがいるそうだ。


 どう説得すればいいのだろうか。

 わたしもシルヴィアも宗教心はないんだ。この課題はどう考えても無茶振りだろう。


 エエイ。考えても仕方がない。


 花の香りの満ちるロレーヌ川の縁でわたしはマントを強く身に纏いつけ、夜間渡河まで仮眠をとることにした。




 1429年5月のある夕方、半数以上が戦闘訓練を受けたことも無い農村出身の志願兵で構成された集団がロレーヌ川のほとりに集まって筏の隊列が来るのを待っていた。




 史実では、ジャンヌ・ダルクがロレーヌ川を遡航してオルレアン入りするのは4月29日の夜8時ごろだったそうです。もちろん大歓迎。ですが、あの有名な旗は自分で持っていたのではなく、専用の旗持ちさんが常に持っていたそうです。オルレアン入り時も先頭にいたのは、ジャンヌ自身でなく、旗持ちさんともう一人の方だったと記録にあるそうです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ