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続攻撃2

 続攻撃2


 静月尼(静寂尼の師家)は自分の手を見つめる。

 剣だこの出来たゴツゴツした手。荒れたうえ皮が厚い。およそ婦人の手ではない。


 フッ。剣才、か?何事もなかなか自らの思うようにはならないものよ。


 彼女は心の中でつぶやく。

 静月尼にも剣の天分がある。先ほどの静寂尼の一手を見て彼女もまた静寂尼が至った境地を感得してしまったのだ。だが、彼女は静寂尼のように喜びも陶酔もしない。

 (仏道とは)やはりなにかが違う。感得したものに違和感があるのだ。彼女は仏の説く悟りでないことに気付いていた。


「木鶏」という言葉が荘子の達生篇に出てくる(一般には最強をあらわす言葉として定着している。)。


 あるとき、王が闘鶏用の最高に育てるよう紀悄子という男に鶏を預けた。

 王は10日ごとに仕上がり具合を紀悄子に下問する。

 一回目。王「どうか」紀悄子「ダメです。他の鶏の存在を感じただけでいきり立ちます」

 二回目。王「どうか」紀悄子「話になりません。目を怒らせて己を誇示し威嚇しています」

 三回目。王「どうか」紀悄子「もう良いでしょう。他を全く相手にしません。まるで木で造られた鶏のように泰然自若としています。無敵に仕上がりました」


 これは隠喩である。

 荘子の言う「道」を体得した真人(仙人)は万物と一体化しており何物にも惑わされず、そこにいるだけで「道」を体現している様を譬えているらしい。

 先ほどの静寂尼の様子はまさに「木鶏」。

 最高位の達人3人の攻撃を受けても怖れず騒がず。威張りもしなければ相手を軽んずることもない。ただただ狐を背にして立ち、相手にその無力さを思い知らさせた。


 静寂尼は前の世界でコガンの族長の使う剣術を見て「道」を感得し仙境に入った。

 この大会の主催者呂洞濱は常日頃から自らの姿かたちを変え幾多の異世界を放浪しており、昔、コガン達に乞われて自らの剣術のほんの基礎部分を教えたことがあった。剣才のあった静寂尼はそのわずかな部分を垣間見ただけで呂洞濱剣術の真髄を見破り、それを通して「道」を感得するに至ったのである。

 本来は優勝賞品である剣譜がそのマニュアルであり、達人が一生をかけて修業して感得するものなのだが、げに恐ろしきは静寂尼の才能である。

 しかもその師家である静月尼も静寂尼の先の一手を見ておなじく仙境に入ってしまった(このことは実は仙界を震撼させていた。)。

 彼女たちは剣術を通して世界の理を知った。「道」を知らない一介の達人たちが静寂尼たちに勝てる道理がない。先の結果はこのことを如実に示したものだった。


 荘子の言う「道」とは世界をあまねく支配する大原理のようなもの。世界精神とでもいえばよいか。仙人とはこの大原理を何かのきっかけで感得し自然と一体化したものをいう。

 荘子は徹底した価値相対主義をとり万物斉同の世界を是とする。

 そこら辺の石ころも命ある人も動物も落ちた一片の木の葉でも価値は同じ。強いの弱いの、美しいだの醜いだのあるいは貴賎の上下があるなどと騒ぎたてても何の意味もない。すべては「道」によって動かされている自然の中の一つの存在にすぎない。

 そこにあるというだけでそれ以上の意味もなければそれ以外の何も意味しない。

 胡蝶の夢の譬えどおり、自分が蝶であろうと荘子本人であろうと意味はない。蝶であるならば蝶として存在すればよく、荘子本人ならそれらしくいればよい。

 違いなどどうでもいいことなのである。

 仙人とは自らを大砂漠の砂の一粒であるということを認めて自然と同化しただただその万物斉同の世界に遊ぶ存在なのである。その超人的な力も「道」を感得した過程の付録のようなもの。荘子の世界ではとりたてて意味などない。


 だが、極めて重大な意味を持つ凡俗どもも食堂に残っていた。


 凡俗一(狐)「へっ。静寂が優勝して獲った剣譜を俺がもらって仙狐になる、か。長かったなあ。漸くだぜ。泰山娘娘の試験から千年くらい経ってんじゃないの」


 狐は感慨深く溜息をついた。

 天狐が仙狐になる修行を開始するには泰山娘娘による資格認定のための筆記試験を受けなければならない決まりがある。業界参入はどこの世界でも厳しい。狐に果たして筆が使えるのかという疑問もあるが、すべては業界人のみの知る謎である。外部者に知られると恥ずかしいことが多いのであろう。部外秘なのだ。


「もとはといえばリリスに悪戯を仕掛けられなきゃ300年前ぐらいに、俺、仙狐になっちゃってたはずなんだけどなあ。あんにゃろう。おかげで知り合いには完全に落ちこぼれ視されてよ。転職お世話しましょうかなんてしつこく言われてさあ。俺、プライドずたずた。静心に説教くらったのが切欠だったんだけど、知り合いに会いたくなくてこれ幸いと寺に引籠ったんが実際の話さ。寺にいてもさ。存在の認識されない狐とかなんとか言われちゃってさ。毎日針の筵じゃねえか。

 やっぱ、俺かわいそすぎるわ。

 オイ。ボーイ。酒持ってこい。今日は飲むぜ、飲んだるぜ」


 凡俗二ケイト『うわぁ、ケダモノきしょい。透明人間か心の中のお友達かと話し込んじゃってるし。さっきまで笑ってたかと思ったらなんか泣きながら酒飲んでるし。どうなってんの、アイツ?』

 凡俗三(小野少年)『ケダモノだからでしょ。そのうち絡んでくるから見ない方がいいよ。僕ら、関係ないし』

 彼らはかわいそうな存在を見て見ぬふりをしてやり過ごすことにした。


 やがて凡俗一の前にさらに酒の注がれた大杯が置かれ、狐が鼻を突っ込んでビチャビチャ舐めだす。

 狐は次第に機嫌が良くなる。狐はもとから享楽的で俗にまみれている。切り替えが早いというか気分屋というかお気楽な奴なのであった。


「まあなんだな。過去を憂いても仕方がないか。そんなことより賭けでいかに大儲けするかについて考えた方がいいな。就職したら新居もいるし。ネット通販で買いたいものもあったしな」


 狐は大会の予想紙を広げだすと、優勝は静寂として準優勝はチーム「愉快な酒飲みたち」の不死身のアキレスか?それともチーム「ヴァルハラ・トレーニング」のジークフリートか?どちらで流すべきか悩むねえと腕を組んでうなり始めた。


 そんな狐の様子を見て凡俗二が凡俗三に訊く。

『ねえねえ。ケダモノが予想紙ひらいているけど、そもそもアイツ金持ってるの?無いんだったらまじミジメすぎるんじゃない、アイツ。賭ける金もなく明日の勝者を夢見るなんてどんだけ負け犬オーラ出すのよ。人生の敗残者だわ』

『いやまあ、お金持ってないと一応そうは言えるけど。でも、ケイトは容赦ないね。ちょっと、金銭を否定するコトリ派としては酷いんじゃないの?』

『それは半可通の考え方。コトリ派はルサンチマンの塊だけど、自らがみじめになるようなことはしないし考えない。金がなかったらいいじゃない、それで。ないものねだりなんてしやしないのよ。結局、意味無いことだからね』

『分をわきまえるということ?ふーん。奥が深いんだ』


 凡俗三は一応感心して見せた。しないと凡俗二があとでうるさいからだ。 凡俗三は誰とも衝突しないということを処世の途と心得ている。外面穏やかだが、優柔不断で保身の塊。ヘタレの典型だった。


『それはさておき。ケダモノはお金持ってるよ。起きている短い時間に寺を抜け出しては京師の北嶺で烏天狗(鳥頭)たち相手に花札賭博で金品を巻き上げたり北陸の海岸では人魚相手にねずみ講をして真珠をせしめてたんだって。前に本人が自慢たらしく言ってた』

『最低な奴』


 どう転んでも狐の低評価は避けられないようだった。



 世には、青天の霹靂という言葉がある。

 ここまでは(俗にまみれていようとも)のどかな食堂風景にみえた。が、すぐに凡俗一も二も三も震えあがるようなことが起こる。

 それまでうつらうつらしていた静聴尼が目を開け大獅子吼したのだ。


「喝ッ!ほんに外道はうるさいのう。静月に静寂。あやつを切り捨ててしまえ。こ度は殺生戒にも反しはしまい。遠慮はいらん!」


 温和なはずの静聴尼が睨みつけている。

 静聴尼は愛弟子たちを破門にするかどうかを決する前にまず求道の障害(大凡俗)を取り除くことにした。

 静聴尼の標的はもちろん精霊マルグリットであった。

 マルグリットが食堂にいる狐さんチームの面々を自分の駒に取り込もうとして秘かに洗脳の不可視の糸を垂らしたのを静聴尼は見過ごせないし許せない。

 仏敵認定である。

 静聴尼は必殺の決意を固めた。

 


 


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