主人公の女 5
主人公の女5
大会の3日前、とある世界でカオス状態に困惑していた小野少年は突然現れた狐に声をかけられた。
静寂尼に無視され続けたコガンの族長はもういない。傷心を癒すべく、旅に出たのだ。多分、北海道へでも行ったのであろう。
「ヘイ、ヘイ、へーイ!恋の悩みは解決しましたか、小野少年?
まあ君には悪いが、とある事情で予定変更。急きょ、武術大会参加もとい剣譜争奪大会に参加することになりました。あ、君は貧弱だから選手じゃなくてサポーターだかんね。よろしく。
ともかく呪いが解けていようといまいと、ここから撤収ですから。そこんとこよろしく。
で、頼りになる静寂ちゃん、どこ?どこ?」
「静寂尼さんはあそこに突っ立っているけど。でも、頓悟したとかで完全にラリっているから選手なんてなれないと思う。もう3時間もあの状態だし」
小野少年の話を聞いた静月尼と静聴尼が騒ぎだした。この二人は選手になるべく狐に清涼寺から連れ出され、ついて来ていたのである。
「頓悟とな。清涼寺開山以来、三人目じゃぞえ。わが身が朽ちる前に覚者に見えるなど、とうに諦めておったが。なんたる幸せじゃ。善哉善哉」
「全くでございますね。近頃、とんと檀家や在家の者たちからのお布施も減っておりましたが、これでお寺も復興できますね。静聴尼さま」
「うむ。幸い、静寂はいま法悦に浸りきっておる。このまま寺へ連れて帰り、マネキンよろしく本堂に立たせておくのじゃ。なに、飲まず食わずにあと48時間程度立たせておいても、静寂なら別段どうということもあるまい」
「余計にありがたみが増すというわけでございますか。そうして檀家の皆さまから寄進を強請るのですね、静聴尼さま。素晴らしいお考えですわ。善哉善哉」
「うむうむ。これからは思いのままぞ。世界は我らのためにある。どれ、幸せを運んでくれた静寂を拝んでおこうかな。おお、ありがたやありがたや。サンタ・マリアさま。アーメン、ソーメン、ヒヤソーメン。ついでにアイアムソーリ、ヒゲソーリ」
「ちょっ!静聴尼さま。それ宗教、違いますから。それに非常に反発をくらう言葉ですからご注意ください。これからは厳禁ですよ」
「静月や。細かいことはどうでもいいのじゃぞえ。宗教は他者への寛容が第一じゃからな、建前としては。これくらいのことで目くじらを立てるようでは底が知れるというものじゃ」
続いて二人は嬉々として静寂ならあと72時間くらいはもつとか、本堂に立たせる静寂にどんな袈裟を掛けさせた方がありがたみが増すとかについて話し合いを始めた。
二人の様子を目の当たりにして、なんと世知辛い世の中かと感慨にふける小野少年とは別に、静寂尼の様子をじっと見ていた狐は突然、声をあげた。
「ヘイ、ヘイ、へーイ!そこで獲らぬ狸の皮算よをしている生臭坊主たち。言っちゃあ悪いが、静寂はどうやら仏の道のエリート・コースではなくて、別のところへ足を踏み込んだらしいぜ。
へっへっへっーい!俺っちには万々歳なことだけどよお。これで大会大勝利間違いなしな。寺への寄進なんて目じゃねえくらい儲かるぜ!金儲けしたいんなら俺っちに全面協力してちょ。そこんとこよろしく」
「エっ!」
「エっ!」
「エっ!」
「なにお狐様まで驚いているんですか。指摘した張本人でしょうが」
小野少年が突っ込みを入れる。ボケだらけで突っ込み役が彼しかいないのである。
「いやなに、なんとなくノリで。というか、お前さんたち、禅坊主なんだろう。気付けよ、そんくらい。そんでそんなに驚くな。
あと、小野少年。いい加減、お狐様やめれ。お前さんもお人間様と呼ばれて気持ちいいんかい。ちっとは他者の気持ちを考えてみてみー。他人に配慮できてはじめて一人前と言えるんだぞ。そんだから呪いも解けず童貞卒業もできずに幾百年となるんだよ」
さんざんな言われようだが、最近ネットで舌鋒を妙に鍛えてる狐を刺激しても後々面倒なので小野少年は沈黙を保つ。
「まさか」
「そのまさかさだよ、お姉ちゃんたち」
事態を覚って絶句する静聴尼たちへ狐は片目をつぶってニヤリと笑った。
静月尼が静寂尼に剣気を当て我に返らせた後、橋の柱の傷を見て静聴尼がケイトを鷹爪拳の使い手だと言いだし、狐はケイトも控えの選手として蓬莱山へ無理やり連れて行くことにした。すべては異文化コミュニケーションの不通が原因である。
ケイトは危機を感じ抵抗したが、言葉が通じず誤解を解く暇もなく狐の造った歪みに飲みこまれてしまった。
バードルフやポインズたちは置いてけぼりである。まあ残された塔の管理でもしてケイトの帰りを待つことになるだろう。いわゆるお留守番である。
ちなみに、唯一言葉の通じた小野少年はケイトが抵抗していた間、知らぬ顔をして橋のたもとに落書きをしていた。ケイトの気分転換にちょうどいいんじゃないかという気楽な発想である。
「変わらなきゃ変わらない」
小野少年は書いた落書きがなんとなく似合う言葉だと思った。
大会2日前。
昨晩遅くに蓬莱山の選手村に着いた狐御一行はそのまま何もせず割り当てられたゲスト・ルームで就寝した。今日の予定は試合会場と他の選手団の情報収集である。
選手村の食堂に狐たちが朝食を摂りにポツポツと集まる。食堂にはあまり人がいない。
静聴尼以下清涼寺の面々には朝食に中華風の粥が出される。小野少年にはトーストとベーコンエッグとコーヒー、ケイトには焼きたてのワッフルとジャムとコーヒーだ。狐にはピクルス抜きのハンバーガーである。
ここのボーイたちは皆仙人の弟子たちで、選手の注文を聞かないでも各々の最適料理を運んでくる(アスリートたちの瞬発力が最大になるよう計算されていて朝食はパン食が中心となる)。
『ああー、おいしい。こんな甘い朝食、はじめてだよ。もぐもぐ。でも、なんで私、こんなところにいるの?わけわかんないんだけど?もぐもぐ。あ、果物もくれるんだ。ありがとね。もぐもぐ。で、なんで私ここへ来てるわけ?』
ケイトのある意味必死な問いかけに答えるものはいない。第一、小野少年以外にことばが通じるものがいない。静聴尼たちは禅寺の習慣で食事中一切言葉を発しない。狐はハンバーガーにガッツクのに必死である。椅子の上に後ろ足で立ち、前足二本で皿を押さえ、皿の上を動き回るハンバーガーを口に入れようと悪戦苦闘中である。小野少年はここ数日の緊張が解けたのか、寝ぼけ眼でトーストをボソボソと齧っている。
『ソコ。通訳の人。もぐもぐ。ちゃんと私のこと伝えてよ。もぐもぐ。これ誘拐だからね。犯罪なんだからね。もぐもぐ』
『(眠い)……まあ、観光に来たと気楽に考えていいじゃない?僕もよくわかんないけど。あと、通訳じゃない』
『答えに全然なってないよ。もぐもぐ。あ、コーヒーお代わりお願いします。ありがとう。もぐもぐ。私は断固抗議します。もぐもぐ』
『ごめん。今日なんだか眠たくて全然頭働かんわ。まあ、テイク・イージーで行こうよ。すぐ死ぬわけでもなし。衣食住に困るわけでもなし。僕なんか300年くらいこんな感じだし。多分慣れるよ』
『慣れたら困るよ。もぐもぐ。確かに昨日はフカフカのベットに寝られたし、ここの食事も悪くはない。もぐもぐ。でも、私には帰ってやることがあるんだ』
『ふーん。あ、コーヒー、僕にももう一杯ください』
『ちょっと!』
ケイトと小野少年が騒いでいる中、5人の集団が食堂へ入ってきて狐たちのテーブルに近い席に着いた。
小野少年は5人の内、赤シャツを着た軍服姿のダークエルフには前の世界で一度会ったことがある。言わずと知れた保安局のマリアカリア大尉そのひとだった。
でも、武術大会とマリアカリアとは常識的に結びつかない。何故彼女はここにいるのだろうか。小野少年にはその答えを導き出せなかった。




