塔の女 6
塔の女6
カオスだ。
小野少年は心の中でつぶやかざるを得ない。
地面に膝をついてなにやらつぶやいている筋骨隆々の髭のオッサン。あ、地面を叩きはじめた。
すごい形相で静寂尼を睨みつけながら橋の丸太を爪でガリガリと引っ掻いているそばかすだらけの少女。
普段どおり無表情ながらも全身で喜びを表して突っ立っている静寂尼。
なんて面倒くさい連中なんだ。
これでは物語が一向に進まないではないか。
もっとサクサクと、例えば銅の指輪10個集めたら銀の竜が現れてなんでも願い事をかなえてくれると云い、僕の呪いがハイ解けましたというようにいかないのだろうか。
まわり見てみろ。
コガン達もバードルフ達も皆展開についていけなくて唖然としているぞ。
だいたい静寂尼が悟りの境地に達してどうすんのよ。アンタ、僕の護衛だと自分で言ってたじゃん。僕の解呪より先に解脱してどうすんのよ。
こんな小野少年の心の内のボヤキにかかわらず物語は蛇行してゆく。
ところで悟りとは何であろうか。
これは、本当によくわからない。
だが、その効用だけはよく知られている。
安心。
悟った者は不安ゼロの状態が得られるというものである。
人間の幸せとはなんであろうか。
金持ちになることであろうか。権力者になることであろうか。それとも異性にモテモテになることだろうか。俺つええを地でいく強者になることだろうか。
まあそういったことも一つの真理かもしれない。少なくともある程度の不安の解消にはなるのであるから。
だが、金であれ権力であれ恋人であれ、得られれば失うという新たな不安を生みだす。
ああ、なんたる矛盾。
そこでお釈迦さまは艱難辛苦の末、すべての問題を解消しましょうと菩提樹の下でお悟りになった。
人類史上最初の覚者である。
すばらしい。
だが、この効用は悟りの境地に達したごくごく稀な人間にしか及ばない。具体的にいえば、悟りを開いた人がいてもそれだけでは衆生は救済されないのだ。悟りなんて、いわばジャンキーがたまたま自分だけの合法ドラックを発見してなんの憂いもなくトリップしまくっているのと同じことである。
そもそも、なんといっても最初の覚者であるお釈迦様からして大衆への指導だのは考えていなかったのだ。
当然だろう。
自分さえ不安解消の絶対的安心の境地に達していればそれでいいのであるから。
最初からそのつもりで苦労して修業してきたのだ。
妻も子も王国すらも捨てての結果である。ひとりその果実をむさぼって何が悪い。
他人のことなど知ったことではない。
これが、お釈迦様の偽らざる心境であった。
しかしながら、好事魔多し。
悟りを開いたお釈迦様のもとへ悪魔ならぬ梵天がやってきた。
おー。われ、ひとりエエコトしとるやんけ。そんなエエコト、皆にひろめたれや。われー。わかってんのか、われー。
お釈迦様は地元の神様に因縁をつけられてしまった。
しかし、悟りを開いたお釈迦様は強気だった。伊達に精神的ジャンキーを長年やってきていないのだ。
うっとうしそうに髪の毛を掻き上げて、こうのたもうた。
「無理。無駄。僕の考えは難しいから絶対大衆に理解できないよ。彼らにわっかるわけねーでしょう。トリップの邪魔になるからどっかいっちゃってくれないかな」
だが、神様はしつこかった。承諾しない限りお釈迦様のトリップを邪魔する姿勢をみせた。
そこで、いやいやながらお釈迦様は承諾した。
しばらくの間、トリップを楽しんでからという条件付きではあったが。
これが仏教のはじまりである。
人類史上、いやいやながら始まった宗教も珍しいのではないだろうか。
狂信的で異常な使命感にとらわれた他の宗教の聖人様や指導者たちとは大違いである。
この消極性はまさに引きこもり君の作った宗教にふさわしい。
そういった事情はともかく、以来、何百何千年と幾多の人たちが悟りを開こう努力して挫折していった。
悟りを開いた人もそうでない人もエイエイ悟りを開くための方法論を考え解釈論を展開しお経を書き散らした。
いろんな人がいろんな修業を試みてほとんど失敗したりした。
もっともポピュラーな般若心経を読めばそのことが如実にわかる。
そこでは思考の迷路に陥ったシャーリーシーに向かって観音様がもったいつけつつある呪文を教えている。
よく聞けよ、シャーリーシー。今からものすっごい呪文を教えてやるからな。これを知ってお釈迦さまも悟りの境地にいっそう近づいたス・グ・レ・モ・ノや。ええか、よう聞けよ。今から教えてやるからな。
……。
般若心経は最後の2行以外、観音様のすごいぞ、すごいぞという宣伝なのである。
で、肝心のオチである呪文はというと、
「押せ押せ、押したら引いてまた押せよ」
これである。
なんと仏教とはユーモアに満ち溢れているのであろうか。
素晴らしい。本当に素晴らしい。
たまに小説に般若心経を唱えて幽霊を退治したり、米粒ならぬ般若心経を書き込んだ銃弾を妖怪の類にぶちこんで退治するというものがある。
ムムムム。あれは相手の笑い死に意味しているのかもしれない。
御仏のお力は偉大なり。
素晴らしい。本当に素晴らしい。
閑話休題。
一番早く現実に戻ってこられたのは、髭のミハーイであった。コガン族の矜持がそうさせたかもしれない。でも、それは新たな心の傷をつくることになる。
「いや。狂態をさらしてしまったな。お恥ずかしい。武人たる者、負けても潔くが筋だな。ハハハハ。
約束どおりだ。
我々は誰ひとりとしてセイジャク殿に打ち勝つことができなかった。ゆえに我々は吊り橋を渡ることも、コトリ派たちを追いまわすことももうしない。
そして、セイジャク殿を我らが友としても遇する」
ミハーイは豪快にいまさっきの屈辱を吹き飛ばすように笑いながらまくし立てた。
「……」
無表情ながらも心底二ヤついている静寂尼はミハーイの宣言に何の反応も示さない。トリップに忙しくてそれどころではないのだ。
「あの。モシモシ」
「……」
「大丈夫か?」
「……」
「あっ。ユー・エフ・オーが飛んでいる」
「……」
「お前のカアチャン、でべそ」
「……」
「お、サラ金の取り立て屋が来たぞ」
「……」
「こっらー。警察や。大阪府警や。がさ入れじゃ。令状出とんじゃ、大人しくさらせ。どくされがー」
「……」
「隣の家の境に何か建ったな?へえー」
「……」
無視ほどこころを傷つけるものはない。特にボケてもなんの突っ込みも入れられずに無視されるのはとてもとてもこころを傷つくことなのだ。関西人でなくとも例外はない。
カオスだ。
小野少年は再び心の中でつぶやいた。
忙しくて物語から離れている間に赤毛の男アンドレアスのモデルの方が意外と早くも政治的に失速してしまい、彼に関する小ネタがつかえなくなってしまった。嗚、残念。
でも、熱しやすく冷めやすい国民性にやはりとの安ど感で一杯です。お約束ですね。勘違いしている人を持ちあげといて突き落とすというのは。




