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塔の女 4

  塔の女4



 静寂尼と小野少年が吊り橋を丁度渡りきったあたりで騎馬の集団が寄せてきた。

 静寂尼は太刀と打刀を抜き放ち、刃を地面に突き立てる。

 その数3本。


 騎馬の集団が二人を半径15メートルほどの輪になってぐるりと取り囲む。

 誰も口をきかない。しわぶき一つ無い。馬たちがブルブルと鼻を鳴らし、足踏みをして蹄を地面に叩きつける音だけが響く。

 コガンたちはその茶褐色の目で静寂尼をじっとりと見つめる。


 コガンたちの服装はばらばらだ。

 丸く中央が尖り細かい鎖で垂れさせた甲を被り皮の軽鎧を着ている者。毛皮の帽子にやたらとボタンの多い詰襟を着て美しい刺しゅうの入った腹帯をしている者。三角のとんがり帽子に皮のマントに皮のシャツを身に付けた者。何も被っておらず中央の毛だけ残し側面をすべて剃りあげた頭を晒し腰に衣類を巻いて上半身裸の者などなど。

 円盾や弓を背に負い、腰には曲刀をぶらさげている。

 体格は総じて良い。皮下脂肪がほどよくついた力士型だ。肌に独特のはりがある。あんこ型で腹の突き出た者も多い。

 全員に共通しているのが鼻の下に髭を生やしていることだ。泥鰌髭が多い。中には片側だけ伸ばしている奴もいる。


「お聞きください。わたくしは御仏に仕える静寂と申す者です。故あって皆様をこの吊り橋の向こうまで通すわけには参りませぬ。したが、そちらの皆様にも都合がござりましょう。

 そこで、わたくしと賭けを致してくださりませぬか。どのように撃ち掛けられても結構です。わたくしめを打ち倒したならば、そちらの勝ち。打ち倒せなければ、わたくしの勝ち」


 と言うがいなや、静寂尼は地面に突き立てた打刀を引き抜くと見事な軽功を使って宙に躍り上がった。

 そのまま肩車の太刀構えから横薙ぎに吊り橋を支える2本の太い丸太の片方の天辺を斬り飛ばす。


 太刀を経絡に従いツボに位して構え、呼吸で経絡に気血を沈め斬撃の瞬間に集中した気を放つ。

 8倍もの破壊力が上がり、「気穴に沈むれば、利方(刀法もしくは技術のこと)に資する」と言われている。

 清凉寺派刀法18式の基本である。


「わたくしに勝てば、この業物そちらへ差し上げましょう。また、わたくしが一度でも負ければ、吊り橋をご自由にお通りください。わたくしが勝てば、そのままお帰りください」


 小野少年が通訳し終わると、コガンたちはドオッと沸き立った。

 ある者は奇声をあげ、またある者は箙を叩き、ある者は鞍を殴りつけた。

 彼らはこういうのが大好きなのである。

 彼らは名誉を命より重んじる。格別の覚悟を示す者を尊敬する。見事な武芸を披露することを誉れとする。利器業物を愛することこのうえない。

 今これらすべてが揃っている。彼らからしてみれば今興奮せずにいつ興奮せよというのか、といったところだろう。


『そこな女子。あっぱれである。われらコガン、勇気ある者に敬意を示すのに吝かではない。この勝負、謹んで承ろう。オレの名はハイドゥー・ミハーイ』


 集団の頭であろうその男は馬を輪乗りしながら叫んだ。

『皆の者。抜刀しろ。そして剣を握って誓え』


 集団が全員、曲刀を抜き放ち、刀身を右手で握り締め掲げる。

『われらハイドゥーの名に従うものは剣に誓う。一人の勇者の挑戦を正々堂々と受けて立ち、勝負の結果いかんを問わず遺恨を残さず、彼の人の友となることを。そして、約束を破り友の名誉を傷つけるようなことがあれば己が手に持つ剣で自裁することを誓う』

 集団は大声で唱和した。


 腕に覚えのある者たちが一斉に下馬して静寂尼の前に集まり出す。


 まもなく一番手は黄色の詰襟を着た小男に決まった。黒い腹帯を巻いている。得意げに鼻をうごめかし、ちょび髭の下の口角を右にあげる癖がある。

 小男は刺繍の付いた絹の詰襟を脱ぎ白いシャツ姿になる。そして、音を立てて紅革の長靴の踵をつけ頭を軽く下げた。

『私の名前はジチー・グサ。お見知りおきを』


 静寂尼も合掌して礼をする。


 やがて静寂尼が目を半眼にして平青眼に仕込み杖を構える。冷気が漂うかのように周りが張り詰めはじめる。

 と、相手のジチーが左手を後ろ手にした半身の構えを解く。

 どうやら文句があるようだ。

 聞いてみると、自分は曲刀の抜き身を構えているのに静寂尼がただの杖にしか見えない仕込み杖を構えているので躊躇を覚えるとのことだった。

 小野少年から耳打ちされた静寂尼は一つ頷いた。


 静寂尼は相手に一礼をしてから仕込み杖から半ば白刃を抜いて示す。

 それから今度は懐から一本の紙縒りを取り出すと、それを広げてただの紙片であることを示した。静寂尼は横を向き仕込み杖を抱え片膝をついて座り込む。先ほどの紙片を宙に投げ、紙片が舞う。と、鋭い気合とともに静寂尼の身体がくるりと一回転。白光が乱れ飛ぶ。

 カチリ。

 地面に舞い降りた紙片は9つに分かれた。


 相手を軽んずる訳でも勝負に真剣さが足りないわけでもない。ただ自分の剣は早いので審判が勝負を見誤るおそれがある。それを避けるため杖を相手に当てるつもりであることを静寂尼は黙したまま示したのだった。

 ジチーにも静寂尼が尋常の者ではないことが分かったのであろう、鼻をうごめかす癖も忘れ緊張している。


 試合再会。


 ジチーは右足を出して半身となり、剣先をやや下にした刺突の構え。

 これに対して、静寂尼は変わらず平青眼。

 経絡に位して構える体中剣である。このような経絡の循環路を基本とする太刀構えなど現代剣道にはない。竹刀をより早く当てるために気血は必要ないし、速さにおいて現代剣道の右に出るものもない。しかし、扱う刀を人を斬る道具として心得る時代に生きる静寂尼は現代剣道を知らない。


 ジチーの構えは速さにおいて万全を期すものと言える。

 フェンシングを見ても判るように勝負手は0.03秒代。ちなみに、居合切りは0・08秒で、種類にもよるがピストルの早撃ちは0.3秒くらいが最も早いレベルであると考えられている。

 これに対して、清凉寺派で千日廻刀を成し遂げた者たちの勝負手の単位は一刹那。つまり1秒の75分の1の間で勝負が決まる。


 では、両者の勝敗は如何。

 ミハーイの試合開始の声がかかる。


 両者はしばらく見合っていた。

 ジチーの剣先が細かく円を描き続けている。動きが固まるのを避けるためである。

 一方、静寂尼も経絡の循環路に従って構えを変化させている。

 と、静寂尼がツツツッと相手に迫る。


 気合一閃。双方、相手に突きを加える。

 が、ジチーは喉輪を突かれて後ろに吹っ飛んだ。


 静寂尼は片手突きから姿勢を戻す。やがて静かに構えを解き、合掌し礼をした。


 決してジチーの技量が酷く劣っていたという訳ではない。彼は隙なく機を伺っていたのであるが、静寂尼の死圏の間境を躊躇なく踏み超えてくる大胆さと気合に一瞬萎縮してしまったのだ。何時でも身命を捨てられる仏弟子のアドバンテージに負けたといって過言ではない。


 まずは一人目を勝ち抜いた。


 その後、手斧とサーベルの二刀使いなど癖技を持つ者も出てきたが、総じて一人目のジチーを超える力量を持つ者はおらず、静寂尼が淡々と勝ち抜いていく。


 15人目。遂にミハーイが出てきた。

『貴公。稀に見る強さだな。ひとつ胸を借りて見聞を広めたい。よろしく願う』



 片や殺人剣の達人。片や活人剣の名手。その勝負は如何。


 

 

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