拭われた灰かぶり3
拭われた灰かぶり3
「私は前世の記憶を持つ自分のことをずっと異常だと思っていたわ。そして、汲めども汲めども湧き上がるわけのわからない憎悪の念にほとほと困っていた。抑えよう抑えようとして独りで悩んで苦しかったわけ。
だから、あなたに会えて嬉しいの。シスター。10年たってようやく現れた、セルマ様以外に私の前世を知る人なんだもの」
マリアカリアにイブと呼ばれた女の子は自身の、イタリア系らしいしっとりとした黒髪の毛先を弄びながらニコリと応えた。
「だからと言ってわたしはお前の感情を理解できるわけではない。
わたしも舐めてくる連中に対しては手ひどい制裁を加えるが、それは今後襲って来るであろう奴らに対する警告と威圧を兼ねていて決して無意味な行動なのではない。
前世ばかりか現世でもお前がセルマから与えられた力を使って暴れたとしてどういう意味がある?そんなもの、ただの八つ当たりではないか」
「八つ当たり?
そうかもしれないわ。でも、私がそれをして悪いのかしら?前世でも現世でも私は他人から理不尽な八つ当たりにずっとさらされてきた。
前世ではあの憎い男の婚約者に、現世ではそこに倒れている5人に執拗にいじめられた。
なぜ私はいじめられたのか?
理由は私が暗いから?太っていて少しとろくさいから?
いいえ。そうではないわ。連中は思い描いているようには現実がうまくいかなかった。それで、むしゃくしゃして私に八つ当たりをしていた。ただそれだけのこと。
立場が逆転した私がどうしてざまあしては悪いのかしら?世の中の常識では私だけが八つ当たりしてはいけないことになっているの?」
「わたしは未熟で頭の弱い連中の真似をして嬉しいのかと聞いているのだ。それにお前はエマやスーに何をした?小娘がしていいことでは決してないぞ」
彼女はスーにエマが悪口を言っていたと吹き込んで二人を離間させたうえ、スーにはジミーからもらった気分のよくなる痩せ薬と称して麻薬を勧めて薬漬けにし、その一方で影から5人を操ってエマをいじめて追い詰めていた。
だが、そのことをマリアカリアに指摘されても彼女は平然としている。
「エマは偽善者だし、スーにいたっては高飛車で傲慢な小娘よ。姿を見るだけであの権高なエルフの婚約者のことを思い出して虫ずが走るわ。何度、ぶっ殺してやろうかと思ったことか。あの程度で済んで感謝して欲しいくらいだわ」
彼女は憤然として嘯く。
「偽善者?
その言葉は他人の行為に疚しさを覚えている連中が何もしない自分を正当化するために使う常套句だ。お前もそこまで堕ちているのか?」
「なにもしなかったのはエマよ。同情するふりをして苛められている私を見ていただけ。だから私も同情するふりだけした。私と同じ目に合わせてどんな気分になるか味わせるためにね」
「もう一度言う。セルマの力を使うのはやめろ。
わたしは正義感から忠告しているのではない。善悪など相対的な価値観に過ぎないからな。それに、わたしの知り合いの女たちの多くは万単位で人殺しをしていてほとんどが異常だが、わたしは彼女たちとごく普通に付き合っている。彼女たちに比べればお前の暴れっぷりなど可愛いものだ」
「じゃあ何のために私にやめろというの?」
「シンデレラに出てくるやさしい魔法使いの役回りとしてお前を不幸にするわけにはいかないからな。ただそれだけのことだ」
「……あいつらに復讐しないと私は前に進めない。この溢れかえる感情をどうにかしないと私は気が狂ってしまうのよ!
特にあいつだけは許せない!この地を地獄に変えて悪賢いあいつでもどうにもならない状況にして私の前に跪けさせてやるの!」
イブの激情にもマリアカリアはシガレットの煙を吐いて目を細めただけである。そして静かに言葉を続けた。
「あいつとはお前を捨てた古代エルフの技師のことか。あいつならあの世界でいまだに仮初の生を貪っているぞ。皮肉なことにイブを祭る教団の大司教としてな」
「アルベルト!あいつ!」
マリアカリアの言葉にイブは鬼のような表情でギリギリと歯を噛み締めた。
* * * *
エマの父、エドガー・シトリーは大手電化製品の量販店を束ねる会社の営業主任である。もっとも、法人に納入などという本来の営業とは程遠い仕事をしている。いわゆる苦情処理係である。各店で処理できない悪質クレマーに対して穏便にことを済ませるお仕事である。
ストレスがものすごく溜まる仕事であり、そのためエドガーはいつも渋い顔をしている。
「名詞の前に必ずファックをつけなきゃ喋ることもできない低脳なデブを相手に3時間だぞ。しかも壊れたカーナビみたいに同じことばかり繰り返しやがって。
10年前の型落ちした白いトースターが焦げて一部黄色に変わったから取り替えろだと!
当たり前だろうが!」
同僚は苦笑いするばかりである。
「それで、給料もらっているんだ。仕方ないさ」
同僚に冷たく突き放されストレスをさらに溜めたエドガーはいつも家へは直行せず愛車を駆って河川敷へと赴く。そして、トランクからゴルフバックを取り出すと愛車に背凭れてタバコを吹かしながら川面を眺める。
1時間ぐらいそうしていると、たいていガキの運転する車が通りかかりエドガーに近寄ってくる。
今日もそれが起こった。
白いTシャツのガキが運転する中古の青いGMが一旦通り過ぎてからUターンしてきた。
「おっさん。なにやってんだい?」
エドガーは答えない。ただ川面を眺めながらタバコを吹かすのみ。
「聞いてるだろ。無視すんな。答えろよ」「耳聞こえんのか?ジジイ」
白いTシャツばかりか助手席の格子縞の半袖も一緒になって騒ぎ立てる。
それでもエドガーは無視を貫く。
「てめえ!いい加減にしないとハジクぞ!」
白いTシャツがズボンに突っ込んでいた45口径にリボルバーを見せびらかしながら怒鳴りつける。
その瞬間、エドガーは迅速に行動に出る。持っていたゴルフボールを空いていた窓から白いTシャツ目掛けて投げ込み、相手が怯んだ隙にスルスルと近寄って殴りつける。
一発。二発。三発。
脳を揺らされてフラフラになった相手を襟首を掴んで窓から引きずり下ろす。ついでに車のキーも抜き取っておく。
さらに助手席側へと回って格子縞の半袖を殴りつける。半袖は腕で頭を抱え込んで怯えるばかり……。
エドガーはもとは建築会社で働いていた。だが、数年前、州兵として中東のある国の治安維持のために派遣された。
正規軍とは違い頼りにならない二流の装備に身を固め、来る日も来る日も携帯電話を使った爆弾テロや爆弾を体に巻きつけた自殺者の特攻に怯えた日々。
仲間の中には爆発で一生残るケガを負ったものや死体袋に入ったものすらいた。
やるせない。
ようやく帰ってきて平穏な生活に戻れると思っていたのだが、なんだか違う。派遣される前とは日常の景色が違って見える。
こんなクソ野郎どもを守るために俺たちは戦ってきたんじゃねえ。
平衡をとるためにエドガーはときどきこうして心の中で縛っている獣を解き放つ。解き放たるを得ないのだ。
しかも、エドガーは自分の妻がなにやら秘密を抱えていることに気づいていた。不安で仕方がない。
「あんな国行きたくなかったぜ。クソッ!」
「……取り込み中、悪いんだけど、少し道教えてくんないかな」
地面に沈めたふたりのガキの横で感慨にふけっていたエドガーは後ろから底冷えするような声をかけられて胴が震えた。
「……」
エドガーが振り返ると、上田馬之助に似た信じられないほど大きな巨人が突っ立ってニヤリと笑った。




