拭われた灰かぶり1
拭われた灰かぶり1
「陰でこそこそ、わたしの悪口を言っているでしょう?なんでそんなことをするの!」
エマは虐められはじめた日のことを鮮明に覚えている。
真っ赤な顔をしたスーに教室で呼び止められて詰め寄られたあの時から虐めが始まったのだ。
「……そんなこと言ってませんけど」
「嘘、おっしゃい!わたし、知っているんだから!なんで悪口を言うの!」
「だから言っていないって」
「言った!」
「言ってない!」
不毛な水掛け論の末、スーが言い切った。
「あなた。どれだけ自分が最低な人間かということがわかっているの!?貧乏臭くて地味で陰気で冴えない一般ピープルの癖に。そのうえ陰で人の悪口を言うし、嘘までつくし。
あなたみたいな人が滅多に行けないサロンやブティックにも連れて行ってあげたのに……。飼い犬に手を噛まれるとはこのことだわ」
それからエマの地獄が始まった。
スーとあまり親しくないはずの、唇の端にピアスをつけたキャメロンがなぜか執拗にロッカーに落書きをするようになった。スーとあまり親しくないはずのスージーとクリスがなぜかいつも教室の後ろに陣取り授業中、紙つぶてを投げつけてくるようになった。スーとあまり親しくないはずのニックがなぜか学食の列から押し出そうとちょっかいをかけてくるようになった……。
エマはジュリエッタの助手席でそんなことを思い出しながらボーっと外を眺めている。
外では高級車に乗り込もうとしたスーをマリアカリアが呼び止めていた。
「スーよ。ここ、アラバマは南部の心臓(ハート オブ ディキシー)と呼ばれているそうだな」
アラバマは南北戦争に負けた腹いせから長い間、アンチ共和党の牙城として名を轟かせ、KKKら数多くの白人至上主義の団体を産んだ土地柄。おまけに郊外に住む大農園主たちが権力を握り続けるため実質的に黒人と貧しい都市部の白人の選挙権を剥奪する1901年に制定された州憲法が70年も存続したところでもある。1960年代の公民権運動に最後まで抵抗したところとしても有名である。
これだけ人権意識が声高に叫ばれている現在でも未だこの土地だけは移民に対してかなり手荒い扱いがなされている。街のチンピラが有色人種で構成されているのもそういう理由からである。
「こういう歪な土地では妬み嫉み反発といった人間の負の感情が実に良く育つ。それはもうびっくりするくらいにな。人間の暗い感情を糧とするモンスターが集うにはふさわしい舞台と言える」
「あんた、誰?それに、モンスター!?」
「C級映画に出てくる頭に角を生やし爪の長い奴らだけがモンスターではないんだよ」
見習いシスターの格好をしたマリアカリアがジュリエッタに背もたれながらシガレットを吹かす。
「考えてみれば、おまえも実に可哀想な奴だな。
親の愛情を確かめる術が親からもらったカードと高級車を他人に見せびらかすことしかないんだからな。そんなことをすれば他人の嫉み妬みを買うのは当たり前。しかし、寂しいおまえはそうせざるを得ない。
モンスターたちにとっておまえは実に美味しいカモだ。つけいられて当然だな」
忙しい人間にありがちなことだが、スーの両親も娘に対して十分な愛情を注いでいると勝手な思い込みをしていた。
普段からモノやカネを十分すぎるほど与え、誕生日には金のかかったパーティを開き、クリスマスには豪華なプレゼントを贈っている。自分たちは義務をきっちりこなしている。それのどこに不足であるのかと。
エマの話によると、スーは最初、同じように友達のいないエマを自分の取り巻きにしようとしたらしい。高級車で有閑マダムの集うサロンや有名ブティックのハシゴにと連れ回したのだが、根が庶民であるエマから『そういうのはちょっと。ハイスクールの生徒らしくないし』とダメ出しをくらい、スーは逆上した。こういうことでしか親の愛情を確かめることのできないスーにとってエマのダメだしは人格の全否定につながったからである。
「おまえは麻薬中毒者だろ?青白い顔。生気のない目。
慌てている素振りから察するにクスリがきれたか?クスリを買いに走ろうとしているみたいだがそれは出来ない相談というものだよ。可哀想なスーちゃん」
「邪魔しないで!わたしには必要なの!」
「残念ながら昨日、わたしが供給源をすべてぶっ壊しておいた。ダウンタウンの黒人ギャングが壊滅したといううわさを聞いて乗り込んできたロシアン・マフィアも手酷く追い返しておいたから、今この街でクスリを売ってくれるところなんてないよ」
「……馬鹿げているわ。そんなことありえない」
「いいさ。信じられなければ確かめてくるがいい。無駄足だと思うがな」
「……」
マリアカリアが吸いかけのシガレットを指で弾くと、弧を描いて紫煙が舞い、地面に落ちたそれを一台のSUVが轢き潰した。
* * * *
「あなたがお馬鹿さんだったから使い道があったのですよ。主に金蔓として。
どちらの方に知恵をつけていただいたかは存じませんが、そうなってしまうと使えなくなってしまいます。わたくし、困りますわ」
「あ、あんた……」
学校の女子トイレの中、スーは床に顔を押し付けられ、頭をアネッサに踏みつけられていた。その周りをスーが今まで自分の取り巻きだと思っていたスージー、キャメロン、エバ、リサが冷たく見下ろしている。
「さて、どうしたものかしら。
普通、クスリ漬けになっちゃえば反抗心は起きないはずなのに。他でクスリを買うあてでもみつけてきたのかしらね。そうなると、ますます使えなくなるわ。困ったこと」
アネッサが頬に指を当てて考える素振りを見せていると、ユラリと入り口が開いて見張りをしていたソフィアが倒れ込んできた。
「どうだ?スー。お馬鹿なおまえでもわたしの話を信じる気になったか?」
「馬鹿馬鹿、言うな!どいつもこいつもわたしのことを馬鹿呼ばわりして!」
「「だって、そうなんだもの」」
エマを従えたマリアカリアとアネッサの声が重なった。
「おや。おや。
貴女がこのお馬鹿さんに知恵をつけてくれたようですわね。
わたくし、とっても迷惑しますわ。
ところで、どなたですの?貴女」
「フン。名乗る程の者でもない。通りすがりの魔法使いとでも思っていてくれ」
アネッサとマリアカリアの間に火花が散る。
「で、その魔法使いさんとやらが何の御用かしら?
まさか有難いお説教をしにハイスクールにまで出張しに来たというわけではないでしょうね。不良シスターさん」
「そのまさかだよ。アネッサ。いや、イブと言うべきか。
わたしはおまえのことをよく知ってるのだ。別の世界で古代エルフをゾンビに変えて全滅させた奴隷少女よ」
「……」
息を呑むアネッサにマリアカリアが言葉を叩きつける。
「わたしはこの世界に来た当初、エマこそが教え導くシンデレラだとばかり思っていた。
だが、わたしはもともと情報将校だ。すべてを一応疑ってかかる。裏付けのない事実なんてありえはしない。幸い、今のわたしは一流のハッカー並みに端末を使いこなすことができる。おまえの情報も容易く集まったよ。
アネッサ。おまえは6歳の頃から小児精神科に通いつめているな。そこのカルテには、おまえが前世の記憶持ちであることが書かれていた。
おまえを前世で助けたセルマという女。わたしはあいつをよく知っている。だから、おまえがこの世界で何をしようとしているのとか、セルマがわたしに何をさせたがっているのかとか、ビリーとかいう少年に取り付いているものの正体とかを容易に推測できる。
アネッサよ。どうやらおまえがシンデレラで、わたしがハッピー・エンドに導く魔法使いらしい。
その根性、わたしが叩き直してやろう」
しばらくの沈黙のあと、アネッサの哄笑が響いた。




